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日本社会はなぜマスクを外せなかったのか 科学記者の目 編集委員 矢野寿彦

新型コロナウイルス感染症は「第8波」に入ったともいわれ、この冬インフルエンザとの同時流行も予想される。やはり仕方がないか。いや、それでも3年もの間、皆がそこかしこで顔半分を覆い続ける光景はやはり変だ。

感染が落ち着いていた10月中旬、大阪大学の大竹文雄特任教授にマスクとコロナについて話を聞いた。大竹さんは行動経済学を専門とする経済学者で、政府のコロナ対策に関する専門家会議のメンバーを務める。第6波、第7波での議論では感染症学や公衆衛生学を専門とする人たちとは違った視点で持論を述べてきた。「(外でマスクをしない条件となる)2メートルという身体的距離は広すぎる」「屋外でのマスク着用は原則不要とし、感染リスクが高い屋内や人混みでは着用を続ける」といった主張だった。

「これまでリスクが高いとされてきた飲食店でマスクをせずに、店の外に出たとたんマスクをつける。おかしくありませんか。感染対策のために着用しているのではないのは明らかです」。リモート取材の画面越しでマスクをしていない大竹さんはこう力説した。もっともである。

筆者も3週間ほど前、同僚と久しぶりに東京・新橋の飲み屋街に行った。働くおじさんたちの憩いの場は20代、30代の若者でごった返していた。入った焼鳥屋では中ジョッキを片手に紫煙をくゆらせ仕事や恋の話で盛り上がっている。酒が進むにつれ、マスクをこまめにつけ外しする人は一人もいない。

F1日本グランプリ決勝のスタート前、選手を激励する岸田首相(10月9日、三重県鈴鹿市の鈴鹿サーキット)

どうやら岸田文雄首相は「脱マスク」に舵(かじ)を切ろうとしていた節があった。10月上旬のこと。6日の参院本会議で、マスク着用のルールを含めた感染対策のあり方を再検討する考えを表明、「科学的な知見に基づき世界と歩調を合わせた取り組みを進める」と発言した。

偶然なのか意図したものなのかはわからないが、3日後にあった自動車F1シリーズの日本グランプリの観戦ではマスクを外して選手とあいさつを交わす場面もカメラに撮られた。このニュース画像が伝わり、欧米に遅ればせながら「マスクを外す日」が近いと思ったのだが……。

首相官邸で記者団の取材に応じる、新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長(中央、11月10日)=共同

局面が変わったのは10月13日にあった政府のコロナ対策会議。新型コロナとインフルエンザが同時にはやると1日に最大それぞれ45万人、30万人の患者がでるとの予測が唐突に出てきた。シミュレーションによる精緻な分析ではなく、あくまで最悪の事態を考えて対策をとるべきだとする想定の数値にすぎない。しかし、その後「同時流行の脅威」として「1日75万人」という数字が独り歩きしていった。

感染を「しない」「させない」という予防の観点に立つとマスクの効果はとても大きい。屋内でマスクをすると感染リスクが下がるということは、複数の研究を集めて統合的に解析した信頼性の高いエビデンスとして紹介されている。コロナ禍では自らが感染源とならないようマスクを着用し、感染症から他者や社会を守る「ユニバーサルマスキング」という考え方も登場した。ウイルスは目にみえない。みながマスクをしていればその怖さが可視化され、社会で共有できる。だから対策がおろそかにならずにすむという感染症学者もいた。

一方、マスク着用が常態化することによる弊害もある。当然だが、コミュニケーションをとる際に相手の表情を読み取るのが難しく、うまく意思疎通できなくなる。とりわけ発育過程にある子どもたちにとって身体的、精神的な負担は大きく、長期的な健康への影響を懸念する声も多い。集団生活のイロハを学んでいくのに顔半分をマスクで過ごすというのはどう考えてもいびつだ。

「マスク社会」のデメリットを科学的に解明できれば問題ないのかもしれないが、そう簡単ではない。感染予防効果とは違ってスーパーコンピューターによる解析や社会実験というわけにもいかない。科学が好む客観的データを使って同じ土俵で論じるにはそもそも無理がある。

日本は「ノーマスク」に移行した国々と違い、実は着用が義務化されたわけではない。「同調圧力」や「人目」が人々の行動に大きな影響をもつ社会ゆえの厄介さもあるのだろう。

1977年、戦争そして敗戦を多くの日本人がまだ記憶にとどめていた時代、評論家の山本七平は名著「『空気』の研究」で、日本社会の非合理な意思決定を支配する科学的解明の困難な「何か」の正体こそ空気であると論じた。「まことに大きな絶対権を持った妖怪である。一種の『超能力』かもしれない」

45年がたった今も「KY(空気を読まない)」という言葉を否定的にとらえ「忖度(そんたく)」があらゆる場でまかり通る。なかなか抜けられない「一億総マスク」もやはりこの空気の仕業なのだろうか。

こうして出来上がった社会規範を打ち破るには強いメッセージがいる。「ウィズコロナ」といううわべだけの言葉を連呼するのではなく、このウイルスと一体どう向き合っていくか。国や社会の覚悟が問われている。メリハリのないだらだらした対策を続ける限り、まだしばらくマスクは手放せない。