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百貨店の松屋、呉服やめて冷凍食品 「逆回転」で勝負 倍速ニッポン 番外編(下)

まさに新型コロナウイルスの感染拡大とデジタル化の大波は様々な業界、企業、商品に早送りを迫った。150年以上の歴史を歩んできた百貨店の松屋もその一つ。いま大胆な改革に取り組んでいる。

祖業をやめる老舗の決断

一つが祖業の「呉服」売り場を廃止したことだ。日本の百貨店は鉄道系と呉服系に分かれる。呉服系といえば、三越伊勢丹、大丸松坂屋百貨店、高島屋などが代表的だが、株式上場をしている百貨店で呉服をやめたのは松屋が初めてだろう。

なぜ呉服をやめたのか? コロナ下の苦境に際して、秋田正紀社長は「聖域を創らず、営業の立て直しプランを提案してほしい」と社内に呼びかけた。すると浮上したのが呉服売り場の廃止だった。確かに呉服市場は縮小が続き、収益を効果的に生み出す部門とは言いがたい。しかし祖業であり、七五三、成人式、結婚式といった顧客の人生の節目に欠かせず、老舗百貨店の独壇場でもある領域だ。

しかも呉服の得意客は富裕層が多く、他の売り場における買い回りの効果も大きい。呉服をやめると、こうした相乗効果を失う懸念がある。旗艦店の松屋銀座(東京・中央)では、呉服売り場の跡に家具やじゅうたんといった住居用品の売り場を導入する。これには社内から反対の声が出た。「呉服は松屋の象徴的な事業です。やめるリスクをカバーするだけの収益を確保できるとは思えません」

秋田社長もこうした意見は理解していた。以前から呉服廃止論が出てくる度に、様々なリスクを考慮して退けてきた。だが今回は違う。コロナ前のインバウンド(訪日外国人)客数を取り戻すには時間がかかりそうで、シニア層にもネット通販などのデジタル消費が深く浸透した。伝統にしがみつくだけの百貨店では生き残れない。逆に祖業をやめることで、新しい経営思考に転換する姿勢を社内外に示すべきだと判断した。

銀座ならではの高級冷食

チケット販売のぴあもそうだ。2011年、映画や演劇のファンに愛読されてきた情報誌「ぴあ」を休刊した。決して経営の足を引っ張るほどの苦境ではなかったが、あえて休刊を選んだ。理由はメディアのデジタル化が加速するなかで、進化に向けた経営姿勢を明確にすることだった。そして数年後、スマートフォンアプリとして情報誌「ぴあ」を復刊させた。

松屋も呉服をやめる代わりに進化へ踏み出した。消費者の時短志向をとらえ、地下2階に開いたのが、冷凍食品の専門売り場「GINZA FROZEN GOURMET」だ。といっても普通の冷食ではない。銀座の名店や高級レストラン、パティスリーなど百貨店らしい「高級味覚」を約55ブランド、350種類そろえた。

「銀座 日東コーナー1948」「銀座みかわや」「銀座ピエス・モンテ」のほか、親子丼の元祖ともいわれる人形町の名店「玉ひで」の商品もある。冷凍食品は味が落ちるとの見方が一般的だが、最新技術は進化している。凍結時に肉などの細胞が壊れないようにし、解凍時にうま味成分が流出しないような加工技術があり、作りたてに近い味の再現ができているという。

松屋銀座は有名レストランなどの高級冷凍食品を集めた売り場を新設した(東京都中央区)

下層階からの「逆回転」経営

百貨店は昭和の全盛期、各フロアをじっくり堪能する消費者の行動に対応した。屋上の子供向け遊園地、最上階のレストランなどを備え、顧客が時間をかけて上層階から買い物を楽しむ「シャワー効果」を狙った。

しかし近年は逆だ。忙しい来店客はお目当ての商品だけ買って帰る「目的買い」が中心で、店内の滞在時間は縮むばかり。日本経済の停滞感とともに低価格志向が強まると、ちょっとしたぜいたくを楽しめる地下の食品売り場、通称「デパ地下」が最大の集客装置になった。

最大の稼ぎ頭だった衣料品の売り上げが年々減り、上層階において購買力を引き出す方程式はほとんど通じなくなった。そこでデパ地下と1階の化粧品・雑貨売り場をけん引役に、上層階への購買を促す「噴水効果」を競う時代に移っている。今回の松屋銀座の動きは、百貨店の「逆回転」経営の象徴的な動きといえる。

正しく「サボる」で人気

そんな百貨店を支える化粧品にも、倍速の波は押し寄せている。リモートワークの普及で化粧をなるべく手軽にすませる傾向は強まっているが、コロナ以前から働く女性、あるいは働きながら子育てする女性のニーズをつかんでメガヒットになっている時短型化粧品がある。

スタイリングライフ・ホールディングス(東京・新宿)傘下のBCLカンパニーが開発したスキンケアシリーズ「サボリーノ」だ。かつては化粧にできるだけ時間やお金をかけることを、誰も疑わず、むしろおしゃれだと考えてきた。だが貴重な時間を効率的に使うことに価値を見いだすライフスタイルが変化を起こした。ネーミングにも「きれいでいたいが、少しでもサボりたい」という消費者の願望がにじむ。

「サボリーノ」は朝の化粧準備や夜のメーク落としが簡単にできるマスクシートで人気を集める(商品サイトの一部)

例えば主力商品「サボリーノ 目ざまシート」は朝用のパックで、シート1枚を顔にのせるだけ。ふきとり洗顔、スキンケア、保湿下地の役割をこなしてくれる。目と口の部分は開いているので、顔に貼ったままでスマホのチェック、テレビのちら見などが可能だ。「時短コスメ」「起きて60秒でメーク準備OK」のキャッチフレーズも女性たちの心をとらえ、2015年の発売から22年7月で累計出荷7億枚を超え、今も市場が広がる。

スピードが消費革命の合言葉に

コロナ禍はデジタル化も伴って高速型のライフスタイルをさらに進めた。動画や音楽の視聴、SNS(交流サイト)、ゲーム、ネット通販など消費行動はどんどん複雑に、多様になるばかりだ。コロナ禍の一巡とともに、通勤通学や趣味の再開といったリアルな生活が戻ってくると、さらに時間の使い方が問われる。

この流れに逆回転はない。音楽などコンテンツの作り方、サービスのあり方、売り場や商品の見せ方などあらゆる面で「倍速」を求めるニーズは強まるはずだ。量的拡大による消費革命をうたったのは大手流通ダイエーの創業者、故中内㓛氏だったが、これからはスピードを速める消費革命が倍速ニッポンの合言葉になる。

(編集委員 中村直文、増田由貴)