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暮らすような温泉旅「湯治」 日本型バカンスに熱気

古くからの湯治場、鉄輪温泉は今も街じゅうから湯けむりが立ち上る(大分県別府市)

数週間にわたって疲れた体をゆっくり温泉に浸して癒やし、またやってくる重労働の季節へ備える。農家をはじめ、かつて多くの日本人にとってなじみ深く、暮らしに溶け込んだ「湯治」は、日本のバカンスの原型ともいわれる。1泊2日のぜいたくを味わう温泉旅行に押されていたが、リモートワークなどライフスタイルの再考を機に、健康と心の豊かさをもたらし、今の暮らしに合う小さなバカンスとして人々を呼び寄せている。

暮らすように過ごす旅

温泉の蒸気で蒸した食材はほのかに塩味がある。野菜や卵や米など、「湯治 柳屋」の宿泊客は中庭で自由に蒸して楽しむ(同)

宿の中庭に並んだ蒸し釜から、もうもうと蒸気が立ち上る。野菜をざるに盛ってその中に沈め、10分もたてばおいしい蒸し野菜が出来上がる。温泉の蒸気を生かした鉄輪温泉(大分県別府市)の名物「地獄蒸し」だ。

ふらりと客がやってきて、近所の店で買った食材を蒸す。大きな共用キッチンもあり「大きなこんにゃくだから半分いかがですか?」とのやりとりも。温泉旅館には珍しい光景が、ここ「湯治 柳屋」では日々繰り広げられる。

旅館らしい手取り足取りのおもてなしや豪華さはない。まるで自宅のように、靴は自分でげた箱に戻し、水やタオルは共用クロークから自分で取り出す。「ゆっくり本を読み、寒くなったらお風呂に入って、また本を読んで。ゆるゆる過ごしています」と2〜3カ月に1度ここに泊まるという福岡県の会社員、藤春裕美さん。「日常では得にくい、ゆっくりした時間を過ごしに来ています」。一度きりの観光ではない、藤春さんのような定期的な骨休めが、柳屋の客の4割を占めるという。

簡素に見えて、彼らの心は十分にくんでいる。地獄蒸しも普段と違う楽しさはあるが、気分を変えたい時は館内の店でイタリアンを食すこともできる。客室内の書斎や、自由に使えるコーヒーマシンのあるラウンジで仕事をこなし、数日間過ごす客も増えてきた。造形作家、望月通陽さんのオブジェや染色画に囲まれた館内はホスピタリティーに満ちている。「体以上に、心を休めに来る人が多いと感じます。快適さはもちろん、館内に美しいものを多く置き、心をほぐしてもらえるよう考えています」とオーナーの橋本栄子さんは言う。こぼれんばかりの花の入った花瓶には「ご自由に取って自室に飾ってください」と書き添えられていた。

カフェを営んでいた橋本さんは、古い湯治宿を縁あって引き継いで改装し、2014年に柳屋としてオープンした。当初は「湯治宿なのにきれいだ、(料金が)高い、など色々と言われ、世間での湯治のイメージを痛感しました」。

柳屋ではシンプルな和室のほか、机やミニキッチンのついた長期滞在者向けなど様々な部屋がある(同)

湯治は「江戸後期、権力者のみならず庶民にも広がりました。彼らにとってそれは『暮らすような旅』でした」と東洋大学の内田彩准教授(観光学)は説明する。料理は自炊し、宿には鍋や、時には寝具を自宅から運び込む。滞在は数週間にわたり、一日に何度も温泉に入って体を癒やした。重労働の合間の農閑期を使った療養として、また楽しみとして、年中行事に組み込まれていたという。「武士には数週間の『湯治休暇』を与える藩もあった。湯治場はリゾートでした」と内田さんは説明する。

現在の「旅館大沼」の店構え。リノベーションを重ねた館内とは対照的に、古い湯治宿の趣を残す(宮城県大崎市)

当時の様子を知るために、江戸時代から湯治客でにぎわった宮城県の東鳴子温泉を訪ねた。「旅館大沼」は明治期に開業した。「バカンスのようだった昔ながらの湯治が、昭和40年代までは盛んでした」と5代目の大沼伸治さんは振り返る。「寝て食べて温泉に入り、皆さん本当に何もせずゴロゴロと。あとは人間浴も楽しまれているようでした」。毎年の湯治で会う人々と、自炊したおかずを交換したり、部屋に行き来して茶を飲んだり。「後腐れない間柄だからこその、普段言えない愚痴話も良い息抜きだったようです」

「旅館大沼」が湯治客でにぎわった昔の様子。コンブと山菜漬けを交換するなど人や物が交わる場でもあった(同)

高度経済成長からバブル期を経て、温泉宿は一晩限りのぜいたくと観光の場へと変わった。「宿が食事を出し始めたのが転換点でしょう。可処分所得が増える一方、農家も兼業が増えるなどまとまった休みは取りにくくなった時代でした」(大沼さん)。豪勢な食事の1泊2食つきが温泉滞在の標準型となり、宿は高級化へと設備投資を競った。

湯治客が減り、高級化でも後れを取って傾いた旅館大沼の経営は、リーマン・ショックと東日本大震災を経て深刻に。その立て直しに奔走する中で大沼さん自身が体を壊し、改めて家業の存在が心にしみた。「長い人生を耐久レースに例えるなら、故障がなくてもピットストップは必要です」と大沼さん。「かつて湯治に来ていた農家の方たちも、具体的に悪いところを治しに来ていたわけではないのです」という。

老若男女が訪れる東鳴子温泉「旅館大沼」の露天風呂は静寂に包まれ、時折遠くで白鳥の声が聞こえる(同)

持ち場から時々離れて休むための旅は、現代こそ求められているはず。余暇の過ごし方は多様化したが、温泉ほど何もせず心身が休まる場はない。非日常の旅でなく、「暮らしの中の定期的な骨休めに立ち返ろう」と大沼さんはまず、野菜の煮物などシンプルな夕食の提供を始めた。反響は大きく、今も客の半数近くが選ぶ。その後、モダンなキッチンとダイニング、リモートワーク向けのラウンジと現代の暮らしに合わせ宿を整えた。するとそれまで湯治とは縁がなかった、忙しく働く40〜50代の来訪が年々増えていった。

「今の人が快適に暮らせるようリノベーションし、改めて湯治を打ち出す宿がここ10年ほど増えた」と東洋大学の内田さんは言う。戦後のマスツーリズムが一服し、「忘れかけていた湯治文化に目を向ける旅館や旅行者が増えたところに、リモートワークの普及が後押しした」。週末に加え、長期滞在も現実的になった。数週間休み続けることはできなくとも「仕事の合間に小刻みに温泉で休みを取ると、体も心も切り替わる」(鉄輪温泉と東京、大阪の3拠点で暮らす男性経営者)。湯治という「日本のバカンス」は、新しいライフスタイルとして見直され始めた。

ウエルネス求め世界から

水着で入るアマネムの温泉には「デイベッドで本を読みながら」といった楽しみ方ができる。貸し切り温泉なども備える(三重県志摩市)

湯治の再評価を読み解くもうひとつのキーワードは「ウエルネス」だ。

豊かな木々を背景に広々とたたえた水を、ソファやデイベッドが取り囲む。プールのようだが、水に見えるのは湯気をまとった温泉の湯。世界的な高級リゾート、アマンによるアマネム(三重県志摩市)が提供するのは「いわば湯治の進化形です」と日本地区マーケティング&コミュニケーションズディレクター、早田美奈子さんは説明する。

温泉で休むのに加え、客は体調や希望に応じ滞在中のプログラムを組んでもらう。ヨガやパーソナルトレーニングで体を動かし、近隣の寺の禅僧を呼んでの座禅や瞑想(めいそう)で心を整え、マッサージや鍼灸(しんきゅう)といったトリートメントで癒やされる。客への問診を基に「朝一番、目覚めの温浴を」「薬草の入った薬湯はいかが」など温泉の入り方のアドバイスも行う。現代風にアレンジした精進料理も用意しており、「かぶのマカロン」などが美しく並ぶ。

「運動した後に温泉に入りながら寝そべって日光浴し、トリートメントを受けて、を繰り返すうち、心身ともリセットして健康になれる実感がある」。こう話す都内のフリーランスの女性(54)は体力の衰えを痛感した昨年来、毎月3日間をここで過ごす。

アマネムでは精進料理のように植物性原料のみを使った食事も評判だ。写真は「パーソナルウェルネスイマージョン」(3泊で宿泊費別56万円〜)プランで提供するもの(同)

各国のアマンは従来、贅(ぜい)を尽くした非日常的な体験で知られたが「人生は長くなるのに、日常は多忙で不健康だから、と健康を求めて来る人が増えている」(早田さん)。アマネムに宿泊する半数は、欧米を中心に訪れる海外からの訪日客だ。最も平均寿命が長いなど、「日本人の健康なライフスタイルの一つとして、日本の温泉への関心が高まっている」と言う。

健康を目的とした旅はウエルネスツーリズムと呼ばれ、世界的に関心が高まっている。2025年の市場規模は22年に比べ6割増え、1.3兆ドル(約170兆円)になると米シンクタンク、グローバル・ウエルネス・インスティチュートは推計する。「運動やスパでのエステ、健康的な食事などを組み合わせて高級リゾートにこもるのが典型ですが、日本はそうした場が少なく、出遅れていました」とウエルネス研究が専門の荒川雅志・琉球大学教授は指摘する。

世界保健機関(WHO)は健康を単に病気でないだけでなく、「肉体的、精神的、社会的にもすべてが満たされた状態」と定義する。ウエルネスツーリズムも市場が成熟するにつれ「近年は心の豊かさにも関心が向いています。土地の文化や、コロナ禍以降は特に自然にも触れながら、心身の健康を得たいというものです」と荒川さん。アマネムのような世界標準のリゾートばかりでなく「湯治文化を持つ温泉地は、今後のウエルネスツーリズムの最適地」と話す。

湯治で得られる心の豊かさや文化、自然とは何か。冒頭訪れた「湯治 柳屋」のある鉄輪温泉は、鎌倉時代に一遍上人が開いたとの伝承も残る古い湯治場だ。往時の面影を残す細い路地では、変わらず湯けむりが立ち上り続ける。

鉄輪にあったかつての冨士屋旅館の1階は店やカフェとなり、多くの人がくつろぐ。2階では展覧会やコンサートを開く(大分県別府市)

1899年築の「冨士屋旅館」は96年に営業を終えた。「2000年代までは湯治客も団体旅行も減って、この辺りは本当に寂れたのです」とオーナーの安波治子さん。建物も解体が決まったが、「湯治の記憶を形として残したいと、当日になって作業を取りやめてもらいました」。15年からは地獄蒸しした果実を使った瓶詰めが名物のショップやギャラリーとして日々、国内外からの来訪者でにぎわうようになった。

安波さんらは旅館時代に使っていたほかの建物も活用し、中華シェフが地獄蒸しで作る薬膳レストラン、オーガニックの八百屋などを街に呼び込んできた。「訪れた人を癒やしてきた湯治場の文化を引き継ぎ、今の時代のウエルネスをもたらす街にしていきたい。そのために何があるとよいのか、街の人々と考え続けてきました」

評判のよいそば屋や古本屋、ヘルシーな弁当屋は柳屋オーナー、橋本栄子さんが縁をつないだ。「鉄輪でゆっくり何日も骨休めする時、近くにあるといいでしょう」(橋本さん)。そば屋は、別の街で開業を予定していた柳屋の宿泊客を口説いたのだという。

細い路地に旅館や共同浴場が並ぶ鉄輪。浴場では地元の人々と観光客が世間話に花を咲かせる姿も(同)

湯治場を再興する輪に加わりたいと、街の内外から次第に人が集まってきた。リモートワークで働く人や学生向けに、温泉つきのシェアハウス「湯治ぐらし」を始めた菅野静さんもその一人。広告代理店勤務の激務を湯治で救われたことがきっかけだった。

「鉄輪の温泉は50年前に降った雨を大地が受け止め、地中で温まり、再び地表に湧き出したものといわれています」と菅野さん。温泉の湯につかるのは、水のその大きな循環の中に身を置くことだ。「自然の恵みのほんの一部で温めてもらう。そうするうちに、自分は地球の中のちっぽけな動物にすぎないんだと心が軽くなるのです」

悠久の時を感じる温泉と力強く立ち上る湯けむり、守り継ぐ宿や街の人。湯治場で温かさに包まれ無数の人が癒やされ、自らの持ち場に戻っていった。脈々と続くその営みを思うとき、今訪れる人もまた、心のおりを湯に放ち、一歩踏み出すことができるのだろう。

高倉万紀子

井上昭義撮影