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登山家 服部文祥(1) 釣り竿

小学校1年生のとき、ひと月の小遣いではとても買えない、欲しいものがあった。釣り竿(ざお)である。

 

釣り竿が欲しい、と私は母親に訴えてみた。それは人まねではなく、はじめて私が自分の意志で欲しいと言ったものだった。だからだろう母親はちょっと考えてから頷き、後日、街に出たついでに、九尺のグラスロッドを買ってくれた。

その日から釣り竿は私の宝物になった。何度も伸ばしたり仕舞(しま)ったりして、使ってもいないのにサラダ油をつけた布で手入れまでした。

そして路線バスの回数券(小人)を2枚もらい、一人でバスに乗って池のある公園へ釣りに行った。

大人たちから離れて私はイトを垂らした。なにも釣れなかったが、大満足だった。夕方になり、竿や釣り具を仕舞って帰路についた。

バス停に来たバスは夕方の帰宅客で超満員だった。ドアの周辺の乗客は身を寄せ合って小学1年生だった私のためにスペースを空けてくれた。

なんとか乗り込み「ドア閉まりまーす」と運転手さんがいって、機械仕掛けの中折れ式ドアが、私の目の前ギリギリを通って、閉まった。そのとき、頭の上でクシャリという音がした。

見ると、私の竿がドアに挟まっていた。「ぼうや、何か挟まっているね」と運転手さんがいいドアを開けてくれた。私は素早く竿を手前に引いた。

 

小学1年以来、釣り竿は人生の一部

小学1年以来、釣り竿は人生の一部

終点でバスを降り、家へ走った。いやな予感で泣き出しそうだった。

「どうだった」と台所から母親は聞いたが、私はなにも答えることができなかった。ドアに挟まったのが竿ではなく竿袋だけであることを祈りながら竿を出した。

ぱっと見た感じでは、壊れているようには見えなかった。だが、触ってみると竿の先端は見事につぶれ、修理して機能を取り戻せる余地がまったくないことは子供でもわかった。

涙が次から次へとあふれでてきた。

自分の竿を買ってもらったことが、私という人間のキャラクターをはじめて認めてもらった瞬間だったことを、子供心に感じていたのだと思う。

私から事情を聞き出した母親は、私の激しい落胆ぶりを見ていられなかったのだろう、後日、また竿を買ってくれた。

 

はっとり・ぶんしょう 1969年横浜生まれ。東京都立大ワンダーフォーゲル部で登山を始め、96年に標高世界2位のK2登頂。同年から山岳雑誌「岳人」編集部で勤務。著書に「サバイバル登山家」など。近著「お金に頼らず生きたい君へ」。