前任の白川方明氏は国際通貨基金(IMF)の季刊誌で黒田緩和を「効果は控えめ」と評価し、長期の緩和が「生産性向上への悪影響」をもたらすと指摘した。だが拙速な正常化は賃上げの機運をつぶし、かえって緩和の長期化を招きかねない。政策の副作用を抑えつつ、官民で成長押し上げに挑む空気をいかにつくるか。新総裁候補の植田和男氏には重い責務がのしかかる。
「変化のとき」と題した白川氏の寄稿は、デフレの危険性にのみ焦点を当てた近年の主要中央銀行の金融政策に疑義を唱えた。米連邦準備理事会(FRB)は2020年、長期の低インフレに悩んだ日本の二の舞いを避けようと、高めの物価上昇を許容する政策の枠組みを導入した。政策金利が限界まで下がると景気後退時に緩和余地がなくなるとの不安からだが、寄稿はこれを「根拠なき恐怖」と表現した。
コロナ禍後のインフレ対応でも「一過性だと自信たっぷりに主張し、物価の急騰を抑えられなかった」として「セントラルバンカーに全く罪がないとはいえない」との見解を示した。「なぜ長期の金融緩和を余儀なくされ、その結果がどうであったかを反省する必要がある」としたうえで、それぞれの国民性に応じた政策設計を訴えた。
では黒田緩和をどうみるのか。白川氏は異次元緩和を「壮大なる金融実験」と呼んだが、インフレも成長も「その効果は控えめであった」と総括した。そのうえで長期の緩和は「急速な高齢化と人口減少という構造要因による成長の停滞を循環的な弱さだと誤解してしまった」ためと断じた。
緩和は「より抜本的な改革が必要な構造問題に対する応急処置」だった。だが、肝心の構造改革が進まないなか長引き、「資源配分のゆがみ(ミスアロケーション)を通した生産性向上への悪影響」が懸念される事態となったと指摘した。
日本の特性として「将来の成長に確信が持てない限り賃上げには慎重で、そのことがインフレ率の低下につながっている」として「物価押し上げよりも成長」との持論を強調した。
世界的にも緩和一辺倒の金融政策の見直し議論が浮上している。ゴピナートIMF筆頭副専務理事は今回の季刊誌で、「景気過熱によるインフレのリスクは考えられていたよりもはるかに大きいかもしれない」として政策決定の枠組みの見直しを訴えた。
元インド中銀総裁のラジャン氏(シカゴ大教授)は、量的緩和を「実体活動へのプラスの効果が疑わしい」として「低インフレが(物価下落と経済収縮が連鎖する)デフレスパイラルに陥らない限り、中銀は過度に心配する必要はない」とした。日本の低インフレは「成長と労働生産性を鈍化させた原因ではない」と指摘。「高齢化と労働力人口の減少の影響がより大きい」と診断した。
とはいえ、日本経済の現状は、緩和をすぐ手じまいすれば好転するほど単純ではない。賃上げなどの明るい動きを潰してしまうと、かえって白川氏が危惧する緩和の長期化を招くリスクもある。
退任間近の黒田氏は2月下旬、「デフレではない状況はできた。それから実質成長も回復した」と自賛した。「現在は経済をしっかり支え、企業が賃上げをできる環境を整えることが重要」と緩和の継続を訴えた。
次期総裁候補の植田氏は2月下旬に国会で「現在の金融政策は適切」との見方を示し、白川氏の見解とは一線を画した。一方で長期金利を固定する現行政策について「様々な副作用を生じさせている面は否定できない」として、副作用の軽減策を練る姿勢を示唆した。
財政との一体化をはじめ、黒田緩和は様々な問題をはらむ。それでも金融緩和を限界まで追求した結果、金融政策に依存しすぎない成長押し上げ策を議論する環境がようやく整った面もある。
植田日銀には、金融緩和の副作用を抑えて拙速な正常化を避けつつ、成長力の押し上げや長い目でみた財政の健全化に向けた「オールジャパン」の議論を促す役割も求められる。
(金融政策・市場エディター 大塚節雄)
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