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吉本興業、DXえぇ感じ 劇場+配信で活躍の場∞に

新型コロナウイルス禍でライブ配信が広がり、エンタメ市場は大きく変化し始めている。吉本は独自のプラットフォームを構築し、メタバース(仮想空間)など新たな技術も取り入れながらファンとの接点を広げ、深めている。芸人の活躍する場が多様化する中、時代に合うマネジメントのあり方を探っている。

2月2日、日本武道館(東京・千代田)は朝早くから多くの人でにぎわっていた。吉本興業に所属するお笑いコンビ「かまいたち」の単独ライブを楽しもうと、8500人のファンが会場を埋めた。

これだけの集客を実現した基盤となっているのが、吉本が2021年に立ち上げたプラットフォーム「FANY(ファニー)」だ。吉本に所属する芸人・タレントのファンはFANYのサイトに行けば、チケット販売やライブ配信、ファンクラブや物販などのサービスにアクセスできる。有料会員「プレミアムメンバー」(月額の場合330円)向けに、チケットの先行応募などができるサービスも用意する。

「FANY」のIDもとにファンを分析

吉本はFANYを利用する際に必要となるIDを通じて、ファンの情報を分析。利用者が「お気に入り」に登録している芸人の公演だけでなく、視聴履歴を軸にして、利用者が好みそうな公演をメールでおすすめしている。

こうした取り組みを21年秋ごろから始めたところ、メールがチケット販売につながる確率が3割程度増えた。FANYの事業を統括する吉本興業ホールディングス(HD)の子会社、FANY(東京・新宿)の梁弘一社長は「2カ月の間に2回劇場に来て、2回ライブ配信を見た人は継続的にファンになる傾向があることがわかった」と話す。

吉本がデータ分析に力を入れ始めた背景には「ライフスタイルが多様化する中で、笑いの好みの把握が難しくなっている」(梁社長)こともある。これまで「ダウンタウン」をはじめ幅広い人気を持つ芸人を輩出してきたが、最近はお笑いでも好みが細分化。その状況に対応したマネジメントをするにはデータ分析が必要となっているわけだ。

配信で若手も稼ぎやすく

吉本はFANYを通じて会社全体のデジタルトランスフォーメーション(DX)も目指している。芸人の活躍の場がデジタルに広がっていることにも対応するためだ。

例えば、コロナ禍では、劇場を一時閉鎖したこともあって、ライブ配信にも取り組むようになった。20年6月に始めたオンライン配信は当初、月300公演を配信していたが、現在は月約650公演までに拡大。月間約1400の劇場公演のうち、半分程度をオンラインで配信している

配信に特化したコンテンツ作りも進めている。21年9月にかまいたちが開催した単独ライブ「ON THE WAY」は、コロナの感染が広がっていた時期ということもあり、配信特化型のライブだった。ただ映像を流すだけではなく、カメラの視点を10種類用意して、視聴者が選べるようにした。普段は見られない舞台袖や楽屋の映像、別室でライブを視聴する別の芸人の様子も見られるようにして特別感を演出した。

かまいたちのほかにも、配信ならではのコンテンツづくりに挑む芸人が出てきている。従来、劇場公演が中心だった同社の中で、「『こんな(オンラインを活用した)ライブができるのでは』と社内で積極的に提案がでるようになった」(梁社長)という。

オンライン配信を始めたことで、芸人の収入源も増えた。梁社長は「特に若手芸人からは、オンライン配信が好評だ」と語る。

ブレーク前の若手芸人は劇場で多くのお客さんに見てもらう機会が少ない。オンライン配信で多くの人にネタを見てもらえるようになれば、知名度も稼ぎも上がる可能性が高まる。劇場への新たな顧客の呼び込みにもつながる。オンライン配信により「若手芸人でも収入を増やしやすくなった」(梁社長)という。

メタバースに参入

芸人に新たな活躍の場を提供するための新事業の1つとして22年に始めたメタバース(仮想空間)事業がある。

「FANY X」ではメタバースなどの技術とエンタメを掛け合わせた新サービスを展開

劇場空間を再現した「月面劇場」では、実際の芸人がメタバース上でアバターの姿でトークや漫才を披露する。現在は約150人がアバターになっており、今後は新しいキャラクターでアバターをマネジメントすることも視野にいれているという。

月面劇場にいち早く着目したのが、ピン芸人の「ZAZY」だ。

「絹江にパンパン、絹江にパンパンパン〜」。ZAZYの掛け声のリズムに合わせて、メタバース上にパンのスタンプが飛び交う。スタンプを投げているのは観客だ。

ZAZYは22年8月、月面劇場で単独ライブを開催した。この日披露したネタの1つはもともと、紙芝居を使って発表していたネタだ。月面劇場の特徴は、観客も専用アプリを使ってアバターで参加できること。参加者はポーズを取って感情を表現したり、スタンプを投げたりして、出演者とコミュニケーションをとることができる。

メタバース事業では、兵庫県養父市と協定を結び、養父市の観光名所を再現した「バーチャルやぶ」も手掛けている。芸人のアバターが名所を案内するなどのイベントを計画しているといい、今後は新たな地域との協業も含めて活用方法を模索する。

11年からは芸人と社員が47都道府県に住んで活動する「住みます芸人」をスタートするなど、これまでも地域活性化にも取り組んできた。デジタルを組み合わせることで、その内容がより深化すると期待する。

吉本興業はファンとの接点の「深化」にも力を入れている。軸になるのは、FANYのサービスの1つ「FANYコミュ」。ファンクラブとオンラインサロンを掛け合わせたようなサービスで、チケットの先行販売だけでなく、会員向けの専用コンテンツなども配信する。

例えばかまいたちのファンクラブ「OMAETACHI(おまえたち)」では月額500円で、会員向けに動画や日記などが配信される。2日に開いた単独ライブでは、会員向けに先行販売で前方の席を販売するなど工夫した。FANYの梁弘一社長は「2023年度はファンコミュニティーの強化にさらに力を入れたい」と意気込む。

「今後はもう少しそれぞれのサービスをシームレスなものにしていく」(梁社長)。例えばファン同士のオフ会をメタバース上で開く、というようなことを想定した機能強化を進める。

レコメンドの精度向上も今後挑戦することの1つだ。「しゃべくり漫才」「ツッコミ強め」などのカテゴライズを作ったり、顧客の行動をより詳細に分析して「好きそうな芸人をおすすめできるようになったら面白い」(梁社長)。

さらにお笑いだけでなく、音楽など取り扱うコンテンツの幅を広げていくことも検討。「ファンにエンタメでもっといい体験をしてもらえるようなプラットフォームにしていきたい」(梁社長)。エンタメの形が多様化する中、110年の歴史をもとに飛躍できるか。吉本の戦略に注目が集まっている。

(淡海美帆、長田真美)