世界の人口が80億人を突破した。大きな数字だが、増加率は鈍っている。高齢化が進み、人材の奪い合いが激しくなる。
社会の活力を保ち、持続的な経済成長を求めるなら、各自が能力を開発し発揮できる環境が重要になる。メタバース(仮想空間)を無視できないはずだ。
一人のなかに複数の経済主体
実践者はどう考えるのか。2017年にブイチューバーを始めたバーチャル美少女ねむ氏。多くの時間をVR(仮想現実)ゴーグルをかぶりアバター(分身)として過ごす。音楽イベントを開き、本を出版するなど活動は幅広い。メタバース文化の識者として政府や国連関連の会合にも招かれる。
ある夜、1時間半ほど話を聞いた。表情が豊かで身ぶり手ぶりも自然。昼間は普通のサラリーマンだが、まったく別の存在がいた。
単純労働が自動化される時代、人間はクリエーターにならざるを得ない。顔や性別、年齢を自由に変え、クリエーティブな自分を取り出せるアバターやメタバースが有効な手段になる――。ねむ氏はそうとらえる。「ひとりの人間のなかにいくつもの経済主体をつくれる。それが画期的だ」
華麗に歌って踊るといった特別な技量はいらない。例えばアバターになって誰かの話し相手になるといったことでもいいという。
クリエーターエコノミーの潮流
個人がクリエーターとして力を示す動きは世界的な潮流といえる。動画や文章、イラストの作成、グッズやスキルの販売など、特技や好きなことで対価を得るクリエーターエコノミーの国内市場は34年に10兆円を超し、21年の7倍以上になる見込みだ。
米調査会社ガートナーの予測では、26年には4人に1人が仕事や学習、交流などのため少なくとも1日1時間をメタバースで過ごすようになる。3次元空間を動き回り、気づかずにいた自分の才能を見つける機会が増えるかもしれない。とすれば「高齢化する80億人」も成長の制約とは限らない。
アバターになって経済行為をする以外の道もある。メタバース環境を整える仕事だ。
オンラインゲームの米ロブロックスは1日6000万人近くが利用する。アバターとして遊ぶだけでなく、ゲームやアイテムをつくって稼げる。その額は22年7~9月期で1億5150万ドル(約210億円)と前年同期比17%増えた。
ゲームで起業した一家
例えば米コロラド州に住む家族5人のクレメンス家は19年にゲーム会社シンプル・ゲームズを設立した。もともと古い家をリノベーションして売るのが家業だった。長男のネイサン氏(21)はCAD(コンピューターによる設計)を使っていたが、一家にゲームの専門知識があったわけではない。
4人がロブロックスで教育を受け、20のゲームを開発した。外部から8人を加えるまでに会社は成長し、いまや主たる収入源だ。
「ロブロックスのクリエーターはほぼすべて私たちのような普通の人。簡単ではないが、やればできる」。オンライン取材でネイサン氏は言った。父のジェフ氏がつけ加える。「リノベ事業で蓄えた建築や内装・景観の設計スキルがメタバースで生きている」
見逃せないポイントだ。多様な人の営みを可能にするメタバースを築くのに、現実世界での経験や知識は相当、使える。
仮想空間がキャリア形成の場に
波は日本にもおよぶ。香港のゲーム会社の傘下企業が運営し本格的なメタバースをめざす「ザ・サンドボックス」。ここで使われるキャラクターや建物、乗り物は非代替性トークン(NFT)で、クリエーターが制作し販売できる。
それぞれベン・マシュー、マスタートムの名前でクリエーターとして活動し運営会社の社員にもなったふたりの日本人がいる。かつて玩具の企画開発会社に勤め、そこで磨いたデザイン技術がサンドボックスで役に立っている。

建築家、ファッションデザイナー、空間内の名所を案内するツアーコンダクター……。「経済圏があれば、いろいろな職業、職種ができる」とベン氏。現実世界からメタバースへという職場のシフトが起こる可能性がある。
人の流れはそれだけではない。マスタートム氏は「本業が放射線技師、不動産鑑定士といった人もメタバースでの創作に取り組んでいる」と話す。新空間をキャリア形成の場ととらえる層が厚みを増す。IT人材育成のデジタルハリウッド(東京・千代田)が今秋、サンドボックスのクリエーターを養成する講座を開くと、20~30代を中心に128人が参加した。男女比は6対4だった。
本格的な経済活動には課題も
もちろん課題は多い。誰もが存分に活躍できるメタバースの実現には、かなり強力なIT(情報技術)インフラがいる。サービスの相互接続も欠かせない。運営ルールの決定権を一社で握るGAFA的な発想はなじまない。
ねむ氏によれば、メタバース内は安全、手軽にお金をやりとりする手立てが整っていない。ネット通販のギフト券をメールで送る方法が多く使われるが、それでは経済活動が大きく発展しにくい。現実の自分と切り離したアバターでも、適正で誠実な活動なら信用される仕組みがいる。
世界的な高齢化や人材不足だけでなく、自分らしく生きるウェルビーイングの追求、多様な価値観の受容といった時代の要請が交差するところにメタバースはある。日々広がり関与する人口も増えていく。どこで何が起き、どんな問題があるか。それを伝えるアバター記者もきっと必要だ。
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