仮想現実(VR)ゲームを開発するスタートアップのジーゼ(大阪市)。2013年に創業して以来、スマートフォン向けゲームで実績を残してきたが、VRゲームにも参入した。代表の鈴木智洋がフリーランスでゲーム開発に携わっていたときに味わった苦い経験を糧に起業した。VRゲームで業界を主導する存在をめざす。
「このゲームが失敗したら、もう終わりだ」。12年ごろ、鈴木は一人でパソコンの画面を眺めていた。
鈴木は慶応義塾大学を卒業後、将来の起業に備えて金融を学ぼうと野村証券に入社した。営業を担当し、成績も良かったという。
その後、ディー・エヌ・エー(DeNA)に転じ、ゲーム市場の熱狂を経験すると、居ても立ってもいられなくなり独立した。フリーランスとしてゲーム開発を指揮し、開発会社に発注する仕事を始めた。
独立したばかりの鈴木に、運よくIT(情報技術)企業がゲーム開発のため資金を提供してくれることになった。当時は最低1000万円あれば、十分なクオリティーのモバイルゲームを開発できた。
鈴木は3本のゲームを制作できると算段した。「3本の矢があるから、どれかが当たれば大丈夫」。鈴木は悠長に構えていた。
1本目と2本目のゲームは東京の開発会社に発注するも、あえなく失敗した。1本目は戦闘系ゲーム。リリース後1日目の売上高はわずか50円だった。「50万円の間違いじゃないか」。鈴木は必死で目をこすってみたが、現実は甘くない。大失敗だった。2本目も鳴かず飛ばずだった。3本目のゲームも失敗すれば、資金を提供してくれたIT企業に顔が立たない。「死に物狂いだった」。鈴木は当時の心境を振り返る。
3本目のゲームは大阪のゲーム開発会社に発注した。進捗が気になって自宅がある東京と大阪を新幹線で何度も往復したほどだ。
しかし、ある時期を境に、開発会社から進捗報告を受けても実際のゲーム開発画面が共有されなくなった。「ちゃんと仕事をしているのか」。鈴木は我慢の限界に達し、状況の確認を急いだ。
開発委託先の社長が姿消す
「社長がいない」。鈴木は異変を感じた。社員の給料日に連絡しても、なしのつぶてだった。仕事の重圧からなのか、開発会社の社長が姿を消してしまったのだ。
鈴木は「今となっては与信管理をしっかりしていればよかったと思うが、当時は経営者としての経験が全くなかった」と反省する。それでも、その開発会社の社員は変わらずに仕事を続けていたことは救いだった。
「とんでもないことが起こりました。でも現場のメンバーは優秀なので、続けさせてください」。資金を提供してくれたIT企業に頭を下げ、事情を伝えた。結果を残そうと必死だった鈴木は、わらにもすがりたい思いだった。すると、IT企業は追加の資金提供に応じてくれた。鈴木は自ら社長になる決意を固め、3本目となるゲームの開発に集中した。

そうして完成したのが「バトルで勝利すると、異性の好感度が上がるという恋愛ゲーム」。当時のモバイルゲームでは、ニッチな市場で競合もいなかったことから、想定以上のヒットを記録した。「一本ゲームが当たると、その後は運営が安定した」
13年3月、心機一転オフィスを移転し、自身のゲーム会社を創業した。社名のジーゼには「偉大なる情熱(Great Zeal)」という意味を込めた。10年たった今でも、移ってきてくれた社員の半数近くが活躍している。
VRゲーム事業を軌道に
スマホゲームを中心にジーゼの事業を軌道に乗せた鈴木。次のターゲットにしているのがVRゲームだ。
DeNAでゲーム市場の黎明(れいめい)期にいた鈴木は、駆け出しの起業家が会社を急成長させる姿を間近に見ていた。「新しい市場は最初が重要。スマホゲームと同じことがVRゲームでも起こる」と話す。「『こんな(VR)デバイス、誰が使うんですか』と言われることもあるが、2010年にはiPhoneを見て『こんな携帯電話、誰が使うんですか』とみんなが言っていた」
既に布石は打ってきた。22年1月にはVRリズムゲーム「Blast Beat(ブラストビート)」を発売した。23年1月には金融機関などからの5億円を超える資金調達を発表し、スマホゲームに加えてVRゲームを両輪で開発する組織体制を整える。現在はVRホラーゲームの開発を開始しており「VRならではの体験で、すごく怖い仕上がり」と自信をのぞかせる。
=敬称略
(仲井成志)
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