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体感物価、低所得層1.5倍 「ガス年60万円」民主主義試す インフレが問う(1)

光熱費の高騰は余裕のない家計ほど響くためだ。経済が傾けば政治は揺らぎ、民主主義などの基本的価値も綻びかねない。歴史的なインフレの根には分断がある。各国は国際協調の再構築を試されている。

 

物価上昇率が8%を超えるイタリア。5日、中部ウンブリア州で自営業者らが光熱費の請求書を燃やすデモが巻き起こった。「私たちは払わない」というスローガンを掲げ、全土で100万人の参加をめざす市民運動も動き出した。

欧州はエネルギーを依存してきたロシアとの分断に向き合う。天然ガスは8月下旬に最高値を更新した。手を打たなければ冬にかけて光熱費はさらに膨らむ。米ゴールドマン・サックスはユーロ圏の物価上昇率が年末までに過去最高の10%近くに高まると分析する。

大国ドイツも揺らぐ。比較サイトのベリボックスによると首都ベルリンで100平方メートルの家に住む場合、ガス契約料金は最安で月平均400ユーロ弱(約5万7千円)。年間では60万円台になる計算だ。単価は1年前の3倍に跳ね上がっている。

エネルギー高は光熱費への支出割合が高い生活苦の世帯に特に重くのしかかる。デモが広がるイタリアは4~6月期に低所得層のインフレ率が9.8%と、購買力の高い層の6.1%を大きく上回った。

家計の「体感」は統計上の数字より厳しい。過去1年に物価がどれだけ上がったか消費者に直接答えてもらう方式の欧州委員会の調査で、ユーロ圏の低所得層の平均値は4~6月期に21.5%と、高所得層(14.6%)の1.5倍に達した。

各国は家計への現金給付など物価高の手当てに躍起になる。ベルギーのブリューゲル研究所の集計によると、欧州29カ国はエネルギー高対策に既に2600億ユーロ超(37兆円超)を積み上げた。

対策に追われるのは欧州だけではない。

「全米の家庭の日常的なコストを大胆に削減する」。8日、ミシガン州の電気自動車工場を訪れたイエレン米財務長官は薬価引き下げなどの内容で8月に成立した「インフレ抑制法」をアピールした。11月の中間選挙を控え、バイデン米大統領自身も法案に反対した野党・共和党を攻撃する。

インフレ率が2%台と米欧に比べれば低水準の中国も、10月の共産党大会を前に神経をとがらせる。食肉消費の6割を占める豚肉の価格は上昇局面に入り、前年より2割以上高くなっている。当局は市場の安定を狙い、8日と18日に続けざまに冷凍備蓄を放出した。

日本は9日、低所得世帯への5万円給付など3兆円規模の追加対策を決めた。ガソリンの値上がりを抑える補助金などと合わせ累計の支出は8兆円に及ぶ。

難しいのは家計支援などの財政支出は物価高を長引かせるリスクがあることだ。通常、価格が高騰すれば需要が減る市場メカニズムが働く。しかしガソリン補助金などは需要を支え、インフレ圧力を温存する。

国際通貨基金(IMF)のガスパール財政局長は「苦しむのは財政余力のない途上国」と訴える。4月の報告書では先進29カ国のうち20カ国が財政支出に動いているのに対し、途上国は19カ国のうち3カ国にとどまる格差に言及した。

インフレ退治の常道として米欧が急ぐ利上げも景気後退のリスクが避けられない。金融市場を通じて新興国や途上国の混乱を深める懸念もある。

1930年代の世界恐慌ではデフレによる大量失業が人々を疲弊させ、ファシズムの台頭、大戦の悲劇へとつながった。今回の世界インフレも低所得者層の生活を困窮させ、政治の迷走を招く恐れは否定できない。

現にスリランカは政権が崩壊し、先進国でも英国やイタリアで首相が辞任する事態になった。25日に迫るイタリア議会選では極右政党の躍進が予想されている。政治の混乱が続けば、民主主義陣営の対ロシアの結束も揺らぎかねない。

「過去数十年享受してきた低インフレにすぐ戻ることはない」。7月の物価上昇率が7%に達したシンガポール。リー・シェンロン首相は8月の独立記念日前の談話で国民に覚悟を求めた。示した道は明快だった。「産業を変革し、スキルを磨き、生産性を高める。そうすれば賃金がインフレを上回る」

歴史的な物価高にどう向き合うか。各国の「賢さ」が問われている。