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変わる「駅まで10分」、マンション広告も消費者意識も

「駅まで徒歩10分」――。新聞のチラシや電車内などでよく見かける不動産の広告が最近、変わった。業界団体が駅から物件までの所要時間などに関する計測方法を規約で見直し、最大で5分程度の違いが出てくる。コロナ禍を経て生活者の住みたい場所への考え方に変化が見られるなか、「近い」と感じる距離はどのように変わっていくのだろうか。

東京・練馬にあるマンション「ブリリアシティ 石神井公園アトラス」。同物件を分譲販売する東京建物は今夏、広告を書き換えた。以前は「西武新宿線 上石神井駅まで徒歩12分」「西武池袋線 石神井公園駅まで徒歩20分」だったが、それぞれ「12~16分」「20~25分」とした。

不動産広告規約、2つの大きな変更

不動産各社が加盟する不動産公正取引協議会連合会が不動産広告に関する規約を改正したのは9月。大きく2つの点が変わった。

1つは物件から駅までの所要時間の表記だ。従来は、マンションの敷地内で最も近い場所を起点として時間を算出すればよかったが、今回、建物の出入り口からの時間を明示することを義務付けた。複数の棟がある物件の場合、最も遠い棟からの所要時間を表記することが必要になった。

もう1つは、公共交通機関を使った通勤時間に関する表記だ。これまでは最短の時間を表記すればよかったが、9月以降は基本的に、朝のラッシュ時の時間を表記するよう定めた。乗り換えが発生する場合は、乗り換えにかかる移動時間や待ち時間を含まなければならない。これにより多くの物件では、従来物件と比べて最大5分程度の差が生まれることになる。

規約を見直したきっかけは、不動産業者から「時代に合った広告のルールに変えてほしい」と声が上がったことだった。現在はスマホアプリなどで簡単に移動時間を調べることができる。実態に即さなければ、顧客からのクレームにもつながる。

実際、2021年春にマンション購入を検討した都内の会社員男性(35)は「広告の所要時間はあてにならなかった」と話す。「実際に現地に行って歩いてみると、表示された時間で行けることはほとんどなかった」

不動産選びにおいて、駅までの所要時間や会社までの通勤時間は大きな判断材料の一つだ。一般的にマンション選びでは駅まで徒歩10分を目安に、ニーズが変わるとされてきた。今回の見直しによって、不動産市場に大きな変化が生まれるのだろうか。

リクルートSUUMO新築マンション編集長の柿崎隆氏は「より実態に即した距離感を示すことになるので、ネガティブな影響はそこまでない」と指摘する。実際、東京建物は「ブリリアシティ 石神井公園アトラス」の広告表示を8月下旬に変更したが、現時点で顧客から不満の声などは届いておらず、販売への影響はないという。

一方で、首都圏不動産公正取引協議会の担当者は「中古住宅では影響が大きい可能性がある」と話す。例えば、かつて10分以内で人気だった物件が表示の見直しで10分を超えてしまえば、資産価格に影響が出る可能性があるからだ。特に大規模複合マンション開発で敷地面積が広い物件で注意する必要があるようだ。

生活者が「近い」と感じる距離・時間も変化

距離と資産価格の関係でいえば、今後は広告表示ルールの変更以上に消費者心理の変化を気にする必要があるとの見方もある。

JR東日本傘下のジェイアール東日本企画(東京・渋谷)で移動について研究をしているムーブデザインラボの中里栄悠プロジェクトリーダーは「社会のデジタルシフトで外出せずにできることが増えたことで、物理的な距離に関する生活者の意識が大きく揺らいでいる」と指摘する。同社の調査によると、生活者の約4分の1が「同じ場所でも心理的に遠く感じるようになった」と感じていることがわかったという。徒歩10分ですら遠いと感じる人が増えれば、距離と不動産価格の関係性は現在のものとは変わってくる。

また、同社の調査によると「移動の時間はできるだけ短くしたい」と考えている人は約7割にのぼる。「近いということの価値は不変」(中里氏)だ。

駅までの物理的な距離の近さに加えて、商業施設や飲食店などが集積していることによる利便性と治安の良さが、その背景にある。新たに生活者の間で合意形成されてくる「近い」距離とは「徒歩何分」になってくるのか。今後の物件開発・販売に影響を与えることになる。

勤務先と自宅の間の移動時間についても、広告表示が変わるだけではなく、「長い・短い」と感じることへの重要度が変わってきそうだ。都内の会社で働く28歳の女性は今年、夫と2人で千葉市に転居した。これまでは23区内に住んでいたが「テレワークができるならば、(同じ賃料で)広い部屋に住みたい」と転居を決めたという。

リクルートのSUUMOが首都圏の新築マンション契約者を対象に実施している調査によると、21年度調査では「住まい探しにあたって求めた暮らし方のイメージ」で、「仕事や通勤に便利」を求める割合は前年度比4.1ポイント減の31.2%だった。

一般的にこれまでは職場のある駅から自宅の最寄り駅までが30分圏内にある物件が人気とされてきた。働き方改革で在宅勤務が増えれば、通勤時間をあまり気にせず、郊外の住宅でよいという人が増える。その場合、人気エリアは分散化し、不動産価格にも影響が出てきそうだ。

坂道・信号考慮せず、実際に歩いてみると…

そもそも、駅までの徒歩の所要時間はどのように算出されているのだろうか。業界団体の規約を見てみると、実際に歩く距離を測定し、80メートルを徒歩で1分かかるとして計算している。信号待ちや踏切などは含まず、道の傾斜も考慮しない。駅までの所要時間を測る場合は、改札ではなく駅の出入り口から計測するルールだ。
そこで今回、記者2人が実際に歩いてみることにした。対象としたのは「ブリリアシティ 石神井公園アトラス」。西武池袋線の石神井公園駅から歩く。規約と同じように信号待ちの時間を除き、20代の男性記者(身長180センチメートル)が歩いたところ、駅から1番遠い4号棟との間でかかった時間は22分15秒だった。
一方で30代の女性記者(身長160センチメートル)が歩いてみると、23分20秒。20~25分という広告の表示は実態に即していると言えそうだ。
一方で、「自宅と駅の間に大きい交差点がある場合、所要時間は大きく変わってしまう」と不満の声も耳にする。今回も、途中にある2つの信号の待ち時間を含めて計測してみたところ、女性記者の場合、24分18秒かかった。
坂道のあるなし、信号の数などによって実際の所要時間は大きく変わる。また、距離を測るルートも「徒歩ルートはゼンリンの電子地図でいくつか経路を確認して最短距離で算出している」(不動産会社)。多少遠回りでも明るくて夜間に歩きやすい別のルートがあるといったことは現地に下見にいったり、実際に住んでみたりしないとわからない。
ちなみに不動産広告の規約ができたのは1963年で、分速80メートルという基準は約60年間変わらないままだ。性別や年齢による歩く速さの違いも考慮されていない。
この点について首都圏不動産公正取引協議会は「男女の体格差や高齢化といった話も理解できるが、基準変更で全物件を測り直すのは現実的に難しい」と語る。デジタル化が進み、オンライン内見などが広がっても、距離感は実際に行ってみないことにはわからないというのは昔と変わらないようだ。
(山口和輝、長田真美)