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ソフトバンクGの冬眠宣言 孫氏に教訓残す20年前の後悔

ソフトバンクグループが投資戦略を「冬眠」する。近年は人工知能(AI)スタートアップに相次ぎ投資し、一時は巨額の利益を計上したが、世界的な経済情勢の不安を受けて実質的に新規投資を見合わせるという。孫正義会長兼社長の経営者人生の集大成だったはずのファンド戦略の行き詰まり。孫氏は多くを語らないが、冬眠宣言の裏にはかつての失敗の教訓があるようだ。

創業直後に訪れた仲間の裏切りや死の恐怖。絶頂からどん底に突き落とされた2000年前後のインターネットバブル崩壊。そして「背骨がひん曲がるかという思いだった」と振り返る数兆円規模の巨額買収劇――。まさに波瀾(はらん)万丈だった孫氏の経営者人生の中でも特筆すべき転換点と言えるのが16年だろう。

この年、孫氏は後継者と見込んだニケシュ・アローラ氏と決別した直後に3兆3000億円で英アームを買収した。通信会社として米国に攻勢を仕掛けていた最中での半導体事業への進出に、産業界からは驚きの声が上がった。その驚きもつかの間。この巨額買収と並行して孫氏はサウジアラビアの王室を口説き、10兆円規模の巨大ファンド設立に奔走していた。

繰り返した「群戦略」

そこから孫氏は「我々は投資会社になった」と宣言し、9月末時点で472社に投資してきた。ファンドが正式に発足したのが17年5月だから、この5年余りの間に単純計算でざっと4日に一度ほどの猛烈なペースで新規投資を決めてきたことになる。1件あたりの規模が1000億円を超えることも少なくない。AI革命を「現代のゴールドラッシュ」と見て、その「指揮者となる」と言ってきた孫氏の言葉を裏付ける数字だろう。

事態が急展開したきっかけは2年半ほど前に始まった新型コロナウイルス禍だ。「多くのユニコーンがコロナの谷に落ちる」と見て投資に急ブレーキをかけた。ようやくコロナの谷が埋まろうとし始めた頃に訪れたのが、その反動とも言える世界的なインフレと金利上昇の波だ。その波頭に立つ米国からは近ごろ、テックジャイアントによる大幅なリストラや暗号資産(仮想通貨)企業の破綻など、情報産業の苦境を示すニュースが相次ぐ。孫氏はついにファンドの実質停止を決断した。

歴史は繰り返すのだろうか。実は、同じような事態に直面したことがある。20年ほど前のことだ。孫氏は1994年に株式を店頭公開してまとまった資金を手にすると、一気にそのカネを投資につぎ込んだ。時はネット黎(れい)明期。米国ではヤフーやグーグルなどを筆頭に次々と新興企業が誕生していた。

この時期に孫氏が掲げたのが「群戦略」だ。時代をリードする新たな旗手と、投資を通じて緩やかな連合体をつくるという孫氏が若い頃から温め続けてきた構想だった。出資比率が50%を超える買収はせず、投資先の技術やビジネスモデルがピークアウトすれば出資を解消してまた新たな投資先を探す。まさに近年、AI投資で再現した手法である。

その局面が変わったのが90年代末のこと。米連邦準備理事会(FRB)が利上げ姿勢に転じたことなどで新興企業へのカネの流れが収縮し、ネットバブルはあえなく崩壊した。すると孫氏は投資先からことごとく資金を引き揚げて損切りした。その額はざっと5000億円。「恥も外聞もなかった」と言いつつ、その姿を投資家から再び事業家に変えた。「ヤフーBB」でブロードバンド回線に打って出たのだ。

ヤフーBBでは街頭での販売戦略に打って出た(東京・新橋駅前)

その結果は4年連続の巨額赤字。孫氏も「崖に落ちそうなのを指2本でギリギリ支えている状況だった」と言うピンチだった。一方で、これが通信会社としてのソフトバンクの土台を築く決断となったことも事実だ。これがなければその後のアーム買収や巨大ファンドの設立も実現しなかっただろう。

似て非なる事業家回帰宣言

そして現在。ファンドを冬眠する一方で、孫氏は再び事業家に戻ることも宣言した。一時期は米エヌビディアへの売却を模索していたアームの経営に「これから数年は没頭する」と言う。

ブロードバンドと半導体――。いつか来た道が、やや風景を変えて再現されたような孫氏の事業家回帰宣言。そこにひとつだけ、似て非なる要素がある。孫氏が「群戦略のための構え」と呼ぶファンドの存在である。新規投資をほぼ見合わせ、世界中からかき集めたファンドの専門家集団を大幅に縮小するものの決して解散はしない。最低限の「構え」は維持するわけだ。

孫氏は当面、アームの経営に没頭するという

そこにあるのが、孫氏が「僕の人生の中で最大の後悔」という20年前の方針転換だ。あの時、ブロードバンドに全力を傾けたことに後悔はない。ただ、投資をやめてしまった。つまり群戦略をやめてしまったことを悔やみ続けてきたと、孫氏は筆者の取材に対して証言した。猛烈な勢いで情報産業を襲ったバブル崩壊の脅威に屈してしまったという後悔だ。だから、今回はあくまで冬眠であり撤退ではない。

おそらく孫氏の投資戦略は当面、穴にこもった熊のようにじっと冬が過ぎるのを待ち続けるだろう。内にこもるという意味では、かねて検討課題にのぼるMBO(経営陣が参加する買収)による上場廃止も現実味を帯びてくる。

「攻めの財務」の登板が意味するもの

ただ、果たして孫氏はこのままじっとしているだろうか。その先の打ち手をどう読み解けばいいか――。ここでは孫氏が休眠状態に入った「構え」を託した人物から探ってみたい。最高財務責任者(CFO)の後藤芳光氏である。

後藤芳光氏は「攻めの財務」を標榜してきた

福岡ソフトバンクホークス社長という顔を持つ一方、長年にわたって財務担当として孫氏の金庫番を務めてきた後藤氏。安田信託銀行(現みずほ信託銀行)から転じた直後に孫氏のブロードバンド戦略を財務面で支えてきた。この頃、一時は資金繰りが行き詰まることも覚悟したというギリギリの局面を、孫氏とともにくぐり抜けてきた。08年に始まったリーマン・ショックの際には財務健全化の一環として考案したデリバティブ取引が裏目に出て、孫氏に進退を託したこともある。

常にリスクと隣り合わせの孫氏の財務戦略を裏で支えてきた後藤氏は常々自ら「攻めの財務」を標榜してきた。自らの役目を「会社が攻めに出る際の機会損失をなくすこと」とも言う。孫氏が攻めに出るのに先回りして、そのための準備を整えておくという意味だ。そのために「最適なレバレッジを常に追求してきた」という。ひと言で言えば「金庫番」という一般的な財務担当者のイメージとはかけ離れた仕事を、この20年余りこなしてきた人物だ。

「よほどのことがない限り(新規の)投資は見送る」、「今は仕事をしていないと言われるレベル」。11日の決算記者会見で、孫氏に代わって説明の壇上に立った後藤氏の口からは、慎重な言葉が相次いだ。

しかし、ひと言だけこんなこともつぶやいた。「ただ、(ファンド事業を)諦めているわけではありません」。孫氏が全幅の信頼を置く攻めの財務が託されたのは単なる守備固めではあるまい。冬眠が明けるその日に、孫氏はまた怒濤(どとう)の投資を始めるだろう。その時、全力疾走できないという機会損失をなくすという、後藤氏の仕事はすでに始まっていると見るべきだ。

良くも悪くも、孫氏は生粋のリスクテイカーである。その性分は、1981年に「日本ソフトバンク」を旗揚げした直後に資本金のほとんどをつぎ込んでソフトウエア流通の胴元となるという賭けに出た時からなんら変わらない。20年前の教訓を踏まえた冬眠宣言も、そう捉えるべきなのだろう。