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[FT]シンガポールで家賃高騰 「金融ハブ構想」に暗雲も

Financial Times

英国人で3人の子を持つローレンさんは2年前、家族が増えたためもっと広い家に住もうと香港からシンガポールに引っ越してきた。だが今では、香港に戻るつもりだという。理由は4ベッドルームのアパートの家賃が61%上がり、物価も高騰していることだ。

夫は金融関係の仕事をしている。アジアで競い合う2つの金融センターでの経験は「目から鱗(うろこ)」の思いだった、とフルネームを伏せる条件で取材に応じたローレンさんは話した。「誰もが、最も物価の高い都市は香港だと思っている」

こうした事例は、人口560万人で労働力の4分の1が外国人という国際色豊かな都市国家シンガポールでは珍しくない。

新型コロナウイルス禍で住宅建設が遅れ、供給不足が続いているうえに、2022年は香港や中国、欧州、日本などから新たな住民が流入し、政府が発表する民間住宅賃貸指数によると、家賃は過去最高に達した。

データでは都心部の1平方フィート(0.3平方メートル)あたりの家賃は、初めて香港を抜いた。不動産業者によると好物件では競り合いが過熱しているため、アナリストは23年も最大20%程度上がる可能性があるとしている。

シンガポールは香港に代わるアジアの金融ハブになろうとしているが、この状況が示すのは、それには代償も伴うことだ。香港では厳しいコロナ関連の規制によって海外に移住する人が増え、主に外国人専門職が取得するシンガポールの就労ビザ「エンプロイメントパス(E P)」と「Sパス」の保有者は、22年6月末までの18ヶ月間で4.5%増え、33万8000人に達した。

しかし、家賃の急騰は、アジアで圧倒的な金融ハブになって最高の人材を集めるという政府の構想に水をさす可能性があると専門家は指摘する。

政府は移住者の家賃に関心薄く

シンガポール政府はこうした少数の富裕層への支援に熱心ではない。22年11月には国会議員の質問に答える形で、シンガポールへの移住を検討する人々にとって家賃はひとつの要素にすぎない、と表明した。

家賃以外に「世界的なビジネスハブとしてのシンガポールの地位、各国との強固な連携、貿易が盛んで教育や医療水準、生活の質などが高いこと」といったの移住を促す要因があるとデズモンド・リー国家開発相は指摘した。

ただ、シンガポールの税金は安いものの、物価高は「危機的状況」にある、と政策研究所のシニアリサーチフェロー、ウー・ジュン・ジエ氏は懸念する。「現地の人の多くは公営住宅に住み、公立の学校に通っているため、外国人が特に大きな負担を強いられる傾向にある」。シンガポールではおよそ8割の国民が低コストの公営住宅に住む。

「コロナ以降、シンガポールは安全な避難所と見なされ、多くの人や企業が移ってきた。だが、(家賃の高騰は)ビジネスの集積地としてのシンガポールには打撃となる。一部の企業、特に中小企業が他の市場に移ることは避けられないだろう」

1月、シンガポールの中華街を行き交う人々=ロイター

不動産仲介のERAリアルティネットワークで調査・コンサルティング部を率いるニコラス・マック氏は、家賃は23年中にさらに10〜20%上がる公算が大きいと見ている。「シンガポールは小さい国なので、需要が強ければ市場はすぐに沸騰する。空きスペースがあまりないからだ」

マーケティングの仕事をするエマさんは、5年前に香港からシンガポールに家族で移住し、リゾート地として知られるセントーサ島の3ベッドルームのアパートに住んでいた。ところが大家が22年11月に家賃を月7000シンガポールドル(約700,000円)から1万4000シンガポールドルに上げると通告してきたという。なんとか交渉しようとしたものの、他の地域を探すように言われた。

「私たちの給料は100%どころか50%も上がっていない。つまり預金を取り崩すしかない」とエマさん。実名を出さずに話したのは保証金に関する交渉が不利になるのを恐れてのことだ。一家はその後、オーストラリアに帰国することを決めた。

インド出身のシャンタヌ・ウパドゥアイさんは、チャイナタウンにある人気のレストランで接客スタッフとして働いている。29歳の彼も、500シンガポールドルの家賃が2倍以上に跳ね上がったため、婚約者とオーストラリアに移住することにした。「私がここで出世することはないだろうし、貯金もない。オーストラリアでは、車も買えるし、生活もできる」

不動産市場の異常事態、歯止めかからず

不動産業者もこうした問題に気がついている。「22年は私自身もテナント同士が高値を競い合うという異常な事態を目撃した。市場はすでに歯止めが利かなくなっていて、皆とても困惑している」と不動産エージェント、ハットンズ・アジアのコンサルタント、エドナ・リオン氏は明かす。「一部家主の要求はとても妥当とは思えない」

ERAのイナ・サルタン氏は2月、11人の中国人テナントに対し、過密状態となっていた公営のアパートを明け渡すよう求め、ニュースとなった。「過密の問題は今に始まったことではないが、物価の状況から今後はこうした事例はもっと増えるだろう」と同氏はいう。

不動産会社は、シンガポールでは何年も家賃が下がり続けたため、値上げはいまだに十分でないと指摘する。「家主は何年も低家賃で苦しんできたが、誰も取り上げてこなかった」(サルタン氏)。

シンガポールにはいくつもの魅力があるものの、コスト高が障害になっているのは間違いない、と幹部人材紹介会社ページ・エグゼクティブ・シンガポールのマネージングパートナー、ジョン・ゴールドスタイン氏は話す。「中間管理職の人たちの『留まるべきか、出て行くべきか』 という議論を耳にすることが多くなった」という。

仮にアパートを見つけられたとしても、将来については不安が残る。

「5年前、とても古い3ベッドルームのアパートに6500シンガポールドルも払うと聞いたら、それは正気の沙汰ではないと言ったと思う」と、34歳の働く母親であるマルタさんは話す。フルネームを名乗らなかったのは、就労ビザに影響が出るのを恐れるからだ。

彼女は22年、前の家主から家賃の60%値上げを通告されて、このアパートに引っ越してきた。「これは当時最良の選択肢だった。ただ、この賃貸契約が切れた後は引っ越しを考えることになるかもしれない」

By Mercedes Ruehl 

(2023年2月21日付 英フィナンシャル・タイムズ電子版 https://www.ft.com/)

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