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BBQを進化させる 日本にない風景、海外経験から発想 デジサーフ社長・高橋佳伸さん(人間発見)

バーベキュー(BBQ)といえば、郊外の公園施設や河原などで、軍手にタオル、ススまみれになって肉や野菜を焼くイメージだろう。デジサーフ社長の高橋佳伸さんが描くバーベキューは、都心で手軽に、安く、それでいて豪華な新しいレジャー。新型コロナウイルス禍の影響も少なく、訪日観光客の誘致も探る。バーベキューを複合型レジャーの中核に据え、ビジネスの可能性も大きいとみる。

バーベキューは今も昔も、人気のあるレジャーです。地方自治体が管理する公園などのバーベキュー施設は、利用希望者が殺到し、場所取りに苦労します。家族で、グループで、わいわい1つの火を囲み、食べて飲んで談笑する。屋外で楽しめる点はコロナ禍でもプラスに働きました。ビジネスとして無限の伸びしろを感じています。

そんな楽しいバーベキューですが、いざやるとなると大変です。食材を買い込み、機材をそろえ、焼き手は汗をかき、炭で汚れます。終わった後の片付けもひと苦労です。もっと手軽に、もっとゴージャスに、それでいて手ごろな価格で実現できれば、まったく新しいレジャーになると考えました。

東京や大阪など大都市を中心に、百貨店、商業ビルの屋上にバーベキュー施設を30カ所ほど開設した。

おしゃれな内装、豪華な椅子やテーブル、手が汚れないガスグリル装置。食材は地下の食品売り場で購入し、そのまま屋上に上がればいい。1人あたりの費用は、せいぜい2000円くらいです。

仕事帰りの若い女性会社員が、パブやカフェバーに行くような感覚でバーベキューを楽しんだり、平日のランチタイムにママ友が集まったりという具合に、女性客が急増しています。

急成長できた最大の理由はこうした若い女性客の発信力です。おしゃれな空間で仲間とわいわいバーベキューを楽しむ構図は、インスタグラムなどSNSで発信するのに絶好の素材です。施設を開業する時、最も意識するのは、いかにSNSで発信してもらうか。いわゆるインスタ映えです。多額の広告宣伝費をかけなくても、若い世代のSNS効果は驚くばかりです。

大阪府泉南市のアーバンキャンプホテル、マーブルビーチでは豪華な宿泊施設とバーベキューを融合。

目の前は大阪湾、関西空港を離着陸する航空機を遠望する立地が人気です。友人、家族とのレジャーだけでなく、同窓会や結婚披露宴などのパーティーにも使っていただいています。元は自治体が管理する遊休地でした。地域に人を呼べる施設ができれば、地方経済の活性化にもつながりますし、地元の食材を使ってバーベキューをすれば、地産地消も進みます。

今、全国の自治体からバーベキュー施設の誘致計画がどんどん持ち込まれています。コロナ禍も峠を越え、人気スポーツの試合や音楽ライブなどに、また多くの人が集まり始めました。そんな楽しいイベントの真ん中に、手軽にできる、ちょっとゴージャスなバーベキューがあれば、楽しみは倍増するでしょう。

欧米など海外では、自宅の庭でバーベキューをして、ホームパーティーをすることが多いです。日本の食材を使った、手ぶらで気軽にできるバーベキューは、日本を訪れる海外の旅行者にも受けると思います。観光立国、レジャー大国を目指す日本にとって、バーベキューは魅力的なコンテンツになるでしょう。

令和時代の新しいレジャーとして、バーベキューのイメージを変え、魅力を発信し、新たなビジネスモデルを構築したいと考えています。

生まれは静岡県御殿場市。両親が離婚し、祖母に育てられた。
幼少期は自然に囲まれて育った。

子供のころは塾や習い事など一切行かず、秘密基地を作ったり、野山を駆けまわったりする日々でした。御殿場市立高根小学校へは田んぼのあぜ道を歩いて30分かけて通いました。両親が離婚し、私と弟は板前をしていた父親に引き取られました。

父は帰りが遅いので、父方の祖母の家で面倒をみてもらいました。父はその後、ラーメン屋を開業しますが失敗、押しかける債権者の怒鳴り声を押し入れに隠れて耐えたこともありました。

父はその後、伊豆で住み込みの板前として働くことになり、市立高根中学校に上がるころ、祖母の家に入りました。私は成績が良く、学年1番で、学級委員長でしたが、弟は暴走族に入るなど、ぐれてしまいました。

高校は地元の進学校、県立御殿場南高校に進む。

学費のかからない自衛隊員の養成学校を勧められましたが、将来、自衛隊に入る自分が想像できませんでした。民生委員のお世話になり、奨学金も受けられるので、普通科の高校に入学できました。

祖母からは「大学に進学させるカネはない」と明言されていました。新聞奨学生などいろいろな制度があると知らされましたが、どうにも気が重く、私は早々と大学進学を諦めました。勉強をいっさい放棄し、中学時代に叔父に教わったギターに親しむ時間が増えました。

やがてエレキギターに興味が湧き、級友たちとバンド活動に精を出すようになりました。ロックやフュージョンが好きで、高中正義さんなどの楽曲をコピーし、文化祭では毎年トリを飾っていました。

高校を卒業すると、プロのギタリストを目指して上京しました。武蔵野音楽学院という学校に入り、アルバイトの傍ら、仲間5人でバンドを組み、小さなライブハウスで演奏する日々でした。

当時は「いかすバンド天国」という音楽番組が人気で、アマチュアバンドが大ブームでした。ライブハウスで演奏する機会は結構あったのですが、当然、出演料などもらえませんし、1枚3000円のチケットを自分たちで何十枚も売らないといけない。いつもカネがありませんでした。専門学校の講師たちも似たような状況で、「これは音楽で食っていくのは到底、無理だな」と悟りました。

高校時代の教師の言葉を思い出し、コンピューターの世界へ。

「これからはコンピューターの時代だぞ」。高校時代の教師がよく言っていたのを突然思い出し、就職情報誌を買ってきて、未経験者歓迎の会社を探しました。小さなコンピューター会社に就職しました。1986年、20歳でした。最初の3カ月間、システムエンジニアになるための研修を受けました。今も当時もコンピューターの技術者は不足しており、同じ研修を受けた同期は30人ほどいました。

コンピューターに触るのは初めてでしたが、性に合っていたようです。研修結果が1位となり、同期の多くが地方の工場に配属されるなか、東京本社の社長付という辞令をもらいます。これはうれしかったですね。富士通など大企業の現場に派遣され、委託された仕事を担当しました。

コンピューターのプログラミングという仕事は音楽と似ています。頭に浮かんだ旋律を楽器で具現化するように、コンピューターのプログラミングも、頭に浮かんでこないことには一歩も進みません。交錯する様々な情報の中から法則性をみつけ、整理する。あらゆる事態を想定して、いかに不具合を未然に防ぐか考えプログラムを組む。想像力がないと仕事になりません。ミュージシャン出身のプログラマーは結構、多いです。

プロのギタリストを目指して上京し、音楽を紡ぎ出していた日々が、まさかコンピューターの仕事で役に立つとは思いませんでした。人生、どこで何が役にたつのかわからない。不思議なものですね。

派遣先の給与水準に疑問を感じ、27歳のとき、コンピューター技術者の派遣会社を立ち上げた。

プログラミングの仕事に私は向いていたようで、人の3倍くらいの成果を毎月、上げ続けました。仕事が早く片付くから定時に退社します。月給は20万円ほど。仕事の遅い同僚は残業しないと終わらないのですが、結果的に残業手当をもらい、私より給料が高いのです。

「これはおかしい」と上司に掛け合いましたが、2年たっても改善されません。今なら成果給のような発想もあるのでしょうが、バカバカしくなったので退社。人材派遣会社に登録し、フリーのシステムエンジニアになりました。給料は43万円に増えました。

ある日、雇い主の大企業から派遣会社に払われている私の給料が63万円であることを知り、またもや「やってられない」という気分になりました。エンジニア仲間20人を集め、派遣する会社を立ち上げました。1993年、27歳の時です。技術者の取り分を多めにしたので、人材確保には事欠きません。これが今のデジサーフの前身となります。

起業した会社を仲間に任せ、サーフィンとスノーボードに熱中した。

そのころ、私は友人からサーフィンとスノーボードを教えられ、だんだんのめり込むようになっていました。起業した会社は順調そのもので、私がいなくても大丈夫だなと仲間に任せ、30歳の時、本気でスノボのプロを目指そうと思いました。

30代前半はスノボに熱中。本気でプロを目指した

12月になると雪山に籠り、5月初めまで滑りまくる。ゴールデンウイークが終わるとバリ島へ行き、サーフィンを楽しみ、7月にはニュージーランドに移動して、またスノボに精を出す。11月にはカナダで滑り、12月になると日本に戻ってまた山へ――。そんな日々を送っていました。

2、3年たって、スノボの世界でプロになるのは難しいという現実に直面します。仲間に任せていた会社の経営に戻ろうと思いました。33歳の時です。90年代末はインターネットがビジネスの世界に入り始めて間もないころです。私はこれまで熱中していたサーフィンやスノーボードと、インターネットを組み合わせたビジネスを模索することにしました。

サーファーに波情報を提供する事業を立ち上げる。

きっかけはサーファーに共通の悩みでした。どこの海岸に行けば良い波に出合えるのか、その情報が不足していました。携帯電話の情報サイトに簡単な文字情報が掲載されている程度でした。地元のサーファーはよそからあまり来てほしくないので、いい波が来ているときは、あえて情報を伏せることもありました。

私は普及し始めた携帯電話で撮影した波の写真を添え、「きょうはいい波が来るでしょう」といったコメントの配信を始めました。この波予報をお笑い芸人の方が「よく当たる」と広めてくれ、問い合わせが急増しました。

写真よりも、波の映像を流す情報サイトを立ち上げたら、サーファーたちは自分の目で波を確認できるので、ニーズがあると思いました。地元の湘南の海岸に自動で波を撮影するカメラを設置し、月額の会費を徴収する。このアイデアを湘南産業振興財団が主催するビジネスコンテストに持ち込んだら、最優秀賞となりました。

旧世代の携帯電話に波の写真とコメントを載せていた時代でも、それなりの収入にはなりましたが、波の映像情報のインパクトは絶大でした。カメラは1台100万円しましたが、24時間、稼働してくれます。まず2004年に地元の湘南、さらに伊豆、鴨川にも設置しました。

以前は早朝に海岸まで足を運び、撮影し、コメントを書いて配信していました。ずいぶん楽になったうえ、会員を募ったところ希望者が殺到。すぐ月収400万円のビジネスになりました。このころ社名をデジサーフに変えました。ライブカメラは今、全国30数カ所に増えています。

サーファーに波の映像情報を配信する事業が当たり、次はスノーボーダー向けのビジネスに挑んだ。
30代半ばにビジネスの世界に復帰した(後輩の結婚式で)

サーファー向けの波情報は冬になるとニーズが激減します。この時期に何で稼ぐか。目を付けたのが、もう1つ自分が熱中したスノーボードです。ボーダーたちは自分の腕を試したいので、大会があれば遠方でも参加したい。ただ当時はいつ、どこで、どんな大会が開かれているのか、情報を集めるのが大変でした。専門雑誌で探し出し、電話で問い合わせ、現金書留で参加費を送るという感じでした。

私はスノーボード協会と相談し、インターネットで大会の開催情報を公開し、参加費もネット決済できるシステムの開発を持ちかけました。開発費用はいらない。その代わり売り上げの一部をシェアしてほしいと提案しました。協会は初期投資が不要なので提案に乗ってきました。

デジエントリーと名付けたこのサイトが2003年に立ち上がると、地方の小さな大会からも掲載依頼が殺到しました。大会の情報が増えれば、ボーダーたちの閲覧や参加申し込みも増えます。デジエントリーはたちまち、サーファー向けの波情報と並ぶ収益の2本柱になりました。

ネットを活用した集客・決済システムに注目した地方自治体から、バーベキュー施設の予約システムの開発を依頼された。

多くの自治体は公営のバーベキュー施設を所有、管理しています。スノボ仲間が横浜市でこの担当をしていました。予約の電話が毎日殺到して困っているので、デジエントリーのバーベキュー版を作ってほしいと頼まれました。

ここでもシステム開発は無料、売り上げを案分するモデルを考えましたが、公的施設の利用料は格安だったり、無料だったりするところも多い。そこで予約の際、バーベキューで使う食材を同時購入する人は優先的に施設を使えるようにして、その食材の売り上げをシェアすることにしました。自治体側は事務処理が軽減され、食材の売り上げも入るので大歓迎です。

多くの自治体からバーベキューの申し込みサイトの開発を頼まれるようになりました。そのうちに神奈川県大和市や東京・有明の国営臨海広域防災公園などから、申し込みサイトだけでなく、バーベキュー施設の運営をまるごと請け負ってほしいという依頼が来ました。

私が考えたバーベキュー施設のビジネスモデルは、利用料を1人500円もらう代わり、コンロやトングなど必要な備品、皿やコップ、炭など使い放題とし、ゴミの処分も請け負うというものでした。

その値段で採算が取れるのかと心配する声も聞こえましたが、自信はありました。調べてみたら、バーベキューの平均人数は12人。1人500円いただけば、1グループあたり6000円になります。

それまでのバーベキューでは、コンロ、炭など個別にレンタル料を徴収していました。1人で訪れるお客さんばかりでは採算が合いませんが、バーベキューは大勢でわいわい楽しむものです。個別に徴収するよりも収入は増えるだろうと計算しました。

自社運営のバーベキュー施設はすぐ軌道に乗り、意外なところから依頼があった。

ほどなく三井不動産から声がかかりました。都内湾岸部にある複合施設「ダイバーシティ東京」のショッピングモール屋上でバーベキューをやりたいと。バーベキューは自然の中でという、これまでの常識を破る発想でした。利用料を1人2000円にしてほしいというので、テーブルや機材などを豪華にし、500人収容の大型施設を2012年に開設しました。

都心の屋上バーベキューは珍しいのでテレビ番組にも取り上げられ、初年度から売り上げ3億円の大ヒットになりました。それまで会社全体の年間売上高は1億円に満たない水準でしたから、三井不動産と組んだビジネスのインパクトは絶大でした。

屋上バーベキューが話題となり、百貨店に声をかけたが反応は当初鈍かった。

百貨店が屋上バーベキューの提案に乗ってこなかったのは、屋上で火を使うのは危ないし、それほど人が集まるとは思えないと考えたからです。そこで大手の百貨店首脳に直接電話をできる人材を顧問として雇い、トップダウンでの突破を試み、成功しました。第1号は2014年、東京・渋谷の東急百貨店の屋上でした。都心部のビルの屋上バーベキューは、今や30カ所になりました。

屋上型バーベキューは、ターミナル駅近くなど足を運びやすい場所が多いです。会社の帰り、仲間とちょっと居酒屋に寄るような感覚で、気軽に足を運んでもらえます。テーブルや椅子など内装も豪華にしています。それを手ごろな価格で楽しんでいただきたい。

人気がある屋上施設の一つ、JR大阪駅前のヨドバシ梅田タワーの場合、平日なら4時間、週末は3時間の利用で、1人1980円です。子供は半額なので、家族4人でも食材込み約8000円で週末のひとときを楽しむことができます。

キャンプブーム、グランピング人気も追い風に。

今、グランピングがブームです。リゾートホテル並みの設備で、キャンプ感覚が味わえるのが人気の理由です。ここでもバーベキューが重要な役割を果たします。

大阪府泉南市に開いたマーブルビーチは、バーベキュー設備のある20棟の豪華なトレーラーハウス型ホテルです。1人6000円ほどで利用できます。宿泊しない場合、日中の時間帯なら3時間1万7600円からなので、10人で来れば1人2000円かかりません。

大阪市内からクルマで来るのに便利な立地で、優雅なレジャーとして、インスタグラムでの発信に格好の素材になっています。ちょっとしたパーティーの会場にも使えるので若い女性に受けています。

地方創生だけでなく、訪日観光客の誘致にも期待がかかる。

神戸市の六甲アイランドに建設中の施設は、しゃれた雰囲気のプールを囲むバーベキューリゾートとなります。阪神大震災でプールが使えなくなり、放置されていました。これを再生します。

京都や大阪と比べ、神戸は海外からのお客さんが少ない。異国情緒、中華街など神戸の売りが、逆に海外客には響かず、どうやって訪日観光客を呼び込むかが課題となっていました。六甲アイランドのバーベキューは集客の目玉になると期待されています。

スポーツイベントとの融合も可能性は大です。今、関東のある地域でウエーブプールの建設計画が進んでいます。ウエーブプールとは、サーフィンができるような大きな波を人工的に作り出すプールです。完成すればサーフィンの国際大会誘致や、五輪クラスの選手の練習拠点としても機能します。

このウエーブプールにバーベキューを併設し、複合型の新しいレジャー施設とする計画です。世界レベルのサーフィン競技を観戦しながら、おいしい食事を楽しむ。考えただけでワクワクします。

バーベキューの楽しさは人類のDNAを想起させると語る

30代のころ、サーフボードやスノーボードを抱えて、世界を回りました。あのころも今も、よく考えたのは「海外にあって日本にないものは何か」ということです。導入のタイミングが早すぎて失敗したこともありますが、これからもこの視点だけは失いたくありません。

バーベキューの起源は、原始時代の狩猟文化まで遡ります。大昔も人間は火を囲み、肉を焼き、談笑しながら楽しい時間を過ごしていたのでしょう。バーベキューが楽しいのは、そんな人類のDNAのようなものが想起させられるからなのでしょうか。

バーベキューは観光立国、レジャー大国を目指す日本にとって、選択肢の一つになると確信しています。