入社以来、米国在住は留学を含めて累計10年近くに及ぶ。東京の一等地、丸の内を磨き続けてきた三菱地所の歴代トップの中では珍しい経歴を持つ。中島氏をよく知る不動産関係者は「ひょうひょうとしているが粘り強い」と評する。「時代に合わせて適任者を選ぶ」(吉田淳一社長)というなか、異色の海外人材が新時代の経営に挑む。
同社が注力してきた大手町、丸の内、有楽町のいわゆる「大丸有」のビジネスに携わった経験が少ない。「大きな実績がゼロだと経営資源が配分されない」という「本流」の外を長らく歩んできた中島氏。「やれることは何でもやって実績を出すことが重要だと意識してきた」と振り返る。
2011年から駐在した米国でも厳しい環境で仕事をしてきた。リーマン・ショックの傷が癒えず業績も伸び悩み、英語も流ちょうではなく信頼獲得に苦労する日々。14年に米ロックフェラーグループインターナショナルの最高経営責任者(CEO)に日本人で初めて就くと、社員が好きなアメフトなどの話題を振り相互理解に努めた。次第に打ち解け、景気回復による事業改善も進み、今では海外事業のけん引役に育った。
吉田社長は中島氏について「長い海外生活などで経営力、国際力、胆力を成長させ、新たな価値創造にチャレンジできる人物」と指摘。社内の若手からは「一見、堅いイメージだが、気さくな人柄で親しみを持つ人が多い」との声があがる。
野球好きで米国駐在時はほぼ全ての大リーグの球場で観戦。趣味で始めたフルマラソンのタイムは3時間半を切る実力だ。街づくりでは長期的な視点が欠かせない。地権者や地元の住民らと議論を重ねつつ、より良い未来を描くための伴走役を務める覚悟だ。(欣)
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