日銀の黒田東彦総裁は2013年の就任以来、10年間にわたり金融緩和のアクセルを踏み続けた。日本経済の重荷だった円高や株安は修正された一方、超低金利に慣れきった政府や企業の改革は遅れた。異次元緩和の副作用が強まり、日銀依存は転機を迎えている。(1面参照)
歴史的円高から転換
「戦力の逐次投入をせずに、現時点で必要な政策を全て講じた」。就任して初めての決定会合となった13年4月、記者会見での黒田総裁は自信に満ちあふれていた。

就任前に1ドル=70円台をつけていたドル円相場は、1年間で105円まで円安が進んだ。1万円台を割り込んでいた日経平均株価も年末には1万6000円台まで上昇し、輸出産業を中心とした大企業製造業の経営環境は大幅に改善した。
前任の白川方明総裁時代、日銀は金融緩和に消極的とみられ未曽有の円高が進んでいた。黒田氏が就任し、2年で資金供給量(マネタリーベース)を2倍にして物価2%を実現すると言い切ったことで、市場の空気は一変。12年に欧州債務危機が峠を越え、マネーがリスク資産に向かい始めていたことも追い風になった。
だが、金利を低く抑えつける政策は円安が行き過ぎるリスクと紙一重だ。米欧の利上げ加速で22年10月に円相場は32年ぶりに1ドル=150円台まで下落。資源高と相まって物価高を加速させ、政府・日銀は24年ぶりの円買い介入を迫られた。
経済の好循環、道半ば
黒田体制の10年で、日銀が金融機関に供給する資金供給量は134兆円から646兆円と4倍強に増えた。国内銀行の融資残高も就任前の約400兆円から約520兆円へと3割弱増加した。貸出金利(約定金利、残高ベース)は1.32%から0.77%に下がった。

円安・株高もあり、アベノミクス景気と呼ばれる戦後2番目の長さの好景気が実現したのは確かだ。ただ、果実は大企業などにとどまり、賃上げなき成長で個人消費は伸び悩んだ。成長率は平均で1%程度と低く、大企業から中小企業、家計に恩恵が広がっていくという「トリクルダウン」も限定的だった。
黒田総裁は異次元緩和で「期待に働きかける」と強調したが、デフレ心理は根強かった。14年に追加緩和に動き、16年にはマイナス金利政策や、国債買い入れなどで長期金利を低く抑えるイールドカーブ・コントロール(長短金利操作)を導入したが、物価上昇率はゼロ近傍からほとんど動かなかった。
足元では新型コロナウイルス禍による供給制約や原料高で、物価上昇率は目標の2倍の4%を超えた。
企業が相次ぎ値上げに動き、物価は上がらないと考える「ノルム(規範)」がついに変わるとの期待も芽生えつつある。日銀は新体制への移行後も、金融緩和を継続して企業の賃上げを支える構えだ。
緩んだ政治、改革空転
22年12月に成立した28.9兆円規模の22年度第2次補正予算。自民党は安倍派の萩生田光一政調会長らを中心に歳出増を迫り、編成の最終盤には一夜で4兆円が積み上がった。岸田文雄首相も党内最大派閥に配慮せざるを得なかったとされる。
日銀が保有する国債残高は588兆円と10年間で約5倍に膨張した。発行済み国債の過半を日銀が買い占め、取引量の減少や金利のゆがみなどの市場機能の低下が目立つ。普通国債の発行残高は1千兆円規模に膨張。金融緩和で超低金利が常態化し「財政規律の弛緩(しかん)」(BNPパリバ証券の河野龍太郎氏)が生じた面は否めない。
黒田氏の総裁就任直前、政府・日銀が13年1月にまとめた共同声明には物価2%目標と並んで、政府が「政策を総動員し、経済構造の変革を図る」との文言が盛り込まれた。ただ、金融緩和で生まれたぬるま湯のなかで成長に向けた改革は停滞。経済の新陳代謝も鈍り、潜在成長率は0%台半ばに落ち込んだ。
金融緩和だけで成長は実現できないことは明らかだ。研究開発の加速やエネルギーの安定確保などのなおざりにされてきた課題は多い。成長をどう作り上げていくのか。高齢化や人口減が急速に進むなか、これ以上の時間の空費は許されない。
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