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ハイパーインフレの教訓 ドイツの悲劇から100年 経済部長 高橋哲史

ちょうど100年前の1923年、世界の経済史上に残る悲劇が起きた。ドイツのハイパーインフレである。

1月11日にフランスとベルギーの軍隊が、石炭の産地でドイツ工業の心臓部であるルール地方を占領した。第1次大戦に敗れたドイツが賠償の義務をきちんと果たしていない、というのが理由だった。

ドイツ側はストライキで抵抗する。通貨マルクをどんどん刷り、職場を離れた労働者にばらまいて生活を支えようとした。

ただでさえ巨額の賠償金をまかなうため、国債を大量に発行していたときである。戦中から始まっていたインフレは止まらなくなり、マルクの価値は23年末までに戦前と比べて1兆分の1以下に落ち込んだ。

「1杯5000マルクのコーヒーが、飲み終わったときには8000マルクになっているのだ」。ドイツ経済の混乱を克明に追ったジャーナリストのアダム・ファーガソン氏は、著書「ハイパーインフレの悪夢」(黒輪篤嗣・桐谷知未訳)で当時の異常な状況をこう記す。

政府が野放図に国債を発行し、中央銀行がお札を刷って引き受ける。それを続ければ通貨は信用を失い、やがて紙くず同然になる。ドイツを襲った天文学的なインフレは、起こるべくして起こった。

もっとも、当時の人々は必ずしもそう思っていなかったようだ。「食べ物や衣服の値段が上がっているのであって、通貨の価値が下がっているのではないと受け止めていた」。ファーガソン氏の著書にはこんな記述がある。

値上がりするモノを買うために、人々はたくさんのお金を必要とした。紙幣はすぐに足りなくなり、印刷が追いつかなかったという笑えない話まで伝わる。お札を刷れば刷るほどマルクの価値は下がり、インフレが加速する悪循環に陥った。

モノの値段が上がっているのか、それとも通貨の価値が下がっているのか。コインの裏表だが、どちらをみるかで打つべき対策はちがってくる。ドイツはそこをまちがい、国民の生活を奈落の底に突き落とした。

現代の日本にとって、遠い過去の話と言い切れるだろうか。

消費者物価指数(CPI)の上昇率は2022年4月に、日銀が目標とする前年同月比2%を超えた。それでも日銀は原材料の値上がりに伴う一時的な物価上昇だとして、米欧が利上げに動くなかで異次元緩和を修正しなかった。

結果として起きたのが、急激な円安だ。円相場は10月に、一時32年ぶりとなる1ドル=150円台に下げた。円安は輸入物価を押し上げる。それもあって、12月に東京都区部のCPI上昇率は4%に達した。40年8カ月ぶりの高さだ。

日銀は長期金利の上限を0.25%から0.5%に引き上げる事実上の利上げに追い込まれた。円資産からお金が逃げ出すキャピタルフライト(資本逃避)への懸念もあったにちがいない。

円安に歯止めがかかり、危機は遠のいたようにみえる。しかし、楽観はできない。財政の借金依存は少しも改善していないからだ。

23年度予算案の一般会計は過去最大の114兆円に膨らんだ。その3割を国債に頼る。政府が発行した国債を、日銀が買い続ける構図は変わらない。円はいつまでも価値を保てるだろうか。

100年前のドイツからくみ取るべき教訓は多いはずだ。

経済部長(経済・社会保障グループ長) 高橋哲史
大蔵省(現・財務省)を振り出しに霞が関の経済官庁や首相官邸、自民党、日銀などを取材。中国に返還される前の香港での2年間を含め、計10年以上に及ぶ中華圏での駐在経験をもつ。2017年4月からは中国総局長として北京を拠点に中国の変化を報じ、21年4月に帰国した。