· 

東京暮らしのジャック・マー氏 たそがれの新自由主義 経済部長 高橋哲史

中国のネット大手、アリババ集団を創業した馬雲(ジャック・マー)氏に東京で会った関係者は「ちょっと疲れたようすだった」と印象を語った。

むりもない。馬氏が「すぐれたイノベーションは監督を恐れない」と発言し、中国共産党の怒りを買ったのは2年前の2020年秋。それ以降、馬氏は公の場に姿をみせなくなった。当局の監視下に置かれ、一時は出国もままならなくなったとうわさされた。

その馬氏が、半年近く東京で暮らしているという。中国では習近平(シー・ジンピン)指導部が「共同富裕」の名の下に、巨大なIT企業や富豪への締めつけを強める。馬氏の居場所はなくなった。

江沢民(ジアン・ズォーミン)元国家主席が11月30日に死去したニュースも、東京で聞いたかもしれない。

馬氏と江氏には浅からぬ縁がある。馬氏のような私営企業家はかつて「資本家」とみなされ、共産党員になれなかった。それを変えたのが江氏だった。

02年秋の党大会で「三つの代表」と呼ばれる思想を党規約に盛り込んだ。労働者や農民の政党である共産党を「人民の広範な利益の代表」と定義し直し、民間の企業家も入党できるようにした。

江氏の背中を押したのは「新自由主義派」と呼ばれる中国の経済学者たちだ。「社会主義市場経済」を発案した呉敬璉氏を筆頭に、官がコントロールする国有部門をできるだけ小さくし、市場の力をめいっぱい使って民の活力を引き出すべきだと訴えた。

オーストリア出身の経済学者ハイエクや、米シカゴ学派のミルトン・フリードマンに連なる思想だ。大きな政府を掲げたケインズ主義のほころびが目立ち始めた1980年代以降、サッチャー英政権やレーガン米政権が採り入れ、経済の再生に成功した。

鄧小平の主導で1978年に始まった中国の改革開放も、広い意味でこうした新自由主義の潮流に乗った動きと位置づけられる。

鄧の後を継いだ江沢民氏は、首相を務めた朱鎔基氏とともに経済の市場化と国有企業の改革を進めた。私営企業家の入党を認める「三つの代表」は中国式の新自由主義を新たな段階に押し上げ、中国を米国に次ぐ世界2位の経済大国に導いた。

その新自由主義がいま、世界で逆風にさらされる。一部の人に富が集中し、格差が許容できないほどに広がったからだ。

英国の欧州連合(EU)からの離脱(ブレグジット)や、米国でのトランプ大統領の誕生といったかたちでポピュリズム(大衆迎合主義)が台頭した。米欧は新自由主義を見直し、日本でも岸田文雄首相が「新しい資本主義」を掲げる。

中国は新自由主義そのものの否定にカジを切った。習近平国家主席は国有企業に大きな力を与え、経済のあらゆる分野に党のにらみをきかせる。まるで毛沢東時代の計画経済に戻ろうとしているかのようだ。

日本経済研究センターは14日、2030年代とみていた名目国内総生産(GDP)の米中逆転がもう起きないとする試算をまとめた。厳しい規制がイノベーションを阻みかねないのが理由のひとつだ。

新自由主義の申し子である馬雲氏が、中国で再び表舞台に立てる日は来るのか。その運命は、世界経済の未来にも影を落とす。

経済部長(経済・社会保障グループ長) 高橋哲史
大蔵省(現・財務省)を振り出しに霞が関の経済官庁や首相官邸、自民党、日銀などを取材。中国に返還される前の香港での2年間を含め、計10年以上に及ぶ中華圏での駐在経験をもつ。2017年4月からは中国総局長として北京を拠点に中国の変化を報じ、21年4月に帰国した。