作家・重松清さん 家族の物語、ありふれた思い出の味で 食の履歴書

「思い出とともにあるからこそ、メシはうまいのだ」という。

「1人で外食できないんだよ」。散歩中に良さそうな店を見つけても気後れしてしまう。「何度も店の前を行き来して、でも度胸がなくて結局、コンビニとかで済ませる」。そのため仕事場でカップラーメンをすすることも多い。「『赤いきつね』にタマネギの天ぷらを載せるのが一番好き」と照れ臭そうに笑う。

もちろん長年付き合いのある店も多い。新しい店を開拓するよりも、気に入った店に足しげく何度も通うほうが自分の性に合っている。お店の「味」は食べ物のおいしさだけでなく、お店の雰囲気や人柄も併せて醸成される。「居心地のいい場所で食べるご飯が一番おいしい」

大学進学を機に上京するまで山口県で青春時代を過ごした。東京での生活のほうが長くなった今でも、食の原点は西日本だ。お餅は丸餅が好きだし、東京のうどんの汁は「黒いなぁ」と思う。貧乏学生だった1980年代前半も故郷の懐かしの味を探した。

簡単に全国からお取り寄せできる今とは違い、当時は東京で西日本の味を探すのはひと苦労だった。福岡の袋麺、マルタイの棒ラーメンが東京のどこそこに売ってるぞ、と高校時代の同級生たちと連絡網を回し、実家に帰省すれば即席麺「うまかっちゃん」をボストンバッグいっぱいに詰め込んだ。山口弁で話す大将の店があれば、同郷の人たちの交流の場になる。「ぶちうめーのー!」。食事が故郷とのつながりだった。

東京での生活のほうが長くなった今でも、食の原点は西日本だ

大学を卒業後、出版社勤務を経てライターとして執筆活動を開始し、91年に作家デビューした。家族をテーマにした作品にとって、食卓は家族が集まる唯一特別な場所だ。

食の味そのものよりも、食が象徴する様々な要素を描き出す。例えば、歯応えのあるキュウリの漬物をぼりぼりとかじる様子ではいらだち、朝のトーストを口いっぱいに詰めこめば話したくない、といった心理を表す。食事の場面一つで、登場人物の性格や関係性が見えてくる。「子どもが巣立って使わなくなったホットプレートには、食卓を軸にしたその家族の歴史が表れるはずだ」

自身の記憶を振り返れば、思い出の味は母の作るロールキャベツとポテトのスコッチエッグだ。「普通はお味噌汁とかなんだろうけど、高度経済成長期の子どもらしいよね」。生まれた60年代は家庭に洋食が浸透したころ。マッシュポテトの中につるんとしたゆで卵が入ったスコッチエッグが好きだった。

父は帰りが遅かったが、母と妹とはいつも食卓を囲んだ。1人で食事をした記憶はない。大人になってからも、帰省すれば母がロールキャベツとスコッチエッグを作ってくれた。帰省するたびに小さくなる、母が握ったロールキャベツの肉に親の年齢を感じた。「もう歳だから」と、10年ほど前に作ってもらうのはやめた。

2001年に『ビタミンF』で直木賞を受賞した。受賞の一報を待つ「待ち会」では、出版社のオフィスで編集者20~30人とエプロンを着けて豚汁を作っていた。「たとえ受賞できなくても豚汁があるならいいか」。そう思って気を紛らわせた。「結果、受賞したから、縁起物としてほかの作家の待ち会でも、と思ったけれど、伝統にはならなかったね」と苦笑いする。

2001年の直木賞の受賞時には、受賞の一報を待つ「待ち会」で豚汁を作っていた

インスタント食品やレトルト食品が生まれたときから原風景としてあった最初の世代なのではと思う。時代によって記憶に残るような食べものは違うかもしれないが、思い出と一緒に食がある。食の歴史がある人は幸せだ。「あのとき食べたカップめんとか、どんな思い出でもいい。そうでありたいと思うし、そうでない人にとってはきっかけとなるような作品を作りたい」

小学校の国語の教科書のために書き下ろした短編『カレーライス』。手作りのカレーライスを通じた父と息子の関係を描いた作品だ。「読んだお父さんが張り切ってカレーを作りました」という感想をもらうことが多い。「そういう感想は本当にうれしい」

「やっぱりいつも通りの普通の食事が一番うまい」。家族を描き続けてきた作家の優しいまなざしの原点は、ありふれた思い出の味なのかもしれない。

文 黒沢亜美

写真 鈴木健

【最後の晩餐】白いご飯をおいしく炊いて、小皿に明太子(めんたいこ)、わさび漬け、溶いたウズラの卵など、ご飯のお供をのせてずらっと並べてもらう。できれば味噌汁も。シジミかタマネギ。朝ご飯みたいだな。人生これから始まります、って感じだけど、最後はやっぱりシンプルなものがいいね。

紹興酒、大盛りのザーサイで

重松さんが「20年来の長い付き合い」という東京都港区の「中国料理店 春秋」(03・3407・4683、完全予約制)。おまかせコース(1万7000円~)はその日の仕入れや客の好みによってメニューが変わる。

大盛りのザーサイをつまみながら紹興酒を楽しむ。東京都港区の「中国料理店 春秋」

重松さんのおすすめがピータンとフカヒレ、そして「無理にお願いして大盛りにしてもらう」ザーサイだ。通常、ザーサイはコースの最後に出すチャーハンに付いてくるが、重松さんはコースの序盤に注文。店主によると、「大盛りのザーサイをつまみながら紹興酒を楽しんでいる」という。「お客さんの顔を見ながら、その人の好みに合った料理を出したい」という家族経営ならではの温かいもてなしが魅力だ。重松さんは「味が絶品なのはもちろん、一番の喜びは居心地の良さ」と話す。