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危機と分断の時代 問題の「根」を探り向き合う時 猪木武徳・大阪大学名誉教授

旧年は疫病、戦争、異常気象が続く恐れと不安が入り交じった苦難の年であった。新年はそうした厳しい状況をそのまま引き継いだ状態でのスタートとなる。困難な状況に適切に対応するためには、漠然たる不安と恐れの内実をできる限り明確に言葉と文字にし、問題の「根」に向き合うことが必要であろう。そうした作業こそが希望への確かな道に通じると信じる。

人口、経済、政治は相互に密接に連関している。それらの関係を意識しながら、人口減少の政治的意味、経済政策のジレンマ、デモクラシーにおける言葉の劣化の3点について日本と世界の動きを考えてみたい。

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人口の減少と高齢化はひとり日本だけの問題ではない(図参照)。中国の合計特殊出生率は1.2を切り日本より低くなった。文化大革命時代までは6前後であり、食糧不足問題の解消策として「一人っ子政策」が1979年に導入された。しかしその政策も、経済成長に伴う労働力不足と賃金上昇とともに放棄され、3人目が認められるようになった。そして様々な出産奨励策が導入されている。

10年ほど前までの2桁台の経済成長率を記録した時期の中国は、外需(貿易黒字)で経済をけん引し、驚くべきスピードで経済大国に躍り出た。しかし不動産やインフラ投資のバブルによって経済は傷つき、国内消費中心の内需で成長軌道を走り続けることは難しくなった。経済成長率の低下は、移民と外国人労働者の流入を強く規制しているため、労働力不足と賃金上昇によるところが大きい。

ロシアでも、20世紀末には出生率は一時1.2程度まで落ち込み、2人以上の子供を持つ親に多額の給付金を支給する政策を打ち出した。その後多少の回復を見たものの、人口減少に対しプーチン政権が抱く懸念は相当強そうだ。兵力の不足と専門的職業人が国外に流出する傾向に相当な危機感を持っているのだ。

このように中国もロシアも、生産年齢人口や経済活力に関する指標を見る限り将来は明るくない。何事につけ膨張や成長は好循環によって達成されるが、いったん縮小局面に転じると多くの困難が立ち現れる。習近平(シー・ジンピン)国家主席の専制体制による膨張主義も現代ロシアの帝国主義も、人口の減少と経済の停滞から来る将来の統治への不安がもたらした「暴走」という面がある。

日本政府も出生率低下への対策として、出産育児一時金の50万円への増額を打ち出した。短期的な効果はあろう。しかし若者が将来への明るい見通しを持てなければ、人口動態の基本趨勢を逆転させることはできないのではないか。中国でも、激しい教育競争と教育投資への過剰な期待がある。そうした社会では、教育費の高さが少子化の原因のひとつとなるのは確かだ。その是正策として、一部の「学習塾」の強制閉鎖などの直接的な対策に乗り出しているところが中国政府らしい。

問題の「根」を探るためには、多くの若者が結婚と出産に憧れを持てないのはなぜかを問うことが必要だろう。結婚は人生の唯一の目的ではない。しかし家族がもたらす正のイメージを個々人が描けない限り、リベラルデモクラシー国家における出産への政府介入策の効果は期待できない。

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新型コロナウイルスへの対応には、経済政策としていずこの国も積極財政を余儀なくされた。コロナが一定の収束を示す段階に入ると、財政規律のあり方についての長期的視野に立つ検討が不可欠になる。欧米でコロナへの警戒感が弱まったことで、公的債務は多少減少傾向にあるが、依然高水準で推移していることに変わりない。高水準の公的債務はインフレの起爆剤となり得ることを忘れてはならない。

世界的に進行しているインフレが一過性のものか、それとも執拗な慢性インフレへと進むのか。今後、防衛費や経済再建へ大量の資金が必要とされるなか、財政規律の問題にどのようなスタンスで臨むのか。まずはインフレの性格を見極める必要がある。政府、経済学者、エコノミスト、中央銀行、いずれも完全な理解と知識を有するわけではない。しかし日本の金融当局が大規模緩和を続けるのであれば、その根拠がより明確に語られねばならない。

国民がインフレへの漠然とした不安を抱えたままの状況で、量的緩和を続けると主張するだけでは政策転換(「君子は豹変す」の英断)の可能性を閉ざしてしまう。日銀は2022年12月、政策に一部修正を施したが、その狙いの事後的説明は国民に届いているのだろうか。誰も正解を知り得ない状況では、特に言葉での説得の技術が求められる。政府の債務残高の国内総生産(GDP)比率が250%を超える公的債務大国日本は、そのことを十分自覚する必要がある。

インフレ高進のきっかけはある種「ロシアンルーレット」のようなものだとすれば、1千兆円超の国債の半分は日銀が保有しているという事実がどれほどの安心材料なのだろうか。

膨張の一途をたどる日本の公的債務は、金利が極端に低いうちは将来の負担は軽そうに見える。しかし金融当局は、直感以外のいかなる論理に「賭けている」のか、それを言葉で明らかにすることこそが、たとえ失敗であれ、信頼を得る最善の道なのではなかろうか。

われわれは言葉で思考しているが、言葉で不安の「根」を探ることは容易ではない。およそ言葉で何らかの感情や考えを公的な場で表す者は言葉の重さを自覚しなければならない。言葉は人を結び付けるだけではなく、時に人を遠ざけ、分断する手段ともなりうる。

いのき・たけのり 45年生まれ。京都大経卒、MIT博士。専門は労働経済学、経済思想

世界の安定と秩序のために言葉への信頼がどれほど重要かを改めて考えておきたい。デモクラシーの土台は言葉への信頼から成り立っている。フェイクニュース、ウソ、根拠の薄い主張が、自由と平等を理念とするデモクラシーの土台を徐々に侵食することを警戒しなければならない。「借りまくる、貸しまくる、絶対大丈夫だから」という社会の雰囲気、つまり超楽観主義もウソとなり得る。言葉の信用の毀損は、市場社会の交換の正義を辛うじて守る貨幣の価値毀損へとつながっているのだ。

デモクラシーの柱の一つは言葉への信頼である。その信頼が崩れたとき何が起こるのか。人間がレンガで天に達する塔(バベルの塔)を共同作業で造ろうとしたとき、この野望に対し神が作業中の人々の間で互いに言葉が通じないようにさせたという話は、とても大昔の遠い国の物語として済ますことはできない。言葉が混乱すると政治が混乱する。「名を正す」ことが政治の要諦であることは今も昔も変わらないはずだ。

新年に当たり、われわれへの試練として与えられた難問を直視し、書き手や話し手による自己検閲で軽くなった言葉への信頼を取り戻す力が生まれることを願いつつ、明るい長期的シナリオをゆっくり描いてみたいものだ。