遺志を継いだ歴代社長は物流施設など事業の幅を広げ、売上高は4兆円にまで急成長した。一方で近年は不正の発覚などひずみも生じている。創業100年の2055年に10兆円という壮大な夢へ。奮闘する今を追う。
データセンターの開発など多角化が進み、事業構造は大きく変貌を遂げている。55年の目標達成に向けてあるべき姿とは。480社ものグループ会社を率いる大和ハウスの芳井敬一社長に聞く。
――物流施設やデータセンターを開発する事業施設の事業が拡大しています。次なる成長の柱は。
「オーナー(創業者)は『建築の工業化』を掲げた。今後は『食』の工業化が面白くなる。例えばサーモンの陸上養殖施設の開発を始めた。養殖は海でやるべきだと思われているが、陸上で挑戦する。世界の人口が増えるなかで食糧事情は悪化する。こうしたアイデアを考えるのは面白い」
「もう一つは物流施設や商業施設を中心にした街づくりだ。例えば物流施設のスロープには災害時に車をとめてもらってもいい。地域の防災拠点になれば、存在価値も変わるだろう。こうした取り組みを拡大できれば、オール大和ハウスとして各事業本部の強さが発揮できる」
――事業の多角化に伴って、業績に占める戸建住宅の比率が低下しています。
「少子化で人口が減る以上、住宅は絶対に減る。だからこそ人口が増える海外に進出している。26年度までの中期経営計画では売上高で戸建住宅と賃貸住宅、商業施設、事業施設の4本柱が軒並み1兆2500億円を超す計画だ」
「最も成長する計画の事業が戸建住宅であり、海外比率が最も高くなるのも戸建住宅だ。日本は維持しながら、海外のシェアを増やしていく。日本が成長しないなら米国がある。住宅の中でポートフォリオを組んでいる」

――事業範囲が広がり、「ハウス」という社名を超えていませんか。
「これまで王道ではないが、ジャンルの隙間を攻めて、人が欲しているところにヒト・モノ・カネを投じてきた。軸にあるのは大野直竹・前社長が話していた通り、『我々は住宅の心を持ったゼネコンであり、デベロッパーである』という精神だ。僕たちは住宅の心を忘れない。『ハウス』の名称は絶対に残す」
――リモートワークが普及しましたが、営業の方法も変わってきましたか。
「大和ハウスは昔からフェース・トゥー・フェース(対面でのやり取り)を信じている。お客さんの近くにいることが大切で、そうしないと見えないものは多い。全国にある支店は統廃合するが、営業所は残している。どこも閉めていない。僕たちは地元をしっかり見ている。売った後は知らない、ということがあってはならない」
――なぜ顧客の近くにいることにこだわるのですか。
「意識しているのは気の利いた営業だ。行商はお客さんの醤油が切れたときに、家まで醤油を持っていく。我々もこうしたサービスをしていきたい。お客さんからボールを投げられるのを待つのではなく、家を建てた時の家族構成を見て『この子が中学校に入るな』と分かれば、一つだった子供部屋を二つに分ける必要があると気付ける。そこで『そろそろお部屋のご準備ですよね』と言えるか。住まいに関するあらゆるイベントの度に提案することが必要だ」
「家を建て替える時も同じだ。大和ハウスだけではなくてあらゆる住宅メーカーがかつて造ってきた住宅団地を見てみると、他社のメーカーで建て替えた家が多い。大和ハウスが好きなら大和ハウスで建て替えるはず。そうではないから他社で建て替えている。なぜかというと、まだまだ足りないからだ。選ばれる場所にいない。お客さんを寂しがらせてはいけない」
――創業者は55年に売上高10兆円という夢を掲げました。今後はM&A(合併・買収)で拡大しますか。
「樋口武男・最高顧問が『大和ハウスは住まいの総合商社』と話していた。我々は衣食住のうち『住』を担当する会社。『住』に関連して相思相愛になれば、あり得るかもしれない。でも異業種というのは僕たちからすればあり得ない。それで足し算をして10兆円に届くとは思っていない」

――社長就任から5年が経過しました。
「創業者亡きあと、歴代社長が荒れた野原を耕し、種をまいてどんどん芽が出て刈り取る収穫期を迎えることができ、成長してきた。すると会社にひずみが出てきた。それは(いずれも19年に発覚した)建築基準法の違反であったり、海外で資金を横領されたり、国家資格を不正に取得したりといった形で出てきた。そのひずみを解消するのが僕の役目だ」
「もう1回しっかりと元に戻さないと空中分解してしまう。社員に悪いことは絶対に駄目だと伝えれば、全員がすぐに右向け右をして切り替えてくれた。その強さがこの会社を大きくしてきた」
――米国で3社をM&Aして、戸建住宅事業をけん引しています。
「かつて1970年代ごろに海外進出して赤字の大失敗だった。それは日本のスタイルを提案したからだろうと分析している。極端に言えば玄関で靴を脱ぐような生活だ。これは大きな間違いで、それぞれの国にはそれぞれの住まいのスタイルがある。現地で僕たちに近い経営をしている会社が、(芳井社長が主導し2017年に買収した)スタンレー・マーチン社(米バージニア州)だった」
「決して大和ハウスが僕たちの構造を使いなさいとか、お金を使いなさい、売り方をこうしなさい、とは言っていない。早く安く品質のいいものを提供しよう、工期を縮めようと言っている。スタンレー・マーチンのスティーブ(・アロイ最高経営責任者)もお客さんとの距離を大事にしている。お客さんからの評価が悪いとスティーブは直接電話をかけて『何があったんだ』と聞く。お客さんが『本当にスティーブか?』と何度も聞き直すくらい、アメリカではビルダーの社長から直接電話がかかってくることは珍しい」

――スタンレー・マーチンの売上高は22年3月期に1946億円と、3年で2.3倍に増えました。
「買収当時、ワシントンで50年近く事業を続けていた頃はそれほど成長を求めていなかった。大和ハウスグループに入ったことで、それまでと比べて借入金利が下がって利益が積み上がるようになった。そうして周辺エリアのビルダーから住宅部門の事業譲渡を受け始め、事業エリアをどんどん拡大させてきた」
「その後も(20年に買収した)トゥルーマーク(カリフォルニア州)、(21年に買収した)キャッスルロック(テキサス州)と合計3社を配置した。今後はこれら3社が徐々にエリアを広げていけばいい」
――工場で高品質製品をつくる大和ハウスの文化への現地の反応は。
「買収先企業の経営者たちが大和ハウスの住宅の作り方をみて一番驚くのは、工場でここまで作るのか、という点だ。米国は人が建設現場でつくる工程が多いため品質がばらけがちだ。一方、大和ハウスは(住宅の壁など)工場製品の比率が高く品質が同じだ。すると彼らは『工場が欲しい』と言い出した。『赤字になるから無理だ』と答えたが、スタンレーのスティーブは発注先の外部工場に(大和ハウスのような部材製造を)求め始めた」
「建築の工業化はオーナーが掲げたものだ。大和ハウスからも人を送りながら協力している。大和ハウスが日本で4カ月で完成させられる住宅を、米国ではまだ8カ月かけてつくっている。改善の余地があり、今後が楽しみだ」
――米国事業を拡大するうえで部材の共同購買など相乗効果は見込めますか。
「新型コロナウイルスの影響でサプライチェーンが混乱し、米国では空調用のダクトが手に入らず、住宅の引き渡しができなくなった。そこで大和ハウスの購買部門の出番だ。取引関係のある日系企業に頼んで調達することができた。今後も米国でどのように共同購買できるかを考えていく」
(聞き手は日経産業新聞編集長 松井健、世瀬周一郎)
「守りながら成長」で10兆円の礎に

背景には19年に表面化した不正の数々がある。その一つが3月に公表した中国の関連会社で取締役らが資金を不正流用した事件だ。その後の記者会見で芳井社長が「ガバナンス体制が非常に甘かった」と語ったのもつかの間、1カ月後にはアパートや戸建て住宅の一部に建築基準に適合しない不適切な柱や基礎が使用されていたと発表した。
8月にガバナンス強化のため社長直轄の「法令遵守・品質保証推進本部」を新設したが、12月には一部社員が工事監督の国家資格「施工管理技士」を不正に取得していたと明らかにした。
「技術の大和ハウスになりたい」。資格の不正取得で建設業法に違反したため電気工事などで約3週間の営業停止処分を受けていた21年12月、芳井社長は全国の支店に足を運び、社員を前に語りかけた。社長自らが現場社員に伝えることで、全社のコンプライアンス徹底を進めてきた。
「芳井は人を裏切るようなことはせん」。中興の祖である樋口最高顧問は芳井社長をこう評する。22年4月の入社式で「新入社員に求める人物像は」と聞かれた芳井社長はためらわず「正直であること」と答えた。相次いだ不正で大和ハウスへの信頼が揺らぐなか、顧客が求めるのは正直で裏切らない体制だ。
かつて「不夜城」と言われた大和ハウス本社も、今では午後8時になると消灯される。社員の働き方改革も進めながら「何よりも社員が誇れる会社にしていきたい」(芳井社長)。創業者が後輩たちに残した「夢」である売上高10兆円への道は険しい。芳井社長はさらなる成長への土台を固め、次なる後継者にバトンを渡す役割を全うする。
(仲井成志)
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