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ペイシャンス・キャピタル・グループCEO ケン・チャンさん 不動産投資は「人」が資産(4)

GIC時代の代表的な案件が、2007年の福岡市の複合商業施設「ホークスタウン」買収だ。

ホークスタウンは当時、球場、ホテル、商業施設の3施設があり、ダイエーから米国の投資会社に所有が移っていました。福岡ソフトバンクホークスが球場を本拠地として継続利用すれば、安定的な球場使用料が見込めました。

しかし、当時のGICは野球場を買収した経験がなく、本社の投資委員会を説得する作業は難航しました。ソフトバンクグループの信用リスクを慎重に審査した上で、投資委員会の承認を仰いだ際、後押ししてくれたのは米国の同僚でした。ベースボールの本場にいる彼らは野球ビジネスの重要性と収益性を理解していたのです。

ソフトバンクホークスが11年11月に日本シリーズを制する少し前に、ソフトバンクの孫正義社長に球場の買い取りを打診しました。当時、同社グループは年間約50億円の球場使用料を払う一方で、個人向け社債を低利で発行し、資金調達していました。

低利でお金を調達できるなら、球場を取得して使用料を節約した方が有利だと判断するのではないか。そう考えて、当時球団社長で、孫さんの右腕だった笠井和彦さん(故人)などと交渉を進めました。

ソフトバンクが球団を取得して以来、初の日本一となった直後というタイミングも幸いしたのかもしれません。12年3月に870億円で球場を売却でき、大きな利益を上げることができました。商業施設部分についても、15年に三菱地所に売却しました。

  読みが外れて、投資機会を逃したこともある。

20年ほど前のことです。飛行機と車を乗り継いで、北海道のニセコを視察しました。当時からスキーリゾートとしての魅力は高かったのですが、他に遊ぶ場所が乏しく、観光地として人気は出ないと結論づけました。海外の旅行客が殺到するリゾートに変貌するとは、予測できませんでした。

後に気づいたのは、欧米の富裕層向けリゾートの多くはビーチではなく、山岳地にあることです。山岳地に別荘を所有することが欧米ではステータスになっているからです。現在注力する妙高高原の開発に、ニセコでの貴重な失敗の教訓を生かそうとしています。

  20年近く勤めたGICを19年に退社し、不動産投資会社ペイシャンス・キャピタル・グループ(PCG)を創設した。

GICに入社した00年当初から、いずれは独立して、自分の会社をつくりたいと夢見ていました。最初に辞表を提出したのは13年でした。その時は当時の上司に「2年間かけて後継者にノウハウを引き継いでほしい」と慰留されました。

その後、GICの最高経営責任者(CEO)に就任したばかりのリム・チョウキャット氏に「そろそろ辞めさせてほしい」と切り出すと、「あと2年だけ私を支えてくれ」と。2年後にリム氏を再び訪ね、退社の了承を取り付けた時には、6年が経過していました。

PCGを創設する数年前から、社名をどうしようかと考えていました。Patience(ペイシャンス)は日本語で忍耐や辛抱強さと訳すことが多く、必ずしも肯定的な語感ではありません。しかし、英語では肯定的な意味合いで使っており、ペイシャントであることはファンドマネジャーにとって必要不可欠な能力です。規律を保ちながら投資機会を探り、投資決定後は長期の視点で報われるのをじっと待つ。そんな思いを込めて、社名を決めました。

PCGにはGICの同僚が加わってくれたほか、GIC時代にお世話になった三井住友ファイナンス&リースの川村嘉則元社長などにも特別顧問への就任を依頼しました。日本やシンガポールの機関投資家から資金拠出を受け、投資対象を日本に特化した2つのファンドを運用しています。