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自然×観光、貫く現場主義 霞が関去って縦割り崩す

12月中旬、大正大学准教授の岩浅有記さん(43)は沖縄県名護市の海沿いで自転車をこいでいた。「車で走ったことは何度もあるが、また違った景色に見えた。埋もれている自然の観光資源はまだまだ日本中にある」と笑顔を見せる。

沖縄本島北部は2021年7月、奄美大島などと共に世界自然遺産となった。環境省の官僚時代、遺産登録に向けて尽力していたころには見えなかった魅力を感じた。

「やんばる」と呼ばれる広大な照葉樹林を体感し、琉球王国時代の城跡で文化を学習、沖縄の原風景の残る集落で住民と触れ合う。岩浅さんはこうした「アドベンチャーツーリズム(体験型観光)」のツアーコースの立案に関わり、助言する。

活動の原点は生まれ故郷・徳島県にある。実家近くにあった美しい棚田が、人の手が入らずにどんどん荒れていった。人間が何もしないまま景観が失われていくことに強い危機感を持った。

海沿いを自転車で走ると、車とは違った光景が目に映るという(岩浅准教授は右から2人目)=沖縄県名護市

03年に環境省に入省。まもなく新潟・佐渡島でトキの試験放鳥に取り組んだ。そこで、ただトキや自然環境を「保護」するだけという考えに違和感を持ち始めた。

現状を守るだけでは、自然が社会に果たす役割が分からない。今では地域の一員となったトキも、保護のための減農薬農業などへの取り組みに「なぜそこまで」と疑問の声も上がっていた。

「自然保護は大事だと分かっていても、自分には関係ないと思う人が多い」。自然を生かす地域づくりに取り組みたいという思いが芽生えた。

その思いは、霞が関に戻ってから結実する。国土交通省に出向中の15年、閣議決定された国土形成計画などに初めて「グリーンインフラ」という考え方を盛り込んだ。

自然には防災・減災にも資する多様な機能があるから活用すべきだと訴えたかった。木々を育てた「防風林」や豪雨時に水をためる「遊水池」を整備するなど「100年のスケールで見て考えてほしい」と呼びかけた。

実現までの100年をどう使うか。そんななか出合ったのがアドベンチャーツーリズムだ。自然を理解し観光に生かす――。欧米を中心に世界で広がりつつあった。

「自然の価値を発信すれば、おのずと再生・活用につながる」。観光資源となれば、利益を上げる仕組みもつくることができる。だが関係省庁は多いものの横断的な組織はなく、環境省だけでできることも限られた。

21年3月、沖縄から霞が関に戻るタイミング。大学での後進育成など「外」でできることも見つけた。「現場に立ち続けたい」との思いも退職を後押しした。

公務員というレールを外れた岩浅さんは、自ら道を開き始める。

20年近くに及ぶ官僚時代は活動範囲が原則、配属される地域や部署に限られたが、退職後はよりよい自然活用を実現するため、離島を含めた全国各地を飛び回った。

大学で教壇に立つ傍ら、長崎県対馬市で海洋ごみを資源に再生する新技術を用いた環境づくりなどを助言するほか、佐渡市や徳島県阿南市などで自然を守り、生かすアドバイザーとなった。

立場を変え、霞が関にも戻った。内閣府や観光庁で自然や観光について助言する有識者の一員に。「『熱く』語り合う仲間の輪が広がっていくのが楽しい」。岩浅さんは省庁だけでなく、地域を越えたネットワークの「ハブ」になりつつある。

沖縄での視察には、北海道のアドベンチャーツーリズムの専門家を始め、古巣の環境省、旅行会社、国際機関の関係者らが参加した。

貫いた「現場主義」。縦割りを越えた先に、地域の人や専門家など様々な立場の人が互いの強みを生かしながら、豊かな自然の景観を活用し守っていく未来を思い描いている。

文 秦明日香

写真 沢井慎也

体験型観光、欧米で発展

国際機関「アドベンチャー・トラベル・トレード・アソシエーション」(ATTA)によると、アドベンチャーツーリズム(体験型観光)は「自然」「アクティビティ」「文化」の要素のうち、2つ以上で構成される旅行・観光と定義している。欧米で発展し、2012年には2630億ドルだった市場規模は、17年には6830億ドルにまで伸びたと推計される。
日本は国際サミットを誘致し、23年には対面ではアジアで初めて北海道で開くことが決まるなど、各地で取り組みが広がりつつある。ATTAとジョージワシントン大学国際観光研究所がまとめた「アドベンチャーツーリズム開発指標2020」では、国別の競争力ランキングでアジア勢で唯一20位以内に入ったものの、18位にとどまる。