リネットジャパングループ社長 黒田武志さん 恩師が導いた起業家人生(2)

当時はインターネットの勃興期です。私は関心があり、個人的に情報収集していました。米国で話題となっていたのがアマゾン・ドット・コムです。私もネットで古本を売れば面白いのではと思い、応募しました。

それだけでは社長の坂本孝さんの目に触れる保証はありません。それに坂本さんがどんな人かが気になり、ブックオフに直接電話して会いにいきました。当時の本社は相模原市の小さなビルの一室です。「これは支援される側とちゃうんか」と思ったほど貧相なオフィスでしたが、そこに現れた坂本さんは貧相などとは逆のバイタリティーにあふれる人でした。「これが起業家か」と痛感しました。

それからというもの、坂本さんの講演予定を調べては全国を飛び回る追っかけを始めました。いつも最前列。毎回聞くのが「ブックオフでは社員もアルバイトも汗と涙を流して働くんだ」という話でした。何度も話を聞くうちに「ほんまかいな」と思い、それなら自分で調べてやれと考えるようになりました。

当時トヨタの勤務地の名古屋にはブックオフがありません。三重県四日市市で新店を開くと聞いて、会社に黙ってアルバイトに応募しました。

  アルバイトとして見たブックオフは坂本氏が話した通りの職場だった。

当時のブックオフでは新店オープンの直前に開く決起集会が名物でした。坂本さんが駆けつけるけれど、主役は店長とアルバイトなのです。店長がどんな店にしたいかと思いを語り、続けてアルバイトたちが一人ずつ抱負を語る。本当にみんなが涙するのです。トヨタ社員とかけもちで週末アルバイトの私でさえ、なぜかこみ上げるものがありました。

それから休日になると車を飛ばして四日市まで通いました。時給は700円。高速代と昼食代を差し引けば赤字です。それでも苦にもなりません。思えばトヨタでは、うれし涙も悔し涙も流したことがない。仕事は充実していましたが、ブックオフには何か違うものがあると感じ始めました。

10カ月ほどたつと四日市に妙なアルバイトがいることが坂本さんの耳に入りました。店に突然、電話がかかってきました。「トヨタの君か」というのです。

それなら時間をつくろうと言ってくださり、新横浜駅前のホテルで中華料理をごちそうになりました。そのときに坂本さんから「そんなにブックオフがやりたいなら、のれん分けしてやる」と切り出されました。トヨタでの仕事に不満はなかったけれど、このチャンスに懸ける決心をその場で固めました。父親からは泣いて止められましたが、迷いはありません。

  昨日までのアルバイトが突然、社長になった。

四日市店の店長に「きょうから俺が社長になるから」と切り出したときには、ひどく驚かれました。もちろん、アルバイト仲間たちにもです。

のれん分けされたのは三重県内の2店舗に加え、岡山の不振店でした。そこを立て直して、はい上がってこいということでしょう。ただ、私がずっと構想していたのは、トヨタ時代に坂本さんに提案した古本のネット販売でした。

ところが、坂本さんはネット事業には大反対。講演やメディアの取材ではことあるごとに「ネットはやらない」と断言していました。「ブックオフはGNN」が坂本さんの信条でした。義理、人情、浪花節の略です。無機質に見えるネットは、そんな信条の対極にある存在と思ったのでしょう。

それでもネットが世界を変えるという私の信念は揺るぎませんでした。坂本さんには黙って、ネット事業に進出する準備を始めました。このことを知った坂本さんは大激怒。破門を言い渡されました。