もっともらしい解答や韻を踏む詩も書いてくれるチャットボット(自動会話プログラム)の「ChatGPT(チャットGPT)」が発表された時、イーロン・マスク氏は「さらば、宿題」とツイートした。文章や画像を生成するAI(人工知能)は恐怖、嫌悪、畏怖を呼び起こす。最も脅威にさらされるのは教育の世界だ。
一部でチャットGPT対策も
2022年のクリスマス前、米新興企業の「オープンAI」がチャットGPTを公開したが、米東部ニューヨークの公立学校は生徒が使用することを禁じた。オーストラリアではチャットボットによる不正を回避するために、大学は試験監督による紙とペンの試験に戻すことを検討している。
教師が宿題を「フェイク」と見抜けなければ、学力で後れをとっている生徒を助けることができないと心配するのは当然だろう。しかし、このようなボットが脅威となる理由の一つは、多くの教育が情報を反復する能力に執着してきたことにある。
過去20年間、インターネットの検索エンジンは、知識へのアクセスに革命的な変化をもたらした。神経科学は人々の学習法に関する理解を一変させた。しかし、教育や試験方法はほとんど変わっていない。
私の子供たちは、私の学生時代とほとんど変わらない「ナショナル・テスト(英国の学力調査試験)」を受ける。相変わらず膨大な量の暗記が必要で、さらに「マークシート」という新たな恐怖が加わり、正しい「キーワード」をまねて点数を得る方法を学ばなければならない。
生物や歴史のテスト勉強をしていると、魅力的な科目が名前と日付年号、公式を覚えるだけの退屈なものになってくる。教師はこの教育方法を意味なく「徹底的な反復」と呼んでいるわけではない。
生物と歴史は、ディスレクシア(読み書き障害)の子供を持つ親が避けようとする科目である。概念をよく理解したとしても、関係のない膨大な事実の記憶に苦労することを心配するからだ。筆者の子供の1人が読み書き障害であることがわかったとき、教育システムの窮屈さを思い知った。

暗記学習は掛け算の九九や言語習得などで、今も有用である。しかし、詩を学ぶのが好きだからと言って、詩を暗唱する力は私の批判的思考力とは関係がない。
ダボス会議でも討論に
論文で事実を羅列するだけなら、チャットボットに取って代わられるかもしれない。それが人間の能力の限界でもなければ、経営者が望んでいるものでもない。1月中旬に開かれたダボス会議で、生成AIの討論が定員を超える人気となったが、経営者らは新しい知能指数(IQ)として「学習能力指数(LQ)」について話し合った。
LQは基本的には適応力の指標であり、生涯を通じてスキルを向上させる意欲と能力を示すものだ。経営者は協調性と好奇心を評価すると主張してきた。これは試験が終わるとすぐに忘れてしまうことを必死で詰め込むこととは全く違う世界だ。詰め込みは学ぶ喜びを大きく失わせてしまう。
生成AIの開発スピードを警戒するのは当然だ。偽情報を生成する恐れもある。常に同じ答えを出す電卓とは異なり、チャットGPTのような大規模言語モデルは同じ質問に対して異なる解答を導き出す確率的技術である。
だからこそ、使い方を子どもたちに教えることが何よりも重要になる。教師はチャットGPTを禁止するのではなく、生徒たちがチャットGPTに課題を与え、その回答を批評するよう求めるべきだ。
生成AIの支持者らは、AIが人間の代わりになるのではなく、人間を補完することができると考えている。それを実現するために進歩していかなければならない。
経済協力開発機構(OECD)による 生徒の学習到達度調査(PISA)のランキングで常に上位のシンガポールが「継続的な学習への意欲」、「生涯学習への志向」を育むために教育システムの改革を進めているのは興味深い。教師は批判的思考を重視し、暗記学習を減らすよう求められている。
大学は試験の点数だけでなく、適性も含む広い入学基準に変えようとしている。さらに、シンガポール政府が掲げる初等・中等教育の達成目標にはロボットが持たない「道徳的誠実さ」や「協調性」、「活発な好奇心」などが含まれる。
盗用は昔から存在する
我々は新しい技術が登場するたびに、過度にその技術のせいにしすぎることがある。カンニングは昔から存在する。私が学部生だった頃、友人が元学生から論文を購入したが、その人が7年間も同じ論文を売っていたのを覚えている。教授は誰もその手口を見破れなかった。
場合によっては、教育制度そのものが盗用を助長していることさえある。英国の大学は10年以上前から、志願者に自分の興味や動機について4000字で「志望動機書(Personal Statement)」を提出することを求めてきた。これにより、志望動機書の売買というおかしなことや、保護者の不安を招いたほか、「5歳のときから考古学に魅せられている」という大げさな文章が書かれることもあった。
1月中旬、ついに志望動機書は廃止された。しかしその背景は、嘘の文章をあからさまに奨励してきたからではなく、貧しい志願者が不利になるということだった。今後は、志望動機書の代わりに同じように貧しい生徒に不利になりそうな調査書を提出することになる。
志望動機書は16歳で受験する全国統一のテストの結果だけではなく、大学が幅広く生徒を評価する試みであった。子供たちが少なくとも18歳まで教育を受け、さらに高齢化社会では生涯を通じてリスキリング教育を受ける必要があるのに、16歳で多くの時間を受動的な反復に使うのは意味のないことだ。
トニー・ブレア・グローバル変動研究所は、16歳で受験する全国統一のテストを軽い評価試験に置き換え、世界共通の大学入学資格「国際バカロレア」に基づいた幅広い仕組みを作ることを提唱している。全く賛成だ。しかし、私は不正行為に対する最善の防御策であるペーパーテストを廃止すべきではないと思う。
試験は子どもたちの学習を測る最良の方法であることに変わりはない。しかし、試験内容を大幅に変える必要がある。総合的に再考することで、チャットGPTは将来にわたって残すべき資産となるだろう。
By Camilla Cavendish
(2023年1月21日付 英フィナンシャル・タイムズ電子版 https://www.ft.com/)
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