2015年にファンドを立ち上げて日本で有数の規模のコーポレートベンチャーキャピタル(CVC)を運営するが、脱炭素対応など不動産を取り巻く環境は急速に変わる。不動産社員の発想とは違う革新的な協業アイデアを得る必要性が高まるなか、事業の経験のある大人起業家を資金、人材の両面から支える。

「補助金の申請方法を知りたい」「アンケートをどう集めるのがよいか」。1月中旬の午後7時ごろ、創業期の起業家数人がオンラインで集まった。直近の事業進捗を報告しながら、講師役のベンチャーキャピタル(VC)、HAKOBUNEの栗島祐介代表がアドバイスを送るやり取りは2時間続いた。
30代半ばを支援
これは「Swing-By(スイングバイ)」と名付けられた起業家育成プログラムの一幕だ。19年末に三井不動産と起業家支援のプロトスター(東京・中央)が共同で運営を始めた。三井不のオフィスを活用した対面形式と組み合わせながら2週間に1回のペースで開催する。
三井不は「大人起業家」の育成を打ち出す。参加者は大企業に在籍中、もしくは勤務経験のある30代半ばが中心だ。プロトスターの藤井慶太アライアンス事業部長は「大企業などに所属する『大人』が脱サラしての起業はリスクがある。成功確率を高めて起業できるよう仮説検証を繰り返してもらう」と述べる。
3年間で24チームを採択した。空間認知が苦手な層に向けたサービスを開発するLOOVIC(ルービック、東京・中央)の山中亨最高経営責任者(CEO)もその一人だ。21年の参加時は44歳で大手電力会社に勤務していた。大人起業家のコンセプトにひかれて参加を決めた。山中CEOは「同じ時期に参加した起業家は課題解決が明確な人が多く刺激になった」と話す。
高齢者向けフィンテックサービスのKAERU(カエル、同・中央)の福田勝彦最高執行責任者(COO)は20年にプログラムに参加した。19年夏にメルカリを退職し、起業テーマを模索していた。メルカリ在籍時はキャッシュレスサービス「メルペイ」の立ち上げに従事した。参加するなか「フィンテック」という自身の強みと高齢化社会の市場ニーズが明確になった。福田COOは「起業のハードルが高い人にとって参加の間口の広さが良い点だ」とみる。

大人起業家育成の背景には18年に三井不とプロトスターで打ち出した「E.A.S.T.構想」がある。東京の日本橋に本社を置く三井不が都内の東側で大企業とスタートアップの協業を促す。
スタートアップ向けオフィスを7拠点設けた。三井不の社員が半常駐で、入居者同士の交流会や勉強会、三井不グループ企業の紹介などを担う。三井不の金谷篤実執行役員は「CVCとコミュニティー、ワークスペースの3つをうまく活用しながらイノベーション(技術革新)を推進していく」と強調する。
三井不とVCのグローバル・ブレインが共同運営するCVCは、投資規模が総額435億円まで拡大した。国内の非IT系CVCでは最大規模だ。国内外含めて約50社に投資し、3社が新規株式公開(IPO)した。
ただ、CVCは上場による金銭リターンだけではなく、投資先との協業による戦略リターンが目的となる。新型コロナウイルス禍では働き方や消費行動が変わり、不動産運営のあり方は変化した。不確実な時代では既存事業の発想や業種に縛られず、新たな事業のタネを見つけ出す重要性が増している。そこで業種を問わずに大人起業家を募り、育成を始めた。
商業施設でコラボ
出資先との協業で成果は出始めている。
レジャー施設予約サイト運営のアソビュー(東京・品川)は21年に30億円を調達した際、三井不のCVCから出資を受けた。22年から三井不動産グループの商業施設と周辺レジャー施設がコラボした特典チケットの販売をサイト限定で始めた。アソビューは予約以外にも電子チケットの発行など、施設向けの業務効率化システムの開発も進める。山野智久CEOは「今後は施設のデジタル化でも協業を進めたい」と意気込む。
三井不は25年前後にテクノロジーとイノベーションを組み合わせた既存事業の強化や新規事業の立ち上げを目標に掲げる。金谷執行役員は「スマートシティーや脱炭素が重要なテーマだ。M&A(合併・買収)にも挑戦したい」と話す。スタートアップの買収で大企業の事業が飛躍する事例が出てくると、日本のCVCはもっと活発になる。
スタートアップに事業を相談
三井不動産は第1号のスタートアップ投資ファンドを立ち上げて約8年がたつ。今ではファンドのメンバーがスタートアップに新事業の相談を持ち込むようになった。
「商業施設のテナントで働く従業員に共通の情報を共有する仕組みをつくりたい」。店舗運営アプリ開発のHataLuck and Person(ハタラックアンドパーソン、東京・中央)の染谷剛史最高経営責任者(CEO)は2019年、あるピッチイベントで三井不動産側から相談を直々に受けた。
ハタラックは当時、アプリの正式リリース前で、一部の娯楽施設やコンビニなどで試験導入の段階だった。染谷CEOは開発ノウハウを三井不の商業施設にも落とし込めると判断し、三井不動産商業マネジメントと取り組みを始めた。
シフト管理や業務マニュアル共有、チャット機能と店舗運営を効率化するアプリだったが、商業施設への導入にはハードルがあった。施設が発信する情報には運営ノウハウが蓄積されており、従業員のスマートフォンにアプリをダウンロードする既存サービスでは、外部に情報が漏れるリスクがあった。
打開策を模索する20年春、新型コロナウイルスの感染拡大が本格化した。資金調達に動いていた染谷CEOは、期待していたベンチャーキャピタル(VC)から出資の話を凍結されてしまった。同時に店舗の休業が相次いだことで、本業の新規顧客の需要が消失した。
危機的状況のなかで新規投資家で参画してくれたのが三井不のCVC「31VENTURES」だった。三井不動産商業マネジメントとの課題解決に取り組む姿勢や実現可能性を評価して、既存投資家なども加えて7億6000万円を調達できた。
「絶対に成功させる」。こう決心した染谷CEOは、セキュリティーを徹底したアプリを開発した。デジタル化した従業員証の機能と通用口に従業員専用のタブレット端末を設置することで、入退管理を記録する。退勤した後は外部でアプリに災害などの緊急情報を除いて施設に関わる情報が届かない仕組みを構築した。施設内でスクリーンショットした際は警告表示する機能も備えた。
数店舗で実証実験を積み重ね、21年5月に「三井ショッピングパーク ららぽーと」や「三井アウトレットパーク」など約40施設で働く約10万人にアプリを提供することが決まった。

三井不グループ外の商業施設でもアプリの導入が決まった。22年に8億円調達した際は31VENTURESからの追加出資も受けた。染谷CEOは「従業員の『働く』を楽にしたい思いを一緒にブレずにやりきれたことで、事業の拡大につながった」と強調する。
三菱地所は100億円ファンド
スタートアップとのネットワーク作りに力を注いできた三井不だが、競合の大手不動産も関係作りにいそしむ。三菱地所は22年にCVCを組成して100億円程度を投資するほか、丸の内や大手町ではシェアオフィスも展開して、スタートアップを呼びこんでいる。東急不動産ホールディングスもCVCで50億円の投資枠を設け、IT企業が多く集積する渋谷を拠点にスタートアップを巻き込んだコンソーシアムを立ち上げている。
三井不の31VENTURESの投資先は不動産テックのほか、ロボットや宇宙、ヘルスケアを含む15領域と幅広い。31VENTURESのファンド運営を担うグローバル・ブレインの木塚健太パートナーは「一般的にスタートアップへの投資後、大企業との協業結果がすぐでるものばかりではない」と話す。
その上で「31VENTURESは出資件数も積み上がり、協業事例もでてきた。三井不動産のアセットを軸に協業できる投資先の選定を進めていく」と木塚氏は語る。
収益事業への道筋に課題
大企業がスタートアップに出資したり、買収したりして新たな収益事業を生み出すことは、海外では増えている。米グーグルのユーチューブや、米フェイスブック(現メタ)のオキュラスVRの買収は代表例だ。ただ、不動産などIT以外の企業が、スタートアップを買収して主力事業に育てたケースは海外でもまだ少ないとみられる。
日本でIT企業がスタートアップ買収で事業を大きく拡大したケースはほとんどない。エンジニア同士の相乗効果が期待しやすいIT企業に比べ、不動産会社がテック系スタートアップと協業することはさらにハードルが上がる。
CVCで日本有数の投資額を持つ三井不で、スタートアップへの出資・協業を通じて収益の柱となる事業を生み出せるかは今後の課題だ。世界経済に不透明感が漂い、VCのスタートアップ投資は変調をきたしている。待機資金が豊富なCVCからの投資にスタートアップ側の期待は高まっているなか、有力な協業相手を探すチャンスは広がっている。
(細田琢朗)
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