· 

なぜウォーレン・バフェットは市場を予測しない? 人生100年こわくない・投資力を磨こう(岩崎日出俊)

新型コロナウイルスの影響でオンライン開催が続いていたバークシャー・ハザウェイの株主総会。今年は3年ぶりに対面で行われ、世界中から多くの株主がネブラスカ州のオマハに集まった。6時間以上に及ぶ総会の様子はインターネットで公開され今でも見ることができる。動画投稿サイト「ユーチューブ」の動画なので、英語字幕を画面に表示して見られる。

壇上のバフェットの机上にはいつものようにチェリー・コークの缶とシーズのチョコレートキャンディ箱が置かれ、バフェットの隣に座るチャールズ・マンガー副会長がキャンディをつまんでは口に入れていた。

「マーケットが下落している現在、バークシャーは多額の現金を持っている。投資するタイミングとしてはベストだと思うが、いったいどうやって絶妙なタイミングを見極めているのか」

株主からの質問に対して、バフェットはこう答えた。「明後日、月曜日になって市場が開くときにマーケットがどうなっているか、正直、我々には見当もつかない。これまでの投資家人生において、市場がどうなるかを考えて投資を決めたことは一度たりともない。今後、経済情勢がどうなるかについて私には分からないのだ」。バフェットは投資先が持つ本来の価値を見極めようとする。したがって市場全体がどう動くのか、経済情勢が上向くのか、下向くのかは、あまり関係ない。

コカ・コーラ株への投資で大成功

1988年にバフェットがコカ・コーラの株を買い始めた時のことを振り返ってみよう。ウォール街のアナリストたちはこれを「割高の株」と分析していた。株価収益率(PER)を見ると平均的な株より15%高い価格で取引されていた。バフェットの師匠の1人、ベンジャミン・グレアムだったら手を出さない水準だった。

しかしバフェットが着目したのはもっと違う数字だった。会社の年次報告書を読み込むと、84年から87年までの間に(つまりバフェットが投資する前の年まで)海外の販売量は34%増加、海外における利益も急増していた。84年のコカ・コーラの総利益に占める海外からの利益の割合は53%だったが、87年には4分の3にもなっていた。しかしもっと重要なことがある。当時のコカ・コーラの経営陣はこの水準でもまだ満足していなかったのだ。

成長著しい太平洋沿岸地域でさえ1人当たりのコカ・コーラの消費量は年間25本以下だった。米国人が年間296本も飲んでいるにもかかわらず、である。何十年もコーラに親しんできたラテンアメリカやヨーロッパでさえ100本以下だった。さらにこれらの地域における利益率は米国内よりも高かった。バフェットは次のように書いている。

「そこで私は確信したんだ。世界中で親しまれているこの製品は、海外での売り上げが爆発的に伸びており、今まさに新たな勢いを得たんだ」

コカ・コーラの経営陣は会長も社長も7年前に同時に入れ替わっていた。ロベルト・ゴイズエタ会長はキューバ生まれ。砂糖王を父に持ち、社会人としての第一歩がハバナのビン詰め工場だったこともあり、海外事業に注力していた。「潜在的な市場は無限である。私たちのシステムは世界中で積極的に商機をものにしている」。こう年次報告書で訴えていた。

ゴイズエタ会長と二人三脚を組むドナルド・キーオ社長は営業出身。いつもにこやかで人望が厚い。かつて著名な投資銀行家のハーバート・アレンは「自分が知っている経営者の中で、立候補すれば大統領になれたと思えるのは、ジャック・ウェルチとドン(ドナルド)・キーオの2人だけだ」と述べた。キーオ社長はそれほどの大物だったのだ。彼はコカ・コーラの海外事業についてこう述べていた。

「赤道直下に1億8000万人の人口を持ち、年齢構成の中位値が18歳で、人口の多くを占めるイスラム教徒が飲酒を禁じられているインドネシアだけを考えてみても、潜在的な市場の大きさは目もくらむ思いがする」

かつてはペプシ愛飲者

少々面白いエピソードがある。バフェットによるコカ・コーラへの投資とは直接の関係はないが、紹介させて頂きたい。

もともとバフェットはコカ・コーラではなくペプシコーラを愛飲していた。自分でチェリーシロップを加えて飲むという飲み方で、ある時、これが新聞記事で紹介された。するとバフェットのもとにまだ全国的には発売されてない新商品のチェリー・コークが送られてきた。「神が与えた飲み物を試飲して欲しい」との言葉が添えられて。キーオ社長が送ってきたものだった。すぐにバフェットはペプシからチェリー・コークに乗り換えた。コカ・コーラ株を買い始めるよりも3~4年も前のことだ。

実はキーオとバフェットとはそれよりもずっと以前からの友だちだった。今から62年前の1960年。ネブラスカ州オマハのバフェットの家の向かいに越してきたのがキーオだった。キーオは2年後には次の赴任地ヒューストンに越していったので、たった2年間の近所付き合いだったが、子どもたちはお互いの家を行き来して仲よく遊んだ。

当時バフェットは30歳。ファンドを始めて間もない時期で、キーオに対して1万ドル(約140万円)を出資してくれないかと持ち掛けた。キーオは地元オマハの食品卸会社に勤めていた。迷った末、子どもたちに聞いてみた。今でいうところのデューデリジェンス(事前調査)だ。

「向かいの家のお父さんはどんな感じなのかい?」「とってもいいおじさんだよ。だって一日中、家にいて、僕たちともよく遊んでくれるんだ」。一日中、家にいて子どもたちともよく遊ぶ。これを聞いて働き者のキーオは心配になり、申し出を断ることにした。

後にキーオはこう述べるようになる。「あのとき1万ドルを投資していれば、今では1億ドルになっているはずなんだ」

歴史にif(もしも)はないというが、あのときたまたま地元オマハのセールスマンがバフェットの向かいの家に越してこなければ、そしてその同じ人物が20年以上もたってからバフェットの元にチェリー・コークを送ってこなければ、バフェットによるコカ・コーラへの投資はなかったのかもしれない。

ウイットに富んだ会話で多くの人たちを魅了したキーオは2015年に88歳で他界した。このときバフェットはアトランタまで飛んで告別式に出席し、次のような弔辞を贈った。

「キーオのことはたった3つの単語で表すことができます。Everybody loves him(みんなキーオのことが大好きなんです)」

私もキーオが亡くなったときのことをよく覚えている。突然携帯が鳴ったので出てみると、相手は私の友人デイビッド・ワンバーグの秘書だった。「キーオさんが亡くなったの。デイビッドに連絡を取りたいのだけどつながらなくて」。私自身はキーオとは面識がなかったが、このときたまたまデイビッドは来日していた。キーオとデイビッドは親しく、デイビッドは今でもコカ・コーラ本社の取締役を務めている。急きょアポを変更して、私は彼を車で飛行場まで送っていった。

判断基準は将来性と経営陣

さて話を元に戻そう。バフェットの投資手法を煎じ詰めると次のようになるだろう。投資先のビジネスの将来性を数字で判断する、そしてその将来性を現実のものにできる経営陣がいるかどうかを評価する。会社の本来の価値を見極めるうえで重要なのはこの2点。そこには株式市場全体が今後どうなるかの予測のようなものが入り込む余地はあまりないように思う。

岩崎日出俊(いわさき・ひでとし)
日本興業銀行(当時)に入行後、スタンフォード大学で経営学修士(MBA)取得。JPモルガンやメリルリンチ、リーマン・ブラザーズの投資銀行部門でマネージング・ダイレクターを歴任。現在、コンサルティング会社「インフィニティ」代表取締役。