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米国を蝕むエモクラシー

9月23日夜、米ワシントン。ホワイトハウスの南庭には、引退ツアーで世界を巡る英人気歌手エルトン・ジョンさんの姿があった。バイデン米大統領に招待され、約2千人の聴衆を前にピアノの弾き語りを披露したのだ。

「僕の歌は君の歌」や「ロケットマン」などのヒット曲を熱唱しつつ、米国がエイズウイルス(HIV)との闘いでみせた与野党の結束をたたえるジョンさん。「あらゆる問題で超党派の協力を一層期待したい」と訴えた。

そんな言葉がいまの米国には響かない。トランプ前大統領の2017年の就任式で演奏してほしいという要請を、ジョンさんは断っていた。今回の出演も政治的な得失の文脈で語られがちだ。

米連邦議会の中間選挙が11月8日に迫った。与党・民主党と野党・共和党の攻防は、政策論争より中傷合戦の色合いが濃い。上下両院の選挙費用は過去最大の93億ドル(約1兆3400億円)にのぼる勢いだ。ネガティブキャンペーンを競い合った結果である。

トランプ氏とその一派が20年の大統領選を「不正で盗まれた」と断じれば、バイデン氏は彼らの陰謀史観と米国第一主義を「半ばファシズムだ」と切り捨てる。共和党員や民主党員の多くも、ライバルに「社会主義者」や「差別主義者」の刻印を押したがる。

我々が生きているのは「デモクラシー」の世界ではない。感情が理性に勝る「エモクラシー」の世界だ――。英歴史家のニーアル・ファーガソン氏が19年に憂えた病は、なおも米国を蝕(むしば)む。より深刻なのは共和党だが、民主党もほめられたものではない。

米ピュー・リサーチ・センターの22年の世論調査によると、ライバルの政党を「極めて好ましくない」とみなす国民は民主党員で54%、共和党員で62%にのぼる。02年の2倍、3倍の水準である。党派の分断が深まり、負の感情が増殖している証拠だろう。

政治信条が違えば、経済観も異なる。米ミシガン大学の消費者態度指数を党派別にみてほしい。政権を握る与党の数値は、野党を大幅に上回る。民主党員と共和党員は政権交代の度に、景気動向を巡る「楽観」と「悲観」の椅子を交換するといわれるゆえんだ。

こうした国民は選挙の際に何を思うのか。米政治学者のアラン・アブラモウイッツ氏らが説くのは「ネガティブな党派性」である。民主党員と共和党員が互いに憎悪や敵意を抱き、他党を封じるために自党に忠誠を誓って投票する動きが広がっているとみる。

民主党が勝てば「社会主義」がまん延し、共和党が勝てば「ファシズム」に覆われる――。両党がともに支持基盤の不安や恐怖をあおり、ネガティブな党派性に訴える選挙戦術は、エモクラシーの常とう手段と言ってもいい。

 

 

 

企業も党派政治に翻弄される。米ニュースサイトのアクシオスと米調査会社ハリスポールは、米国で知られる有力企業100社の22年版のブランド評価ランキングを公表した。とりわけ注目されたのは、米電気自動車(EV)大手テスラに下った審判である。

総合順位は12位と健闘したものの、共和党員の間では4位、民主党員の間では47位と評価が大きく分かれた。イーロン・マスク最高経営責任者(CEO)が民主党のIT(情報技術)企業規制や富裕層増税などを嫌い、22年に入って支持政党を共和党に変える意向を示したからだという。

同じジーンズでも民主党員は「リーバイス」、共和党員は「ラングラー」を好むとの分析もある。西部カリフォルニア州を本拠とする前者は人権の擁護や銃規制に積極的で、南部ノースカロライナ州で生まれた後者はカウボーイ文化を尊ぶことで知られる。

国民は選挙での投票やSNS(交流サイト)経由の発信のみならず、消費や投資の力も借りながら、自らの意思を反映しようとする。「ライフスタイルポリティクス」や「消費アクティビズム」などと呼ばれる行動である。

米フィンテック大手レンディングツリーの消費者調査によると、「かつて購入していた商品や企業をボイコットしている」「賛同できない法律や政策のせいで訪問しない州や国がある」との回答がいずれも4分の1を占めた。「重要な政治・社会問題に対する信念を共有できる企業から、より多くの商品やサービスを購入したい」との回答は6割を超える。

 

 

 

国民が社会正義の実現や温暖化の防止などを求め、政治家だけでなく経営者にも変革を迫るのは当然の権利だ。不買で企業を罰する「ボイコット」、逆に購入で企業に報いる「バイコット」が正当な手段であるのも間違いない。

だが特定の企業への憎悪や敵意に駆られ、むやみに消費や投資を武器化するのは好ましくない。ネガティブな党派性が奏でるエモクラシーの危険はここにもある。

民主主義の大きな特徴は言論の自由だ。それが極端な言論を喚起し、民主主義を揺さぶるジレンマを抱える――。米ジャーナリストのショーン・イリング氏らは、近著「デモクラシーのパラドックス(逆説)」にこう記した。

政治はえてして情念で動く。程度の差こそあれ、どの時代にもどの国家にも、エモクラシーが存在したと言えなくはない。それでも米国の党派対立と中傷合戦のエスカレートには強い危機感を覚える。世界有数の民主主義国家が自壊してしまっては元も子もない。