わずか2文字からのスタート
インターネットの起源といえば一般的には1969年のアーパネットが挙げられる。米高等研究計画局(ARPA)によって開発されたシステムでロサンゼルスとサンフランシスコをつないだ。「LOGIN」を1文字ずつ打ち込んで送信成功を確認したところ、LとOの後、Gでシステムが停止してしまった。
わずか2文字から始まったインターネット。その後は日本でも大学を結ぶネットワークとして使われるようになったが利用者は限られた。アーパネットも90年にひっそりと幕を閉じた。
だが同じ年の暮れに、革新的な発明が現れた。ワールドワイドウェブ(WWW)だ。出所は欧州合同原子核研究機関(CERN)というスイスにある素粒子の研究機関だった。WWWは英国人研究者のティム・バーナーズ=リー氏が考案したもので、次々とページがつながるハイパーリンクと呼ばれる現在のインターネットそのものだった。
そして30年前の93年4月30日、CERNはこのWWWを世界に無償公開した。この日からインターネット革命が世界を覆っていったのだ。革命の震源はすぐさま米国に移る。この年、世界初の商用ブラウザといえる「モザイク」が登場。開発を主導したのはまだ21歳の研究者だったマーク・アンドリーセン氏だ。
政府も動き始めた。当時のアル・ゴア副大統領は全米を超高速回線で結ぶ「情報スーパーハイウエー構想」を掲げた。米国は情報革命を、官民を挙げてリードしようとしたのだ。そもそもアーパネットの開発もソ連による人工衛星打ち上げに脅威を覚えた当時のアイゼンハワー政権が主導したものだ。
日本はどうか。本格的にネット接続が事業化されたのは翌94年3月のこと。インターネットイニシアティブ(IIJ)が先陣を切ったのだが、国から許認可を得るまでに1年3カ月もの時間を浪費せざるを得なかった。IIJ創業者の鈴木幸一会長は「あの時は自己破産も覚悟した」と回想する。日米で国家としての情報革命へのビジョンの差が明確に出たわけだ。
それから30年。米国ではインターネット第1世代を制したグーグルやアマゾン・ドット・コム、マイクロソフトなどに加え、2000年代にアップルの「iPhone」によって幕が開かれたモバイル時代にも、フェイスブック(現メタ)などSNSの覇者を生み出し続けてきた。
成長めぐる「ネットワーク効果」と「アリー効果」

拡大し続けるネット産業の勝利の方程式としてよく語られるのが「ネットワーク効果」だ。簡単に言えばサービスにつながる人が多ければ多いほど価値を生み、他のサービスを排除する「外部性」を効かせる。時間と空間を超えて人と人をつなげるインターネット本来の力を示すというわけだ。
この方程式はかつては「ネットワークの価値は、ユーザー数(情報機器の数)の2乗に比例する」というメトカーフの法則で説明されることが多かった。参加人数の増加にあわせて指数関数的にサービスの価値が増大するというもので、一定値を超えれば他のサービスを排除する力にもなる。いわゆるプラットフォーマーの誕生だ。
この説に異を唱えるのが米シリコンバレーの有力ベンチャーキャピタル、アンドリーセン・ホロウィッツ(a16z)のゼネラル・パートナーであるアンドリュー・チェン氏だ。チェン氏はアフリカに生息するミーアキャットの群れが生き残るパターンを例に挙げ、テック企業の成長原理を説明する。
ある程度までの生息数を確保しなければ互いに捕食者の接近を警戒し合う防衛システムが機能せず、群れは崩壊する。逆にその「閾(いき)値」を超えれば爆発的に群れが膨らむが、個体数が増えすぎれば食べ物が限られるなどの「環境収容力」の壁にぶち当たる。ネット企業に置き換えれば、ユーザー数に限りがあるということになる。
チェン氏が学生時代に学んだ大学教授の名から「アリー効果の閾値」と呼ぶこの境界を越えるだけのユーザーを集められるかどうかが、ネット企業の成功を占う生命線となる。これを超えればネットワーク効果が強力に働き始めるのだ。チェン氏はこの閾値以前の状態を「コールドスタート」と呼ぶ。詳しくはチェン氏の著書「ネットワーク・エフェクト」を参照してほしい。
確かにすべてのネットサービスは当初は無名であり、閾値を超えるまでに淘汰の憂き目にあうスタートアップは山のように存在する。これは米国や日本に限った話ではない。米国のフェイスブックや中国のアリババ集団などはこの閾値を乗り越えて急成長し、今では環境収容力の壁と直面している。
ChatGPTなど「検索」で激戦
米国では検索を巡る閾値超えの競争が始まった。マイクロソフトは自社ブラウザ「Bing」に生成系AI(人工知能)を搭載した。話題の「ChatGPT(チャットGPT)」を開発したオープンAIの技術を利用する。マイクロソフトはオープンAIに今後数年で数十億ドル規模を投資する方針という。
文書を自動生成するこの技術が身近になれば検索のあり方も変わるだろう。王者グーグルも近く対抗策として「Bard」を公開する。マイクロソフトとグーグル。インターネット第1世代の代表格が今、「検索×生成系AI」で激突するのは、先に「閾値」を超えた方が圧倒的に競争を優位に進められることを知っているからだ。特にAIの場合は参加者が増えるほどその精度が向上し、ネットワーク効果も大きくなりやすい。
では、日本はどうか。国内でアリー効果の閾値を超えた企業は多い。代表例がヤフーやLINEだろうか。ただ、世界に飛び出して閾値を超え、成功をつかんだネット企業は皆無と言っていい。楽天グループやメルカリが挑戦しているが、まだまだ道半ばだ。
今、ネット業界で話題に上るのがブロックチェーンを基盤技術とするWeb3だ。特定企業のサーバーに個人情報が集約されてネットワーク効果を生み出してきた従来のサービスとは異なり、世界中のコンピューターをつなぐ分散化技術であるブロックチェーンを土台にすることで、勝利の方程式はどう変わるのだろうか。
未知数と言わざるを得ないが、従来のネット社会と共通するのは、Web3も人と人をつなぐ力であるという点だ。興味深いのは、そこにいち早く目を付けたのがモザイクの開発者であるアンドリーセン氏だということだ。その名の通り、ネット企業の勝利の方程式を説いたチェン氏が所属するアンドリーセン・ホロウィッツの創業者でもある。アンドリーセン氏は投資家となり、「テックの冬の時代」にも関わらず、Web3関連のスタートアップに猛烈に投資し始めた。
もう一度、話を日本に戻そう。巨大仮想空間のメタバースなどのWeb3時代の技術はアニメやゲームに強い日本企業の得意分野と言われる。ブロックチェーンに基づくNFT関連のサービスも続々と産声を上げ始めた。この新しい分野で、世界の扉をこじ開けてアリー効果の閾値を飛び越える企業が生まれるだろうか。日本勢の捲土(けんど)重来を期待したい。
[日経ヴェリタス2023年2月19日号]
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