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パナソニックホールディングス執行役員 松岡陽子さん 生活は人手を借りていい(3)

研究実績は積み上がっていったが、テニスロボットの完成への道は想像以上に険しかった。

私の考えるロボットの理想型はテニス選手のヒッティングパートナーのような物でした。そのためロボットにAIを組み込み、物をつかむ動作を繰り返し学ばせて。脳が人間の体を動かす方法もモデリングしました。それでもテニスができるわけではない。人間のようにテニスをするところまでは、技術や研究がいまだに追いついていません。

もはや、自分のわがままでテニスにこだわっている場合ではないと思いました。これまで学んできたものを、病気の方や体が不自由な方のために生かして、毎日の生活を手伝うことはできないか。人の助けになるロボットをつくりたいと考えるようになりました。25歳のころでした。

ハーバード大でのリハビリ用ロボットの研究を経て、カーネギー・メロン大で助教授になりました。いずれは企業で人の役に立つ物をつくりたいという思いもありましたが、一度企業に入ってしまうと教授になりにくいというアドバイスを周囲から受けていたので、まずは研究者の道を選びました。

  プライベートでは31歳で結婚した。2年後には双子の長女が誕生。2006年にはワシントン大に移り、長男を出産する。

夫も研究者です。最初の妊娠を大学側に報告したとき、「どんなルールをつくりたい?」と聞かれました。実は、カーネギー大にはこれまで出産・育児休業を経験した女性がいなかったんです。

私はすぐに仕事に戻りました。娘2人は未熟児で生まれたので、最初の3週間は入院していて。仕事の合間に母乳を飲ませるために病院に通いました。休んだ記憶はほとんどありません。

カーネギーだけでなく、次の職場でも育休制度はありませんでした。私も長く休暇がほしいタイプでもなかった。子供をおんぶしながら授業をしていた時期もありました。授業に支障がないように直前にミルクを飲ませて、ゲップをさせて、と細かくスケジュールを決めていましたね。

仕事との両立は大変ですが、子育てはとても楽しかったです。私自身は一人っ子。幼い頃遊び相手がいなくて暇だったので、たくさん子供が欲しかった。忙しくて4人に落ち着きましたが、本当は7人欲しかったんですよ。

  研究者として、母として忙しい日々を送っていた2009年、米グーグルの研究部門「グーグルX」から声がかかる。

グーグルのオファーは突然やってきました。いきなり会社に呼ばれ、そうそうたる幹部たちに進路希望などを尋ねられて。医療や生物工学などあらゆる分野で最先端の技術を研究する組織をつくるので、創設者の一人として入ってほしいという話でした。

私としても長らく大学にいる中で、消費者との距離が遠すぎることが不満だったので、良い機会だと感じました。「1年がんばってみて、嫌だったら帰ってくればいい」ぐらいの気持ちで家族とシリコンバレーに引っ越しました。

それまでと環境ががらりと変わって、職場はいきなりマンモス企業の中枢です。外から見るとゆったりした時間が流れているように見えますが、中では絶えず小さい企画が動いていました。メガネ型端末「グーグルグラス」など、初期に携わったプロジェクトが今、商品として世の中に出回り始めています。

でも、望んでいた「お客様の顔を見る」という環境とはちょっとズレていました。将来の物をつくる、5年後に成功する物をつくるという会社のビジョンからすると仕方ない部分はありますが、私は開発した商品をすぐにでも使ってもらいたかった。

そんな時にカーネギー時代の教え子に偶然出会いました。シリコンバレーで仲間とスタートアップを立ち上げるといいます。好奇心の血が騒いだ私は、あっさり転職を決めてしまいました。