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デジタル金融の実相(上) 現金・銀行預金への信認 不変 岩下直行・京都大学教授

政府のキャッシュレス決済推進政策の効果もあり、コンビニなどの日常的な決済で、現金以外の様々な決済手段が利用されるようになった。クレジットカード、デビットカード、電子マネー、コード決済などを合計した日本のキャッシュレス決済金額は、2021年で95兆円と、過去5年間で58%増加した。

 

キャッシュレス化が進むということは、電子決済の利用率が上がって徐々に現金が使われなくなり、現金が減っていくことを意味するように思える。しかし実態は全く逆だ。国内で流通する現金(紙幣と貨幣)は増え続けている。21年末の現金流通高は前年比3%増の127兆円。名目国内総生産(GDP)比率も一貫して上昇しており、00年の12%から21年には23%とほぼ倍増している(図参照)。

日本ではATMのネットワークが張り巡らされ、誰もが高額紙幣で決済しやすい環境が整っている。とはいえ、現金流通高を人口で割ると、国民1人あたり100万円の現金を保有する計算になり、日常的に財布に入れる金額としては過大だ。実態としては、いわゆるタンス預金として、多額の現金が個人の自宅に保管されていると考えられる。

キャッシュレス決済が普及するなかでキャッシュが増えるというパラドックス(逆説)は、日本だけの現象ではない。国際決済銀行(BIS)の18年のリポートによれば、先進国でも新興国でもキャッシュレス決済は拡大しているが、キャッシュも増えている。00年以降、現金流通高のGDP比率が趨勢的に低下しているのは中国とスウェーデンぐらいで、欧米主要国でもその他の新興国でも現金流通高は増加を続けている。

 

その背景には、08年のリーマン・ショック以降の金融不安や預金金利低下により、人々が現金保有を選好するようになったことが挙げられる。日々の決済には電子決済が用いられるが、富を蓄積する手段して現金が使われる度合いが高まったということだろう。

日本でキャッシュレス推進政策が検討された際には、キャッシュレス決済が拡大すれば流通する現金が減少し、社会の効率化につながるという主張が多かった。しかし現実はそれとは異なる方向に進んでおり、キャッシュレス推進政策の理由付けを再考する必要があるかもしれない。

インターネットの普及により金融のデジタル化が進んでいるといわれるが、日本ではその実感はあまりない。銀行も証券も保険も相変わらず対面営業、支店営業が中心だ。給料日ともなれば、ATMの前には行列ができる。法人企業の経理事務も、紙の請求書と領収書であふれる。フィンテック企業の資金調達額のGDP比率を国際比較しても、日本は最下位レベルだ。

インターネットバンキングにしても、利用口座数からみた普及率は25%程度と低迷している。特に地域金融機関での普及率の低さが際立っている。

日本で金融のデジタル化が進まない背景には、金融のユーザーである日本の法人企業のデジタル化の遅れがある。インターネットの普及当初、日本の法人企業の多くは利用に消極的だった。こうした傾向が、日本企業のデジタルトランスフォーメーション(DX)の遅れの原因となったことは否定できない。

実際、いくつかの国際比較調査によれば、日本企業のビジネスICT(情報通信技術)ツールの導入率は先進国の中でも目立って低い。また業種を問わず、老朽化した情報システムがDXの妨げになっている企業が多いとの調査結果もある。こうした企業部門のデジタル化の遅れは、日本の産業の競争力にも悪影響を及ぼしている。

金融庁は20年に、国内銀行が広く参加する研究会を開催し、インターネットバンキングの利用促進策に関する報告書を発表した。報告書は、法人企業にインターネットバンキングを利用してもらうため、ユーザーインターフェース(UI)・ユーザーエクスペリエンス(UX)の改善と手数料の引き下げを提案しているが、それだけで問題が解決するとは考えにくい。

ようやく最近、法人企業はDXへの取り組みを積極化している。政府もこうした変革を補助金で支援し、政府自身が提供する行政サービスのデジタル化にも積極的に取り組んでいる。

特に23年10月に予定されるインボイス(税額票)の導入が大きな変革の契機となるだろう。消費税の課税事業者は仕入れにかかる請求書、領収書をすべて保管しなければならないし、それらの書類の発行者となった場合も保管が義務付けられる。もし現在の取引慣行のままであれば、経理部門は紙の洪水となるだろう。

民間の事業者は紙でやり取りしている請求書、領収書などを、インボイスの記載要件に合わせつつ、オンライン化することに取り組み始めている。手書きの伝票やファクスの利用をやめて、社内の経理システムと企業間の取引システムをシームレスに連結し、インボイスを含めた書面の電子保管を進められれば、大きな合理化につながるはずだ。

そうした取り組みは、インターネットを経由した金融サービスへのアクセスを促進するだろう。遅れていた金融のデジタル化が進捗する契機となるはずだ。

それでは、本稿で取り上げたデジタル金融と、暗号資産をはじめとするデジタル通貨とはどういう関係にあるのだろうか。

デジタル通貨を巡る議論の出発点はビットコインだ。だが相場の乱高下が激しく投機的な目的で保有されることが大半で、日々の経済活動に伴う決済手段としては使い物にならない。

一方で、ビットコインが世界中で保有された結果、国境をまたぐデジタル通貨での送金が容易になった。またランサムウエア(身代金要求型ウイルス)や違法薬物売買などでも、匿名性のある決済手段として利用されることがある。

ビットコインが特別な後ろ盾もないのに世界中で保有されるのは、非中央集権的な構造を持つからだ。もし誰かがその発行に責任を持ちシステムを支えているならば、責任者を規制するなり訴えるなりして、不正な取引や反社会的な目的の利用を差し止められる。

ビットコインは、それができないからこそ、犯罪者でも利用できるし、敵対的な国に住んでいても資産を凍結される恐れもない。ビットコインや他のデジタル通貨、各種のトークン(デジタル資産)は、誰かが責任をもって発行する現金や銀行預金とは、そもそも違う性格を持つものだ。

従って、まっとうな経済活動を手掛ける個人や法人が、現金や銀行預金の代わりに、デジタル通貨を利用することは考えにくい。今後、キャッシュレス決済はさらに拡大するだろうが、個人も法人も支払いの準備のためには、デジタル通貨でなく現金や預金を保有することを望むだろう。デジタル金融とは、投機の手段ではなく、まっとうな経済活動を支える金融の進化形態を指す概念なのである。

 

<ポイント>
○キャッシュレス化進んでも現金需要増大
○インボイス導入が金融のデジタル化促す
○非中央集権的な暗号資産は投機目的主体

いわした・なおゆき 62年生まれ。慶大経卒。日銀を経て17年から現職。専門はフィンテック