
ウクライナ情勢が泥沼化したまま越年し、中国は新型コロナウイルスの遅れた感染爆発のただ中にある。分断と不穏で始まった2023年の世界で「大国」の地位固めに動き出した国がある。
「あなた方の声はインドの声であり、あなた方の優先課題はインドの優先課題だ」。インド政府が12~13日にオンラインで主催した「グローバルサウスの声サミット」。招待した約120の途上国が10の分科会で討議に臨んだなか、開幕セッションで演説したモディ首相は「グローバルサウスの声を増幅して届ける」と語りかけた。
インドは今年、20カ国・地域(G20)の議長国を務める。地政学上の緊張や食料・燃料価格の高騰、地球温暖化など、世界を覆う問題の多くは先進国に責任があるのに、被る影響は自分たちの方が大きい、という不満が途上国にはある。現代版「南北問題」の解決へ、モディ氏は多数派の代表として臨む姿勢を鮮明にした。

自信には裏付けがある。国連推計で14億人を超えた人口は今年、データが残る1950年代以降で初めて中国を抜き、世界最大となる。国際通貨基金(IMF)によれば、昨年の国内総生産(GDP)は旧宗主国の英国を上回り、世界5位に浮上した。アジア開発銀行(ADB)は今年の成長率を7.2%と、域内46カ国・地域で最も高いと予測する。
内需の潜在力に、米中対立やコロナ禍を経たサプライチェーン(供給網)多様化の追い風が吹く。米アップルは主に中国で生産してきたiPhoneの最新機種「14」をインドで組み立て始めた。台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業は印資源大手と合弁で、半導体のインド生産に動き出した。日本企業も例外ではない。今後の海外展開の有望国を聞く国際協力銀行(JBIC)の調査で、22年度はインドが3年ぶりに首位へ返り咲いた。
GDPは25年にドイツ、27年には日本を追い越し、米中に次ぐ世界3位に躍り出そうだ。モディ首相は独立100周年の47年までに先進国入りすると公言している。
インドパワーの台頭は人材面にも及ぶ。米マイクロソフトのサティア・ナデラ最高経営責任者(CEO)、米アルファベットのスンダー・ピチャイCEOなど、若くして海を渡ったインド出身者たちが米IT大手の経営を担う。ハリス米副大統領やスナク英首相のようにインドにルーツを持つ政治家の活躍も目立つ。華僑の陰に隠れがちだった印僑が世界を動かし始めている。
大国然としたインドの振る舞いはしかし、最近までは空回り気味だった。

コロナ禍では中国のワクチン外交に対抗すべく、「世界の薬局」を標榜して国産ワクチンの輸出に乗り出したものの、自国内の感染爆発への対応を優先して唐突に中断し、供給先から不興を買った。
極めつきは昨年2月のロシアのウクライナ侵攻への対応だ。20年にヒマラヤ山中の国境地帯で衝突して以降、軍事侵攻をちらつかせる中国を、インドは「領土保全と主権の尊重」を盾に激しく非難してきた。なのにロシアの明確な国際法違反には口をつぐんだことで、国際社会に論理矛盾を露呈した。
インドは非同盟外交で知られるが、近年はお膝元の南アジアへの中国の進出を食い止めようと、日米やオーストラリアと4カ国枠組み「Quad(クアッド)」で協力を深め、独自のインド太平洋戦略を掲げる欧州にも接近してきた。米国が中国との競争を「民主主義VS専制主義」と位置づける構図下で、同じ民主国家の一員でもある。
歴史的にロシアと盟友関係にあるとはいえ、隣国への侵攻の暴挙を目の当たりにして、戦略的にも価値観的にも利害が重なるはずの我々の側へ、なぜもっと近づこうとしないのか――。米欧や日本は驚きといら立ちを隠さなかった。
昨年3月から4月にかけ、岸田文雄首相やジョンソン英首相(当時)、欧州連合(EU)のフォンデアライエン欧州委員長らが入れ代わり立ち代わりインドを訪れ、バイデン米大統領もオンラインで緊急の首脳会談に臨んだのは、同調を迫るためだった。

モディ氏が9月、ロシアのプーチン大統領との会談の際、報道陣のカメラの前で「いまは戦争の時代ではない」と発言すると「盟友への苦言」として反響を呼んだ。
ただし米欧日の働きかけが奏功したとみるのは早計だ。インドは8~9月にロシアの軍事演習に参加し、ロシアによるウクライナ東・南部4州の併合宣言に対する10月の国連非難決議はまたも棄権した。侵攻後に急増したロシア産原油の輸入は、9月以降は日量100万バレルを超え、イラクやサウジアラビアに代わって最大の調達先となった。主要7カ国(G7)が制裁の一環で始めたロシア産原油の上限価格設定にも協力を拒んでいる。
さすがにロシアを支持はしないが、中立を唱えるだけで、口先介入を超えた仲裁に動くわけでもない。それでも一時の米欧日との気まずいムードは去り、存在感は増したようにみえる。いわば焼け太りである。「姿勢を変えたのはインドではなく米欧日の側。説得しても自陣営に引き寄せるのは無理と気づき、むしろ追い込みすぎて相手陣営に押しやっては元も子もない、と考えた」と防衛大学校の伊藤融教授はみる。

インド外交の基点が対中抑止にあるのは間違いない。スブラマニヤム・ジャイシャンカル外相は、20年に発刊した著書で「過去から受け継いだ3つの大きな重荷がある」としたうえで、1947年のインド・パキスタンの分離独立で人口面でも政治面でも国家としての力がそがれ、中国により広い戦略的空間を与えてしまったことを真っ先に挙げている。
その原点に立ち返れば、米欧日が当初考えた「こちら側」と「あちら側」の線引きには、2つの思い違いがあったといわざるを得ない。
ひとつは海と陸の線引きだ。「真珠の首飾り」と称される、自国を包囲するような中国のシーレーン(海上交通路)戦略へのけん制が、インドにとってのクアッドや欧州との協力の意味である。他方、カシミール地方の領有権を争うパキスタン、米軍撤退でタリバン政権が復活したアフガニスタン、軍事クーデターが起きたミャンマーなど周辺の陸上で増す中国の影響力抑止には、米欧日との関係はほとんど役に立たない。
「中国という強権国家に対抗するため、もう一方の強権国家であるロシアの力を利用するのがインド外交」とインド経済研究所の菅谷弘主任研究員は分析する。
もうひとつは「同じ民主国家」という線引きであろう。19年8月に突如強行した北部のジャム・カシミール州の自治権剝奪、不法移民への市民権付与や「国民登録簿」からのイスラム教徒の除外など、与党・インド人民党(BJP)の「ヒンズー至上主義」を背景に、モディ政権は宗教的少数派への弾圧を強めてきた。
状況は中国の新疆ウイグル自治区のイスラム系住民迫害と大差がない。スウェーデンに本拠を置くV-Dem(多様な民主主義)研究所は20年の年次報告書で、インドを「メディア、市民社会、野党勢力が自由に活動できる領域が極端に狭まり、民主主義のカテゴリーから脱落寸前」と評し、翌21年には「選挙民主主義」から「選挙権威主義」に格下げしている。
ただでさえ「戦略的自律外交」を掲げて独自路線を好むインドと、戦略や価値観が必ずしも一致しない現実を、米欧日は思い知らされたはずだ。
先週のグローバルサウスの声サミットは、1955年にインドネシアの都市バンドンで開かれたアジア・アフリカ会議を思い起こさせた。違いを挙げるなら、当時はインドのネール、中国の周恩来という2人の初代首相が手を携えて実現させたが、今回はインドが単独で開催にこぎ着けた点だろうか。オンラインとはいえ、120カ国以上が応じたことは、人口面でも政治面でも力を蓄え直した、インドの存在感の高まりを物語る。
ジャイシャンカル氏は先の著書で「インドの台頭は、必然的に中国の台頭と比較される。たとえその理由が、後者が先に生じたためだけだったとしても」と強烈な自負と対抗意識をのぞかせている。
中国の場合、グローバル経済に組み込まれ、政治意識の高い中間層が厚みを増せば、いずれ民主化に向かうはず、という国際社会の期待は裏切られた。中国とは違い、もとより「世界最大の民主国家」をうたうものの、その名実を乖離(かいり)させながら大国化へひた走るインド。言われて久しいアジアの世紀が、インドの世紀を意味するようになったとき、世界にとってより厄介な存在となりかねない予感が漂う。
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