企業に就職後に早期離職する若者が増えている。その中には組織の中で生きる厳しさに戸惑った人も少なくないだろう。自分を見失わずに働くにはどうすればよいのか。銀行員の主人公、半沢直樹が活躍する小説「オレたちバブル入行組」など、組織の中で生きる人物を描く作品で知られる作家の池井戸潤氏に聞いた。
自身も組織も「何か」問う
――1988年に大手銀行に入行しました。どんなサラリーマン時代でしたか。
「最初に勤務したのは大阪の支店。ノートをつくって同じことを2度、上司や先輩に質問しないようにしていた。ただ、組織の中にいると目標を与えられて、その達成に向けて仕事をこなすだけになりがち。自分の目が届く範囲内で完結してしまう」
「会社は荒波にさらされているのに、自分の状況とリンクしなくなる。大企業の中での危機感のない仕事ぶりはよくなかったなと思う」
――サラリーマン時代を踏まえ、これから社会に出る若者に伝えたいことは何ですか。
「社会人になるのは『会社人』になるのと同じではない。会社人は言われたことをこなし、家族を養えるぐらいは稼いで、定年退職し、あとは年金生活。そこに疑問を抱く人もいるだろう」
「ただ、定年間際になって、自分は何ができるのかと考えるのでは遅すぎる。これから社会人になる学生は、まだ間に合う。会社の仕事だけで目いっぱいになるのではなく、自分の力で生きていけるスキルを身につけてほしい」
――組織の中で自分を見失わない生き方をするにはどうすればよいでしょう。
「組織の中で自分を見失わないために『自分とは何か』を問い続けてほしい。ただ、その前に肝に銘じてもらいたいことがある」
「まずは一生懸命に働くことだ。そして周囲の人への気遣いやリスペクト。それに強さも必要だ。組織の中で働くと、気が合わない人もいるだろうし、取引先とのトラブルもあるかもしれない。それでも折れない強さが求められる。あとは勉強ができるという意味ではない、"人としての賢さ"だ」
「まず、これらの基本的な人間性を身につけて、自分を律しながら社会人としてのスタンスを学んでほしい。そのうえで『自分らしさ』を出せるかどうかだ。自分が与えられた仕事の中で、次につながる、キャリアのステップになるようなスキルを自分の中に蓄えていけばよいと思う」

――自らはスキルを磨き、次のステップとして銀行を辞める選択をしました。
「ただの銀行員。辞めてしまえば、看板も信用もない。あるのはスキルだけだった。お金を貸すスキルは負けない。それに文章を書くのは得意。この2つを合体させ、『お金を借りる会社の心得 銀行取扱説明書』という最初の本を書いた」
「当時、どうやって食っていくのかを真剣に考えた。この経験があるから、お金のない人の気持ちがわかるし、勤めていた会社を辞めた人への助言もできる。それが小説にも生きている」
――組織の理不尽さに屈しない小説の主人公の姿に共感する読者が多かったから、「半沢直樹」シリーズはヒットしました。
「エンターテインメント作品だから、(半沢直樹の)まねをしないでくださいといつも言っているが、あの作品には、当たり前のことを当たり前に言えなかったり、できなかったりするのが組織だというニュアンスがある」
「当たり前のことを当たり前にやることは、実はなかなか難しいのが世の中だ。映画になった『アキラとあきら』や『シャイロックの子供たち』(公開予定)も偶然、銀行の話。それらを通じ、若い人が組織とはどんなものかを想像してもらっても構わない」
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若者たちが今春から所属する企業や団体で自分を見失わずに働き続けるためにも、仕事の中で「自分には、これがある」と言えるスキルを磨くことは強みになる。終身雇用や年功序列のような従来型の働き方が変容しているからこそ、いつでも所属する組織から飛び出していけるスキルと自信があれば、今の組織の中で働く選択をしたとしても不安は払拭できる。
今春、社会に出てゆく若者たちが「自分とは何か」を仕事の中で見つける作業がまた始まる。(山根昭)
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