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愛された王者フェデラー テニス、セリーナと同じ41歳引退 優雅で自在なプレー 周囲引き寄せる人間味

「勝ち続けること、負けから学ぶこと、僕にとってつらかったことはなく、どこから見ても僕のキャリアは素晴らしかった。パーフェクトだ。でもいつかコートを去らないといけない」。自ら運営にかかわる男子団体戦レーバー・カップ(9月23~25日、ロンドン)を最後の場に選んだ。

エレガント、優雅――。フェデラーを評する言葉には「美」に通じるものが多い。美しいフォームでボールを自在に操り、10代の頃から多くの同業者を魅了した。何でもできるが故に「どの場面でどのショットを使うべきか、若いときは分からないのが問題だった」。それで短気を起こしていたものの、コツをつかんだ21歳で四大大会を初優勝すると、華麗に、完膚なきまでに相手をたたきのめしていった。

これはフェデラーの神様から与えられた才の一面でしかない。その姿に憧れた錦織圭(ユニクロ)がこう言っていた。

「ロジャーや(ラファエル)ナダル、いまのトップは紳士なので、ロッカールームがギスギスしていない」

トップ選手同士が絶対に口を利かないといった空気が1990年代まであったようだ。フェデラーがプロ転向した頃は「既にフレンドリーだった」そうで、「それを維持しただけ。若い選手が歓迎されている、ツアーは楽しいんだと感じられるようとても注意している」と、2019年のフィナンシャル・タイムズの取材に答えている。

新しい選手に積極的に話しかけ、練習に誘う。声をかけられた選手が驚いても、フェデラーは緊張を一瞬で解く。これがもう一つの「天与の才」。周囲を自分のファンにしてしまうのだ。成績で上回る選手が出ても、「フェデラーこそ王者」と思わせた最大の要因だろう。

06年AIGジャパン・オープン(現・楽天ジャパン・オープン)で来日したフェデラーにインタビューした際、「僕もこの取材が楽しみなんだ」という空気を自然に出していた。だからみんな彼のことを好きになるんだなと感じたのを覚えている。

記者会見で反感を持った記者は皆無に近いだろう。ファンも多かったはず。時に英語、フランス語、ドイツ語と試合のたびに3カ国語で対応しても、いつも丁寧で面白い。19年ウィンブルドン選手権決勝でマッチポイントを2つも握りながらノバク・ジョコビッチ(セルビア)に負けたとき、泣きそうな顔で話す人間味もあった。

9月23日の試合後の引退セレモニーでも最大の謝辞をささげたように、フェデラーを支えた要は元プロ選手だった妻ミルカさんだ。00年シドニー五輪の選手村で出会い、20年以上、常にツアーに付き添った。

15年のATPファイナルの記者会見でも、伸ばしていた無精ひげを「ミルカは気に入っているの?」と聞かれ、「大丈夫。僕も時々は自分で決めるよ」。屈託なく答える姿に大爆笑となった。引退時期について「ミルカが同行したくなくなったら」とも話していた。

こんなフェデラーの存在が、テニス界にくすぶっていた"マッチョ"な考えを封じた。決して声高に主張するわけではないが、彼が明るく、スマートに問題を受け止めるだけでよかった。

最近はアフリカ、スイスでの教育支援を目的に設立した財団の活動、マネジメント会社の設立など、テニス以外にも力を入れていた。女子ツアーをサポートする姿勢も明確にしていた。四大大会は男女同額賞金だが、通常のツアー大会では差がある。19年、セリーナがこの点を指摘すると、「僕たちも協力できたらいい」と応じている。新型コロナウイルス禍になると男女ツアー団体の一体化を真っ先に提案していた。

引退の原因となった膝の状態は芳しくなく、最後の試合はダブルス。引退後も親しい関係が続く選手として名を挙げたナダルをパートナーにプレーした。「コートであれだけバトルしても、常にリスペクトがあった。立場が違う相手とも良い関係を築ける。スポーツの枠を超えたメッセージになると思う」。試合後はともに人目もはばからずに涙を流した。

自他とも認める"テニスおたく"は、「僕はゴーストにはならない。テニスが好きすぎるし、人に会うのも好き。ファンに知っておいてほしい。また会える」。引退後はテニス界とご無沙汰になるスターにはならないと明言した。

(原真子)