このコーナーの話をいただいた時に思った。私はこれまで、自分の人生を振り返るという時間を持ったことはなかったと。取り掛かってみると82年の時は長く、簡単に整理がつかない。
そんな私に、もうすぐ金婚式を共に祝うことになる妻・裕子はあっさりと言う。結婚してからの半世紀は「それが使命でもあるかのように走り続ける日々だったわね」と。「駅には文化が必要だ、囲碁文化を守るんだ、日本の食文化も守り育てなければならないと、文化、文化と繰り返していましたものね」
納得できた。その結果が、駅や空港などに設置した数々のパブリックアート作品であり、世界中で親しまれるペア碁であり、街の小さな飲食店もサポートするぐるなびだ。
どれも一般にはなかったもので、その価値を生み出し、受け入れてもらうためにはチャレンジの連続、苦労の連続だった。悪戦苦闘する私に「楽しんでいるね」と言う友人がいた。「きみから挑戦をなくしたら何も残らないだろうね」
文化と挑戦の人生。かっこよく言わせてもらえばそういうことなのだろうか。
大企業を辞めてベンチャーを目指したのが27歳だ。ワンマン経営者だった父親が交通事故で急逝し、鉄道広告の代理店、株式会社エヌケービー(NKB、東京)などを引き継いだのは35歳の時で、それからは広告事業だけにとどまらず自分の持つ価値観を信じて様々な挑戦をしてきた。
その一つが駅などの公共空間に大型の芸術作品を設置するパブリックアートだ。毎日、多くの乗客が利用する駅空間を、より居心地のいい空間にしたいと考えた。
JR上野駅にある平山郁夫先生の原画によるステンドグラス「昭和六十年春 ふる里・日本の華」、JR京都駅にある西山英雄先生の原画による陶板レリーフ「京洛東山三十六峯四季」、池袋サンシャイン60に設けた片岡球子先生の原画による陶板レリーフ「江戸の四季」などだ。私はプロデューサーの立場で、全国550点余りの作品を手掛けてきた。
今や、駅や街のシンボル、ランドマークとなっている作品も少なくない。2年前に文化功労者に選んで頂いたのは、主にこの業績への評価だと思う。
当初は乗り越えるべき課題は多岐にわたっていたが、超一流の芸術家や鉄道会社のトップの方々のアドバイスを頂きつつ、克服してきた。大学時代の恩師でもある建築家の清家清先生の考えに共感し、公共工事費の1%をその建築物に付随する芸術・アートのために支出しようという「1%フォー・アート」の制度化も提唱してきた。
文化への貢献という点では、私が創案した「ペア碁」も評価されているかもしれない。ある時、囲碁人口を増やすには女性への普及が一番と考え、男女がペアとなって対局するペア碁を思いつき、正式なゲームとして普及に取り組んだ。今では世界75カ国・地域で楽しまれている。
ぐるなびをネット上に開設したのは1996年、56歳の時で、いわゆるIT企業の創業者としてはかなり遅咲きだった。ぐるなびは多くの個人経営の店を支援し、日本の食文化を守る役割を担っている。
どんな挑戦の日々だったのか。私はそれを楽しんできたのか。この機会に振り返ってみたいと思う。まずは、良くも悪くも最も影響を受けた父親の話から始めたい。
(ぐるなび創業者)

コメントをお書きください