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負動産再生は「ビンテージ家具」発想 ルーヴィスの挑戦 負動産Transformation(6)

東京都国立市。都内で有数な空き家率の高い地域で8月、築44年の木造2階建て一軒家がリノベーションを経て生まれ変わった。ゼネコン大手に勤める幹部が建てたが、家を建てた所有者が実家に戻ったため空き家となっていた。

そこでタイルを敷き詰めた壁や継ぎ目のない一枚板のフローリングなど、それまでのぜいたくな素材を生かしつつ、古くなっていたキッチンなどの水回りを中心に改装した。周辺に公園が多い住環境をアピールし、現在借り手を募集している。

新興施工会社のルーヴィス(横浜市)が2015年に始めた事業「カリアゲ」は、古くなった空き家など「負動産」を所有者から借り上げ、リノベーションして転貸する。

手がける物件は「築30年以上、1年以上入居者なし」の空き家。これをルーヴィスが6~8年間借り上げ、所有者の費用負担なしで改装・転貸する。借り上げ期間中は家賃の9割がルーヴィスの報酬となり、空き家の所有者は1割を得る。期間が終了すれば、所有者が賃料の全額を手にできる仕組みだ。これまでに首都圏で約70件の実績を持つ。

17年には京浜急行電鉄と提携し、沿線での空き家の再生案件にも取り組む。ただ、空き家再生の担い手として名乗りを上げたルーヴィス創業者で社長の福井信行は、もともと負動産問題に関心があったわけではないという。

立ちはだかる「新築信仰」

大学を中退してニートだったという福井は、木工所を経て20代前半で都内のインテリア店で働き始めた。木工所時代に興味を持ち始めた家具の世界に飛び込んだ。驚いたのが、当時は米国のビンテージ品を仕入れて手直しすると10倍もの値段がついたことだ。この経験が後に空き家再生ビジネスにつながるとは当時は思いもよらなかった。1990年代後半のことだ。

20代後半にさしかかると、福井は家業の不動産管理業を継ぐために横浜市内の実家に戻った。これが苦労の連続の始まりだった。祖父が始めた管理会社が扱うのは築30~40年の物件ばかり。「次の人はいつ入るの」。入居者が決まらないと大家にせき立てられ、決まれば部屋に対するクレームが入居者から寄せられる。福井はふと疑問に思った。

「なんで中古家具は喜んで買ってもらえるのに、不動産は古くなると価値が下がるんだろう」。米国などと比べて日本では新築信仰が根強く、古いものを否定せざるを得ない不動産管理のビジネスモデルに限界を感じ始めていた。

東京・国立にあった空き家をルーヴィスが改装した

思い悩む日々がしばらく続いたある日の夜中、たまたま立ち寄った六本木ヒルズ(東京・港)で1冊の書籍が目に入った。タイトルは「リノベーション物件に住もう!」。手に取ってパラパラめくると「衝撃を受けた」。

本では、木造アパートをポップなデザインの洋室に改装して賃貸に出したところ満室状態になった事例が紹介されていた。「めちゃくちゃ面白そう。これならば……」。アマゾン・ドット・コムで「リノベーション」と名が付く本を片っ端から買って読みあさった。売るに売れない負動産の活用に視界が開けた福井は会社の後継ぎを弟に任せ、05年にルーヴィスを創業した。

だが、空き家再生ビジネスにはまだなじみのなかった時代だ。駆け出しの頃は苦戦した。福井の前に立ちはだかったのは、やはり「古い物件は売れない」という業界の常識だった。空き物件を紹介してもらうため不動産会社に営業をかける日々が続く。資本金の520万円はあっという間になくなっていった。食いつなぐためにハウスクリーニングの仕事をしながらリノベーションの道を探る。しばらくは「10件回って1件任せてもらえればいい方だった」。

テレビ番組で紹介され殺到

空き家を借り受けられても、次の問題がリノベーション費用だった。金融機関の融資が必要になる。「空き家では担保が取れない。何かあったとき、うちはどう回収すればいいんですか」。カリアゲの第1号として東京・目黒にある賃貸住宅の改装に乗り出した時も、地元の銀行からは融資を得られなかった。

大手都市銀行の担当者に話しても反応は同じ。たまらず福井は「支店長と話をさせてください」と直訴した。支店長を口説いて融資を受け、何とか改装したところ、あるテレビ番組で紹介された。すると空き家の使い道に悩んでいた視聴者からの問い合わせが殺到。メディアへの露出が信用につながり、足かけ10年で事業が軌道に乗り始めた。

空き家再生ビジネスは、街づくりにも広がろうとしている。神奈川県三浦市。マグロ漁で知られる三崎港から車で5分ほどの距離にある宮川町。そこにポツンと立っていたのが、透明な壁で覆われた建物だ。築50年ほどの釣り具倉庫をリノベーションしたものだ。

ボロボロだった釣り具倉庫をベーグル屋に作り替えた(現在は閉店)

過去の台風被害で今は営業していないが、以前は人気のベーグル店だった。福井に言わせれば「街で一番立地が悪くて一番ボロい建物」。近隣の人からも酷評された。しかし福井は「ここで集客できたら地元の人たちも『俺たちでも何かできるかもしれない』と思ってもらえるのでは」と考えるようになった。

そこでこの古びて忘れ去られたような倉庫を、一番人気の施設にリノベーションしようと考えた。選んだのはベーグル専門店。「街になかったので、とりあえず確実に一番になれるだろう」。地元の新鮮な野菜の味わいを生かせるのも理由の一つだった。

海外からの来店客も

改装工事では木造建築のぬくもりを残しつつ、新しくカウンターを整備した。古びた杉板の壁を解体して透明なクリア版に張り替えることで、道行く人が店内に関心を向けられるよう工夫した。

SNSなどで頻繁に宣伝していたことも奏功し、開店すると想像を超える人気ぶりをみせた。人口1000人ほどの宮川町に東京や横浜からのドライブ客が列をなした。噂を聞きつけ、中国や台湾から足を運ぶお客もいた。

ベーグル専門店の成功体験が地元住民にも火を付け、築90年以上の船具店を無料で本が読める蔵書室に変えるなど若い世代にも負動産の活用が広がった。

ビンテージ家具から着想を得た空き家再生ビジネス。味わいのある古いものの良さを生かすという点では共通する。アイデア一つ加えるだけで、負動産が「富動産」に生まれ変わる。

=敬称略

(石崎開)