JFAの移転に伴う一時的なもので、同日の休館セレモニーにはJFAの田嶋幸三会長、川淵三郎、小倉純二元会長、大仁邦弥ミュージアム館長らが参列し、いつの日かの再開を約した。
2003年12月に開館した同ミュージアムは、これまで累計で約71万人の来場者を集めた。最寄りがJRや地下鉄の御茶ノ水駅という立地も手伝ってか、平日の昼間に修学旅行生とおぼしき制服姿の学生を見かけることもあった。
02年に日韓で共催したアジア初のワールドカップ(W杯)は多くの果実をもたらしたが、ミュージアムもその一つだ。興行的にも成功を収めた日韓大会の剰余金からの配分や内部留保を合わせ、JFAは大会後、今の場所にビルを購入できた。
〝自社ビル〟を持つことは長沼健氏(元JFA会長)ら当時の協会首脳の悲願であり、その中に小さくてもいいからミュージアムを設けることは岡野俊一郎氏(元JFA会長)の発案であったとされる。日本のスポーツ団体がビルのオーナーになることは異例のことで、ミュージアムとともに完全にW杯のレガシー(遺産)といえるだろう。
今回の休館は本体の動きに連動したものだ。新型コロナウイルス禍でサッカー界は財政面で深刻なダメージを受けた。JFAも虎の子の代表戦に入場制限を強いられたり、町クラブの救済などに想定外の出費を強いられたりした。
リモート勤務の増大など働き方の変化はオフィスを持つことの意味を見直させ、チーム強化の活動拠点が千葉市美浜区のJFA夢フィールドに移転したことでそちらに仕事場が変わった職員、スタッフもいる。そういう諸事情を総合的に判断し、JFAは所有するビルを三井不動産に売却し、今年6月に同じ文京区内のトヨタ自動車の東京本社ビルに引っ越して賃貸生活に入ることになった。
引っ越すとなると、大荷物になるのが約7万点(書籍、資料含む)といわれる収蔵品の数々である(ちなみに最終日に展示されていたのは約千点で、まさに氷山の一角)。引っ越しに「断捨離」はつきものであるが、蔵書や文献の中には「電子化してデータとして保存すれば、廃棄してもいいだろう」と言い切れないような希少なものがある。ユニホームなどグッズとなると余計に判断は難しい。
かといって、一軒家からマンションに移るようなものだから、すべてを新居に持ち込むことは不可能。とりあえず、一時的な保管場所を見つけて、蔵出しの日を待つことになった。
ミュージアムには05年5月にオープンした「日本サッカー殿堂」もある。こちらも現在、移設先を検討中。ただ、殿堂の方は、日本サッカーの発展に尽力した功労者のレリーフなどの数が、ミュージアムの収蔵品に比べれば圧倒的に少なく、休館後もそれほど日をかけずに移設先を定め、これまでどおり一般公開される予定だ。
サッカーミュージアムの在りかとして理想的なのは、カシマスタジアムにJ1の鹿島のミュージアムがあるように、ホームのスタジアムに置くことだろう。

長谷部誠や鎌田大地が所属するドイツのアイントラハト・フランクフルトのホームスタジアムを6年前に訪れた際に、表面がスポンジで覆われた一台のローラーが展示されていて、面食らったことがある。説明文を読んでそれが、1974年のW杯西ドイツ(当時)大会の2次リーグ最終戦、西ドイツ対ポーランドで使用されたものであることが分かった。
事実上の準決勝となったこの試合、キックオフ前に豪雨に見舞われ、フランクフルトのバルトスタジアムのピッチは大量の雨水を吸い込んだ。展示品のローラーはその排水作業に使われたものだった。
当時の西ドイツの主将は「カイザー(皇帝)」と奉られたフランツ・ベッケンバウアーだったが、よほどピッチの状態がひどかったのだろう。「世界最高のリベロ」と称された名手が、なんと自陣でキックを空振りし、ガドハ、ラトーという快速アタッカーを擁するポーランドに先制されそうになった。
説明文を読んだ瞬間、中学生時代にテレビ東京の名物番組「三菱ダイヤモンドサッカー」で見たその試合の記憶がよみがえり、「こんなものまで取って置いたのか」と笑いながらも不思議な感動にとらわれたのだった。ミュージアムに何を収集し、取り置き、飾るのか。そんなところにもサッカー文化の厚み、サッカーへの(偏)愛が表れるのだろう。
カタールのW杯でドイツに勝った日本ではあるが、こういう方面でも負けてはいられない。
我が方が収蔵したもので最高の逸品は、なでしこジャパンが11年のW杯で獲得した優勝杯だろうか。日本サッカーらしいと思うのは、国際大会に参加する度に贈られる、あまたのフェアプレー賞である。これはこれで誇るに足るものだろう。

新ミュージアムがいつ、どんな形で再開されるのか、今のところはまだ決まっていない。おそらく、右にあるものを、ただ左に移せばいい、というわけではないのだと思う。アトラクションを例にとっても、仮想現実(VR)を使える今なら、いろいろな疑似体験が可能になりそうだから。
収蔵品の展示については、当面は外部からの求めに応じて貸し出しなどを行っていくことになるという。恒久的な新ミュージアムの場所としては、やはりスタジアムのようなサッカーの匂いがある場所がいいと個人的には願っている。
そういう意味で残念なのは、大阪、京都、長崎、広島と西日本に続々と専用スタジアムが建設されたり、建設中だったりするというのに、肝心要の日本の首都にモダンな専用スタジアムがないことである。ハードルの高さは承知の上で、首都の専用スタジアムと新ミュージアムはセットで構想されるべきだと思っている。
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