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血気に投資家の心意気 信越・金川哲学に経営者は学べ

信越化学工業の経営を社長、会長として33年間率いた金川千尋氏が1日死去した。同社の企業価値を高めて世界の投資家から高い人気を得たカギは、日本の経営者に希薄なアニマルスピリッツ(血気)だった。

金川氏が社長に就任したのは日経平均株価が1989年末に3万8915円の史上最高値をつけた翌90年。日経平均は89年末から3割以上低い水準に沈んだままだが、信越化学の株価は10倍に迫る。株式時価総額は昨年末で6兆7000億円弱。89年末に200位以下だった国内の順位は15位に浮上した。

市場からの評価は、個人投資家として株式投資にのめり込んだ経験と切り離せない。1950年に東大を卒業して極東物産(現三井物産)に入社した頃から売買を続けた。大損に懲りてやめたものの、市場心理には精通していた。だからこそ、経営者が陥るワナを投資家目線で警告できた。「今はダメだけど100年の大計があるなんていう経営はごまかしている。今がダメなら先もない。私が投資家でも信用しない」

「私のボスは株主だけ」との発言も残る。市場の声にも敏感で、「ためにする批判はどうでもいいが、まともな批判は受けて反省すべきだ」と、個人投資家の要望が強かった売買単位の引き下げなどはためらわなかった。自社の株だけではない。証券会社の引き受け担当者が「面白い銘柄はないのか」と問われ、「私は資金調達担当なので」と逃げようものなら「証券会社の人間が株を見ていなくてどうする」とどやしつけられた。相場の動きを探って経営のヒントを見つけようとしていた。

投資家心理に刺さったのは横並びを嫌う経営姿勢だ。「容易な事業はみんながやるから競争も激しい。苦労してでも狭い門を行くべきだ」。不況期の投資で鳴らした米国の塩ビも、半導体製造に使う最先端のフォトレジストも、攻めの発想で市場シェアを広げた。

独創性にこだわる哲学は、米フィンテック大手ペイパルを創業し、ベンチャー投資家としても市場に信奉者が多いピーター・ティール氏とも重なる。いわく「競争は敗者がするもの」。消耗戦をしても、利益率が落ちるだけだ。独自の市場を創れば高く売れて利益率が高まり、次のイノベーションに資金を投入できる。1990年代半ばまで1ケタ、よくても10%台そこそこだった信越化学の営業利益率は22年3月期、30%を超えた。

金川氏は日本株が魅力を高めるための処方箋を「企業家自身がカラ元気でもいいので元気を出すことだ」と強調していた。戦時中の連合艦隊司令長官、山本五十六の「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」という名言を好んだ。

もっとも、敗戦の惨めな体験で得た信条は「国に頼ってはいけない」。商社の仕事にも嫌気が差し、自ら投資してモノをつくりたいと転じた先が信越化学だった。後に「今ならベンチャー企業を設立していた」とも書き残している。

横並びやお上頼みという、経済が右肩上がりの時代にしか通用しない風土を捨て、イノベーションを起こさなければ後がない「日本株式会社」。今こそ光る金言を数多く残した、市場とモノづくりの両刀遣いだった。