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カリフォルニア工科大・大栗博司教授 数学の力で真実を NIKKEI The STYLE 「My Story」

おおぐり・ひろし 1962年岐阜市生まれ。小学校の時に「数学で自然を理解する理論物理学」に興味を抱き京都大学に進学する。東京大学で博士号。京大数理解析研究所助教授、米カリフォルニア大学バークレー校教授などを経て現職。東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構(IPMU)機構長、米アスペン物理学研究所の理事長も兼ねる。

米カリフォルニア工科大学教授、大栗博司さんは数学の力で自然界の基本的な原理を探究する理論物理学者だ。空間とは何か、物質とは何か、世界の根源にある秘密の解明に挑む。気鋭の研究者と注目されたが、常に順風満帆ではなかった。「敗者復活」を知る人でもある。

「1984年の夏のことです。海の向こうですごい発見があったと。うわさが聞こえてきました」。米コロラド州の山の中にある研究所で、カリフォルニア工科大学のジョン・シュワルツらが「超弦理論」の10年来の課題を解決したという。

超弦理論は万物のおおもとは極微の「ひも(弦)」だと考える。バイオリンの弦が振動状態によって様々な音を奏でるように、ひもの様々な振動で電子になったり光子になったりする。

斬新だが、当初は電子の基本的な性質すら説明できない未熟さがあり、多くの科学者は見向きもしなかった。だが、シュワルツらはそんな見方を覆した。超弦理論が既存の素粒子の理論を内包する、より大きな理論的枠組みである可能性を示した。これを突破口に超弦理論の研究が爆発的に進み始める。「京都大学大学院に入りたてでした。米国から3カ月遅れの船便で届く論文を心待ちにし、むさぼるように読んで魅了されました」

大学院で超弦理論に触れる 最先端の研究に没頭

小学生のころ、電波塔の高さの測り方を先生が教えてくれたのを覚えている。塔までの「距離」と塔を見上げる「角度」から高さを計算で割り出せる。数学を使えば地球の大きさすら計算でき、宇宙を知ることができると気がついた。「数学を使って世界のいちばん深い真実が知りたい」。超弦理論はまさに数学の力で万物を理解する試みだ。

超弦理論の研究者は片手の指の数ほどしかいなかった。「大学院生でも最先端の研究ができ、研究会で発表もしました」。そのうち「京大に大栗という面白いやつがいる」と評判になり、東京大学理学部物理学教室の助手にと声がかかる。「迷わずこのチャンスをつかみました」。幸先のよいスタートだった。

「理論物理学者には、実験に密接に関わって新現象や新粒子を見つけるタイプと、長い目で見て理論的枠組みや普遍的な数学的手法を開発するタイプがいます。ぼくは後者の方です」。80年代には量子力学の理論的な枠組みは完成されていた。理論で存在を予言されたヒッグス粒子などが実験で見つかるのは後のことだが、「私の能力を活用できるのは、そこ(実験による新粒子の発見)ではないと思いました」。

量子力学と、アインシュタインの一般相対論との統合に関心があった。究極の統一理論の構築だ。量子力学は素粒子の極微の世界を知る学問であり、一般相対論は極大の世界、宇宙のありようを示す重力の理論だ。ともに20世紀の物理学の最重要成果だが、異なる世界を形づくる。量子力学に重力を取り込めないのだ。統一できれば、どのように宇宙が誕生しこの世界が生まれたのかがわかる。超弦理論がその入り口と考えた。

苦い経験もした。東大助手時代に米プリンストン高等研究所に留学する機会を得る。アインシュタインや湯川秀樹がいた研究所だ。「どんなすごい人がいるかとおっかなびっくりでしたが、議論してみると必ずしもそうではない。ただ隅々まで詰めて仕事を完成させる馬力や忍耐力には感心しました」

プリンストンでの生活に慣れ「米国で研究を続けたい」と思い始めたころ、シカゴ大学教授(当時、後にノーベル物理学賞受賞)の南部陽一郎さんから電話があり「シカゴで助教授になるつもりはないか」と誘われた。「南部先生から直々に電話をいただいたこともあり、『はい、もちろん』と即答した」のが失敗だった。英語もままならないのに、助教授になると研究費の獲得や講義、学生の指導、教授会の仕事など、研究だけしているわけにはいかない。「26歳くらいで力量が足りなかった」

京大数理解析研究所から助教授の声がかかったのを機に1年ほどでシカゴ大学を辞めた。「南部先生には本当に申し訳ないことをしました」

逃げ帰った過去を教訓に 再び米国に乗り込む

京都で自分が何をしたいのか、何を目指すのかを改めて考え抜いた。「超弦理論が究極の理論として正しい解であるかはわからない。しかしこれまでに試された理論の中では最良である」と考えは変わらなかった。「不易流行という言葉があります。私にとって『不易(本質的)』な目標が量子力学と重力の統合であり、目標のために超弦理論に飛び込んだことが『流行』でした」

94年にカリフォルニア大学バークレー校の教授となり米国に戻った。「米国から一度は尻尾を巻いて逃げ出したのですが、もう一度チャンスをいただいた」。シカゴでの失敗が教訓になった。「ぼく自身経験を積んできた。優秀なポスドク(博士研究員)を世界からリクルートして研究チームを組織した」

超弦理論研究も新たな発展期を迎えていた。新しいアイデアが次々と発表され、思いもよらぬ数学的内容が含まれていることがわかってきた。車椅子の物理学者、ホーキングが提示した「ブラックホールの消滅」など謎とされてきた現象が超弦理論で解けるか、少なくとも議論ができるようになった。

また「量子情報や量子コンピューターの世界で独立に研究されてきた様々なことが、(超弦理論から導き出された)重力理論の言葉で表せ新しい意味を持っていることがわかってきました」。超弦理論と量子コンピューターの世界は実はつながっている。

フランスの数学者、アンリ・ポアンカレは「価値のある科学はより多くの科学の発展を進める」と記した。

「理論物理学者の仕事は理論的な道具をつくること。それはたくさんの人に使ってもらえる汎用性の高い道具です。研究者の研ぎすまされた好奇心から生まれた道具は、しばしば普遍的な価値を持ちます」。換言すれば、何が「不易」であるかをわきまえているのが優れた科学者なのだろう。

2021年からは米アスペン物理学研究所の理事長も兼務している。あの「山の中にある研究所」である。

【My Charge】日本で、米国で日々散歩 発想を転換する大事な時間

散歩をするといいことを思いつくことが多い。自宅のパソコン画面で読んだ論文や計算してみたことなどを、歩きながら頭の中で再構築してみる。スマートフォンなど思考の邪魔になりかねないものは持たず歩いていると、考えがまとまったり新しいアイデアが浮かんだりするという。
東京では隅田川に近い台東区柳橋に住んでいる。そこから上野の博物館・美術館や江東区の清澄公園近くの東京都現代美術館までよく歩く。40分くらいだ。京都などへ出張するときも、東京駅まで同じくらいかけて歩いていく。
米カリフォルニア工科大学のキャンパスは緑豊かで歩くのにもってこいだ。より素晴らしいのは、アスペン物理学研究所のあるコロラド州アスペンでのハイキング(写真上)。友人の研究者たちと歩きながらさまざまな話をする。もちろん物理の話も。ロッキー山脈の最高峰であるエルバート山(標高約4400メートル)をはじめ4000メートル級の山々を望みながら歩くのは「発想の転換にいい。健康にもいい」。
新型コロナウイルスの感染拡大で大学が閉まり、カリフォルニア工科大学から東京やアスペンへの出張も禁止で、長い散歩にすら行きにくい時期があった。そんな時に支えになったのがヨガだ(写真下)。オンラインのヨガ教室で、コロナの前から始めていたのだが、コロナ流行ですっかり日課になった。
パソコン画面でクリックすればいつでも開講中の教室に参加できる。先生がやっているのをみて自分でもポーズをとる。双方向にすればこちらのポーズを先生が見てアドバイスをしてくれる。1回の教室が15〜30分くらい。「利用しているのは月ごとの契約のサブスクリプションで一日何回でも、少し自由な時間ができてやろうと思いついたらすぐに利用できる」
ヨガにはまる前はジムに行って体力づくりをしていた。20代のころプリンストン高等研究所に留学した際に「研究は体力」と知った。理論物理学の研究者というと細身で青白いという印象が持たれがちだが、米国の研究者たちの中には筋肉質の運動好きが多く、研究において並々ならぬ持続力を発揮する。研究は毎日進歩するとは限らないが、「筋肉は裏切らない、目に見えて改善するので、研究生活の励みになるのかもしれない」。

滝順一

鈴木健撮影

【NIKKEI The STYLE 2023年2月26日付「My Story」】