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異次元緩和は失敗だったのか 日銀批判の先へ 金融PLUS 金融グループ次長 石川潤

黒田日銀の最後の金融政策決定会合が9〜10日に迫るなか、大規模緩和の乏しい効果や膨らむ副作用を指摘する論調が目立つ。市場機能が低下し、経済の新陳代謝が鈍り、財政規律が緩んだとされるが、金融政策の責任ばかりを強調すれば、問題の本質を見誤りかねない。この国の成長に何が必要か、批判を超えた議論が求められる。

誤解による大規模緩和

異次元緩和の評価は難しい問題だ。

白川方明前総裁は1日公表された短い論文で、各国中銀の大規模緩和の背景にあったデフレへの危機感について「根拠なき恐怖」と表現した。日本では緩やかなデフレ下にあっても、ほかの主要7カ国(G7)と比べて遜色のない1人当たり国内総生産(GDP)成長率を維持できた。恐怖に駆られて導入した非伝統的な金融緩和政策には問題があったというのが白川氏の見解といえる。

白川氏は日本の異次元緩和を「大いなる金融実験」と称し、インフレ率や成長への影響は「ささやか(modest)」だったと結論づけた。さらに、日本では高齢化や人口減による構造的な成長率の低迷が「循環的な弱さだと誤解された」とし、その結果、何十年も続く金融緩和につながったと分析した。

そうだとすれば、脱デフレに向けて黒田氏が金融緩和のアクセルを踏み込んだのは、勇み足だったのだろうか。

東大の渡辺努教授は著書「物価とは何か」で、デフレの問題として、企業が価格支配力を失ってコストカットなどの「後ろ向きの経営」に陥ることを挙げた。経済に壊滅的な打撃を与えるデフレスパイラルが起こらなくても、緩やかなデフレが続くこと自体に危険があるというわけだ。

異次元緩和は2013年春に始まったが「その時点ではすでに、価格据え置きという振る舞いが日本社会の奥深くにビルトインされてしまっていた」というのが渡辺氏の見立てだ。この考えを踏まえれば、もっと早く日銀が大規模緩和に動いていれば、金融緩和がより効果を発揮した可能性もある。

退路を断ったハロウィーン緩和

異次元緩和について、確かに言えることもある。当初2年程度の短期決戦のはずだった異次元緩和が10年も続き、市場機能低下などの副作用が想定外に膨れあがってしまったことだ。

岐路となったのが14年10月31日、黒田日銀が実施したハロウィーン緩和だ。日銀は13年4月に「戦力の逐次投入はしない」と大見えを切って異次元緩和を始めたが、当時すでに物価上昇圧力が衰え始めていた。サプライズの追加緩和で立て直しをはかったが、結果的には自らの退路を断ち、さらなる緩和へと追い立てられることになった。

長期国債の購入量を年50兆円から80兆円に引き上げたことで、いずれ日銀が国債を買い尽くして金融緩和が限界を迎えるとの思惑が広がった。限界論を打ち消そうとするあまり、黒田日銀はマイナス金利政策や長短金利操作(イールドカーブ・コントロール、YCC)といった副作用の大きい政策の導入に傾いていった面がある。

もっとも、副作用とされる問題についても、冷静な分析が必要だ。

白川氏は論文で、金融緩和が長期化すれば「資金配分のゆがみを通した生産性向上への悪影響が深刻になる」との懸念をつづった。日銀の異次元緩和について、ゾンビ企業の延命により経済の新陳代謝の低下を招いたと指摘する論者も少なくない。

一方で、緩和的な金融環境は本来、スタートアップなどの成長にはプラスに働くはずだ。経済学者のダロン・アセモグル氏とジェイムズ・A・ロビンソン氏は著書「国家はなぜ衰退するのか」で、スタートアップが育った米国と育たなかったメキシコの20世紀初めごろの違いとして、競争が激しく低い金利で融資をしてくれる銀行の存在を挙げた。

金融が極めて緩和された日本でスタートアップが育たず、経済の新陳代謝につながらなかったのだとすれば、日銀の金融政策以外にその原因は求められるべきだろう。

そこに「魔法」はない

財政についても、異次元緩和による超低金利が規律の緩みを招いたことは確かだ。だが、膨らむ財政赤字を問題にするのであれば、責められるべきは日銀ではなく、政府・与党だろう。日銀が利上げをすれば、成長や財政の問題が解決するわけではない。すべての責任を日銀に押しつけようとすることは、金融政策万能論の裏返しのようにもみえる。

次期日銀総裁候補の植田和男氏は2月24日、国会での所信聴取で「私の使命は魔法のような特別な金融緩和を考えて実行することではない」と語った。金融緩和の継続を約束する一方で、過度の日銀依存とは距離を置こうとする姿勢だ。

植田氏に政府の経済政策への注文など、金融政策以外での情報発信を求める声がある。もし日銀の新総裁に何らかの「正解」を求めているのだとすれば、それは日銀頼みから精神的に抜け出せていない証左だろう。日本経済を成長に導くために何が必要か。植田氏の知見に期待するだけでなく、私たち自身が考え、動くべきときだ。