組織内での対話支援ツールの開発を手がけるKOU(東京・渋谷)社長の中村真広さん(38)。中古住宅の売買仲介サイトを運営するツクルバの共同代表を退き、人同士が本音で話し合える場づくりに力を入れる。恐れや悲しみといった負の感情を見つめることで、あるがままの自身を発見した経験が新事業の起点になっている。
幼少期は二世帯住宅で暮らした。祖父母と父母の大人4人に対して、子どもは自分ひとり。「転ばぬ先のつえ」という形容がぴったりの日々を過ごし、いつもあれやこれやと心配された。英会話、プール、ピアノにサッカーと習い事も多くさせてもらった。
小学校受験を経て小学1年生から塾に通い中学受験もした。「なぜ周りの友達のように遊べないんだろう」という思いもあったが、いい成績を取って親に褒められるのがうれしくて、その一心で勉強を頑張った。
進学した開成中学校は秀才ばかりだった。高校生のときに地元の千葉でバンド活動にのめりこみ、勉強の世界だけがすべてではないと知った。図書館で触れた建築家の黒川紀章氏の著作に感激し、大学では建築を学ぶことにした。
卒業後は不動産営業を経てデザイン事務所に就職。周囲に面白いヤツと思われたくて「人の3倍生きる」をモットーに寝る間も惜しんで働いた。本業に加え、カフェづくり、ウェブメディアの運営、環境NPOの活動。一つひとつ、形になると一時は心が満たされた。でも何か足りない。もっと頑張らねばと思った。
前職の同僚と共同でツクルバを創業。「成功しなければ自分には価値がない」という強迫観念にも似た思いで全力投球した。休めば自分の価値を出していない気がして休日返上で働いた。
創業して7年目。仕事と私生活で限界を感じた。会社が大きくなるにつれて「経営者はこうあらねばならない」、家庭では子どもが生まれ「親としてこうあらねばならない」との思いがストレスに変わった。
転機は旅行で訪れた屋久島での体験だ。太陽のまぶしさや木漏れ日の揺らぎに五感が開く思いがした。感覚を研ぎ澄ませて湧き上がってきたのは、自分は地球で生かされているという感謝の気持ちだった。自分の心の声に従って人生の時間を使いたいと思った。
心の声は社会が避けようとしがちな恐れや悲しみといったネガティブな感情にも意味があることを教えてくれた。悲しみは「大切にしている何かを認めるための感情」で、恐れは「何かから自分を守るための感情」だ。
幼少期から誰かに認められたくて頑張ってきた。自分には価値がないとの恐れから、勉強や仕事で成果を上げ続けた。本当の願いはありのままで十分な自分の価値を認めることだった。
ツクルバの上場を経て、共同代表を退いた。在職中に立ち上げたKOUでは、1on1(ワンオンワン)支援ツールの開発・販売にまい進する。弱みや恐れといった負の感情をさらけ出しやすい仕組みを提供することで、上司と部下など社員同士がわかり合える職場づくりを支援する。
私生活では相模原市で「虫村(バグソン)」と呼ぶ家賃設定のない集落をつくる取り組みを始めた。めざすのは信頼や感謝でつながる人間関係だ。「あらゆるものが金銭的価値にひもづけられる資本主義社会のバグのような存在になれれば」と考え、命名した。
常に前向きの姿勢でなくてもいい。痛みや弱さも含め自身の感情に向き合えることこそが強さだ。誰しもありのままで十分価値があると実感している。
(杉山恵子)
なかむら・まさひろ 1984年生まれ。東京工業大学大学院建築学専攻修了後、不動産デベロッパー、デザイン事務所、環境NPOを経て2011年8月に村上浩輝氏とツクルバを創業。18年にKOU(東京・渋谷)を設立。21年8月にツクルバ共同代表を退き、取締役に就任。相模原市で集落づくりにも挑む。
コメントをお書きください