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「土地は公のもの」漸進的改革を 地租改正150年の転機 上級論説委員 斉藤 徹弥

陸奥宗光は条約改正や日清戦争など近代日本外交の功績で知られる。だが明治初期には大蔵官僚として地租改正で大きな役割を果たしていた。

「地租改正の研究」(福島正夫著)によると、関西で知事を務めた陸奥は、租税を全国一律で地租の金納にするよう早くから政府に提言していた。農家の実情を踏まえた租税論は現実的と評価され、1872年(明治5年)、大蔵省租税頭に登用される。

地租改正はここから加速した。73年、知事ら地方官議員と大蔵省議員が地租改正法を審議する大蔵省地方官会同を開催。議長の井上馨が政府首脳部と対立し、大隈重信に交代して政局となるなか、陸奥は周到な議事運営で地租改正法をまとめあげた。

地租改正の目的は税収増だが、当時はまだ徴税の体制が整っていない。政府は土地所有者が進んで納税してくれるよう有利な地位を与えた。農家から小作料を取りやすくし、土地の経済的価値を高め、土地利用に公権力は介入しない。地租改正と表裏一体で誕生したのが、近代日本の強い土地所有権である。

日本の土地所有権は、何をしてもよい絶対的土地所有権とされる。建築規制も禁止事項が限定的な消極規制でそれ以外は所有者の自由だ。厳しい建築規制で街並みを保つ欧州は、公共性を重視した相対的土地所有権といわれる。

日本では土地を放っておく自由もあり、人口減少とともに必要とされない所有者不明土地を生んだ。だが放置された土地が地域に悪影響を及ぼすに至り、土地の公共性を問う声が強まっている。

地租改正150年の今年、政府は所有者不明土地問題で公共の福祉を優先した土地所有権の抑制に踏み出す。4月に始まる相続土地国庫帰属制度をアメ、来春からの相続登記の義務化をムチとし、めざすのは「土地は公のもの」という意識の醸成である。

国庫帰属制度は相続した土地が要らない場合、条件を満たし、10年分の管理費を払えば国に引き取ってもらえる。条件が厳しいとの声もあるが、まず自治体やNPOと地域で活用を探るのが先で、国が引き取るのは最終手段だ。

国が管理するには税負担が必要になる。土地所有に縁のない人もいるなかで条件を厳しくするのは妥当だ。将来、「土地は公のもの」との認識が浸透すれば国が引き取る余地は広がるかもしれない。

相続登記の義務化では、正当な理由なく登記しなければ10万円以下の過料が科されることがある。ただよほど悪質な場合だ。軽い罰則で相続登記の定着を促したい。

憲法の財産権がかかわる土地所有権のあり方を転換する大事業に、さほど甘くないアメとわずかなムチでそろりと踏み出すのはまさに「着眼大局、着手小局」だ。大構想も小さな実践から始まる。

実際、脱線の懸念はある。所有者不明土地問題は政治主導で進んできた。「土地は公のもの」と唱える先に、公共事業を強引に進める思惑が見え隠れするようでは危うい。

都市計画の専門家にも一気に欧州のような厳しい建築規制にすべきだとの声がある。目標はそこにあっても、いきなり個人の土地所有権を制限すれば反発や混乱を生み、目標達成を逆に難しくする。

「震える手でしか法に触れてはならない。立法者たちがそこまで厳格さを守り用心を重ねることで、法は神聖だと人民は結論するはずだ」。一連の土地法制の改革に携わった山野目章夫早大大学院教授は、このモンテスキューの言葉を引き合いに、大きな改革ほど丁寧さが大切だと説く。

宇野重規東大教授は近著「日本の保守とリベラル」で、陸奥を伊藤博文とともに近代日本の保守主義の本流とし、「急進派と一線を引きつつ、自覚的に漸進的な改革を志向した」と評価した。陸奥らがいなければ藩閥と政党勢力が正面衝突し、憲法停止に陥ったかもしれないという。

所有者不明土地問題は手立てが整い、熱気を冷まして地域主体で進める段階に入った。保守本流を自任し、陸奥の「蹇蹇録(けんけんろく)」を愛読書に挙げる岸田文雄首相の震える手での手綱さばきを見守りたい。