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インフレが問う(2)労働力不足招く過剰貯蓄 米の賃金上昇、世界揺らす

「食卓に牛乳や牛肉を届ける責任があるのに人手が足りない」。米中西部カンザス州で酪農を営むリー・ホルトマイヤー氏は8日、農業部門への移民拡大を訴えるイベントで危機感をあらわにした。人手不足で需要に供給が追いつかない。米農務省は農産物の輸出が2023年度に輸入を下回り、純輸入国に転じるとの予測を発表した。

ライフセーバーの不足でこの夏は全米の3分の1の公共プールが閉鎖や営業時間の短縮に追い込まれた。航空各社はパイロットや整備士不足で便数の削減を打ち出している。教師や獣医など社会のインフラを担う職種で悲鳴が相次ぐ。

 

人材争奪激しく

 

新型コロナウイルス禍による早期退職の増加と景気の急回復で、業種をまたぐ人材の争奪戦が生まれた。1年以内に転職した人の賃金は8月に前年同月比8.4%上昇し、勢いは1年でほぼ倍になった。転職希望者が求める給与は平均で年7万2800ドル(約1040万円)に高まった。

労働力不足を招くもう一つの要因が貯蓄の増加だ。新型コロナウイルス対策の財政出動は米国で2兆~3兆ドルの過剰貯蓄を生んだ。内閣府によると、日米欧を合わせた家計の過剰貯蓄は500兆円を上回る。焦って職選びをする必要はないという余裕が、働き手を労働市場から遠ざけている。

賃金インフレは購買力向上と生産コスト上昇の両面から物価を押し上げる難物だ。13日公表の8月の米消費者物価指数(CPI)は前年同月比8.3%上昇し、市場予想を上回った。物価高が長引き、強い金融引き締めが長期間必要になるとの警戒が強まっている。

経済シンポジウム「ジャクソンホール会議」で米連邦準備理事会(FRB)のパウエル議長はインフレ抑制へ不退転の決意を示した。米国の政策金利は現在の2%台前半から年内にも15年ぶりに4%超に達すると市場は予想する。景気を冷やしも熱しもしない中立金利は2%台半ばとされ、米利上げは積極的に経済を減速させる局面に入る。

 

景気後退「輸出」

 

問題は、利上げの効果が表れるには半年から2年程度かかり、インフレが収まるよりも先に景気が過度に冷え込みかねないことだ。FRBのブレイナード副議長は講演で「引き締めをやり過ぎるリスクがある」と率直に認めた。

1980年代前半、ボルカー議長が率いるFRBは短期金利を20%超に引き上げた。消費者物価上昇率は2年半をかけて15%近くから5%以下に下がったが、急速な景気後退が米国を襲った。インド中銀元総裁でシカゴ大学のラグラム・ラジャン教授は「高インフレを抑え込む際にFRBが景気後退を回避するのは非常に難しい」と語る。

米利上げが長引けば、ドル建て債務の利払いなどで新興国の苦境も深まる。新興国が抱えるドル建て債務は3月末で4.2兆ドル(約600兆円)。リーマン危機直前の08年6月末の2.6倍に膨らんだ。

ユーロが20年ぶり安値を更新するなか、欧州中央銀行(ECB)は8日に「大幅な景気減速」(ラガルド総裁)覚悟で0.75%の大幅利上げに踏み切った。通貨安を避けようと世界で利上げドミノが加速する。米利上げによるドル高はインフレだけでなく景気後退の芽も世界に輸出する。