· 

パナソニックホールディングス執行役員 松岡陽子さん 生活は人手を借りていい(2)

1971年、東京生まれ。理系に進んだきっかけは両親の教育にあるという。

東急不動産のデベロッパーだった父と、主婦の母のもとで育ちました。幼い頃から言われていたのは、「ユニークでいいよ」。自分らしくあるべきだと教わってきました。

今でも覚えているのは小学校の図工の授業です。校内の木の絵を描く課題でした。同級生は同じ木のもとに集まったのですが、私は他の人とかぶりたくないので、普段登っていたお気に入りの木のもとへと走りました。しばらくして、心配した先生が探しに来て、「みんなと一緒に描きなさい」と言うんです。「どの木を選んでもいい」と事前に言われていたんですけどね。

両親の考え方はとてもロジカル。特に父は物覚えが良かった。なぜすぐに覚えられるかというと、脳内にタンスのような引き出しをつくり、情報を整頓しているからなんだそうです。

父の教えを受け、私も物を覚えるときは脳内にタンスの絵をつくっていました。数学や物理が好きになったのも二人の影響です。中学生の時、理科で学年トップの成績を取ったことが自慢でした。

  幼い頃はテニスに夢中。中学校卒業後は米国に渡り、フロリダの名門「ニック・ボロテリー・テニスアカデミー(現IMGアカデミー)」の門をくぐる。

最初は水泳を頑張っていました。テニスを始めたのはけっこう遅くて、小学4年生ぐらいでしょうか。練習拠点だった荏原湘南スポーツセンター(神奈川県藤沢市)には、元プロテニスプレーヤーの杉山愛ちゃんらがいました。愛ちゃんとはすごく仲良しで、今も会うとテンションが上がってしまいます。

当時はとにかくテニスのことしか見えていませんでした。中学時代の日本ランキングは20位ぐらい。プロになりたい一心で、米国留学も自分の意思で決めました。ニック・ボロテリーはかなり厳しい練習環境でした。両親が学業との両立を望んだこともあり、カリフォルニアの高校に移ってテニスを続けました。

でも、ケガを繰り返すうちにランキングも落ち、限界が見えてきました。一緒に米国に来ていた母が言うんです。「テニスで世界一になれるの? 世界のトップ50の女性選手がどんな生活をしているのか調べてみなさい」と。

少し調べてみてがくぜんとしました。プライベートを犠牲にして世界を転々としているのに、獲得賞金は少ない。家も買うことができない選手ばかりでした。そんな中、大学生になったある日、足首を骨折しました。同じ場所の骨折は3回目でした。テニスは続けるにしても、プロになる夢は諦めざるを得ないと思うようになりました。

  プロ選手の夢を断念し、次の目標を探す中でロボット工学に出合う。

得意な数学と物理を生かしたくていろんな分野を見て回るうち、ロボットづくりに興味が湧くようになりました。

そこで当時通っていたカリフォルニア大学バークレー校でロボットを研究していた教授を訪ねました。「テニスをするロボットをつくってみたい」と頼んだところ、「私の教え子たちと一緒にやっていいよ」と、あっさり研究室に入れてもらえました。

私にはこうした運に恵まれているところがあります。ロサンゼルスへの遠征中、チームメートの付き添いで参加した就職説明会もそうでした。日本語を話していたらアップルの社員の方に偶然声をかけられ、インターン面接を受けることになりました。結果は合格。社員の方たちとはいまだに友達です。

それにしてもロボットづくりは面白かった。腕を動かす作業一つとってもすぐ壁にぶつかるので、人工知能(AI)や神経科学などいろいろ勉強しました。マサチューセッツ工科大(MIT)で修士号、博士号と取って。選手時代と変わらないパッションでのめり込み、人間のように動いて学ぶロボットづくりに取り組んでいました。