https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD308YU0Q2A630C2000000
2021年から始めた月探査プロジェクト「TSUKIMI(ツキミ)」は、超小型衛星を使って月のどこにどれだけ水があるかを調べます。水は宇宙では貴重な資源で、探索は月ビジネスの大きなテーマになっています。世界で初めて月の水資源地図を作るプロジェクトで、総務省の委託研究です。探査で得たデータを解析して「宝の地図」にできるのは私たちだけだ、と自負しています。
大学院修士課程で進学か、就職か迷った時期に「科学者か海賊になりたい」と思いました。どちらも宝物を見つけるのは一緒。新しいものを発見したいという気持ちは今も変わりません。TSUKIMIは超小型衛星や特殊な電磁波であるテラヘルツ波といった最先端技術を使い宝探しをします。何事にも一番乗りが好きなので、こうしたプロジェクトには体が動くのです。
水の探査に使うテラヘルツ波はちょうど電波と光の中間にあたる電磁波で、ようやく活用が始まったばかりです。研究を始めたころは世界でも少数の研究者しかいませんでした。しかし新しい周波数の電波は常にあらたな発見を科学にもたらしてきました。
テラヘルツ波を使えば月の水のように、見えていないものが見えるようになる。これまで地球や惑星の観測に利用してきましたが、それをビジネスに応用したい。TSUKIMIはスタートアップのモデルにもしたいと考えていて、内閣府の募集する宇宙を活用したビジネスアイデアコンテスト「S-Booster」に応募しました。
じつは月より先に火星を探査する計画に取り組んでいました。月の次は小惑星、その次は火星に必ず行くつもりです。宇宙の宝地図を作り、宇宙で宝探しをする。そして地球近くの宇宙を自在に駆けまわり活躍する「地球で初めての宇宙人」になることを目指しています。火星探査を目指している米実業家のイーロン・マスク氏に負けたくない。そう思っています。
いろいろな仕事をしているので最近は、できるだけ名刺に書くようにしました。しかし「ここが私の場所」と思う場所はありません。笠井という人間がいて、たまたま今はこことここの仕事をしている、ということではないでしょうか。自分は既存の仕組みから、はみだしているのかなと思うこともあります。
研究は楽しいし、官庁の仕事は国を動かすやりがいがある。官庁では異能人材を発掘する通称「変な人」プロジェクトや壮大な目標に挑戦するムーンショット計画などを手掛けてきました。破壊的イノベーション(技術革新)を目指すなら、本流ではなくても才能を持った人材を世の中に送り出すことが必要です。
日本は「出るクイは打たれる」「失敗をおそれる」といわれます。でも「あの人は変だね」とニコニコしながら周囲に認めてもらえる環境をつくりたい。国としては初めての取り組みが多かったのですが、官庁の仲間たちの協力もあり、「破壊」という言葉を霞が関に持ち込み、失敗を許すことができるようになってきたのでは、と思います。
次の時代をどうするか、国を豊かにするにはどうしたらいいか。そこに科学技術を役立てる方法の一つが、月で水資源の地図を作る宝探しのビジネスです。科学技術で世界を変えたいと考えています。

まだ渋谷に住んでいた幼いころ、ガマガエルに突進して踏みつけたことが、人生で最初の記憶です。ガマガエルを踏むととてもくさいから踏まないようにと注意され、本当かどうか試してみようと思ったのです。信じられないかもしれませんが、そのころの渋谷はまだ開発が進んでおらず、現在のパルコ付近にガマガエルがたくさんいました。何でも試してみないと気がすまない性格です。
目の前を塞がれたり邪魔されたりするのが大嫌い。空との間を遮られるのが嫌いで、雨が降っても傘はさしません。幼稚園のとき、コマ回し大会が開かれましたが、はじめは全くコマを回せませんでした。しかし父の指導で2日間夜中まで特訓し、大会では優勝しました。集中してやれば何でもできる、という原体験になっています。
転居したころの町田市の自宅周辺は宅地開発が進んでいた時期でした。遺跡調査中の分譲地で2人の弟やその友だちを連れて横穴を掘り、秘密基地を作って遊んでいました。電柱に登っても「すごいね」と褒めてくれた母でしたが「男の子じゃないか」と悩んだことがあったそうです。
玉川学園は個性を尊重する校風で、授業は先生が教えるのではなく生徒がわからないことを先生に聞くスタイルでした。興味のない授業では後ろを向いて座っていたこともあり、いま思うと好きなようにやらせてもらいました。母は「桜がきれいな学校を見つけてきた」と言っていましたが、私の性格では普通の学校は難しいと思ったのかもしれません。
運動が得意で小学生のころの50メートル走はいつも1番。6年生で初めて男子に負けたときは悔しくて、今でも抜かれた光景を覚えています。誰よりも朝早く登校し、同級生が来るまでドッジボールをするための場所取りを兼ねて、校庭で1人で遊んでいました。先生たちの朝礼が終わるのを待って、校長にあたる小学部長だった前田浩一先生と校庭で相撲を取るのが日課でした。小学校はテニス、中学・高校ではバレーボールに熱中し、周囲は「体育大学に進むのでは」と思っていたようです。
また読書が大好きで1年に読んだ本は100冊以上。「信長記」や「大草原の小さな家」が気に入り、本のどこにどの言葉があるかを覚えるくらい繰り返して読みました。大草原の小さな家は翻訳されていない巻を読むため、小学生のころ母の助けを借りて日本語訳を作ったほどです。
いつも好きなことしかしないので、勉強に興味が湧かずに危うく落第しそうになったことがあります。「勉強もちゃんとやる」という約束で進級し、翌年はほとんどの科目で最高評価の「5」をとりました。でもそれまで手を抜きすぎていたと思ったのか先生に怒られました。
大手建設会社に勤務していた父は縄が絡んだときに、どうほどくかといったことを理詰めで教える人でした。米国の大学で薬学の研究をしていた伯母が、子どものころにいろいろな科学や研究の話をしてくれたことも科学に興味を持ったきっかけです。
小学生のときに地球儀を眺めていて、南北アメリカと欧州・アフリカなど海を挟んだ大陸の形が似ていることに気づき、パズルのようだなと思いました。昔は小さかった地球が膨らんで大陸がバラバラになったというストーリーをひとりで考えていました。
宇宙に興味を持ち、中学生のときに東京・駒場にあった東大宇宙航空研究所(現宇宙航空研究開発機構、JAXA)まで自宅から自転車で訪問したこともあります。大学院生のときには宇宙開発事業団(現JAXA)の宇宙飛行士に応募しましたが応募資格を満たさずに落選しました。

東工大は単科大学でマニアックなところが子どものころから何となく好きでした。ただ進学すると女性がほとんどおらず、広い本館に一つしか女子トイレがありません。
学生のときに専攻した量子化学は実験も解析も面白かったのですが、伝統のある分野です。前例のあることをやるのは嫌で、大学院博士課程では誕生して間もない電波天文学の研究を始めました。長野県野辺山にある電波望遠鏡まで通って、宇宙にある生命のもとになる分子などを観測。鉄と一酸化炭素の化合物が特殊な結び付き方をしていることを明らかにして、国際学会で注目されました。
しかし電波望遠鏡は多くの研究者がシェアして使うので、1人が使える時間は限られます。もっとたくさんのデータを使って事実を突き止めたい。そう思っていたときに出合ったのが宇宙からテラヘルツ波を使って地球の大気を観測する「SMILES(スマイルズ)」のプロジェクトでした。
海外の研究者から「クレージー」と言われたほど野心的な計画でした。テラヘルツ波での観測が新しいだけでなく、宇宙では例のない超電導受信機などを開発。絶対温度で4度(セ氏約マイナス269度)まで冷却するための機械式冷凍機を運用しました。
郵政省通信総合研究所(現・情報通信研究機構、NICT)に入所して企画段階から参加しましたが、研究所がテラヘルツ波の宇宙機器を手掛けるのは初めてです。いまから思うとやむを得ない事情があり、計画の途中から研究所が公式には費用を負担しないとなって、外部から競争的資金を調達して解析システムを作りました。共同で計画を進めた宇宙航空研究開発機構(JAXA)にも迷惑をかけ、関係者が信頼回復に長年苦労しました。
2009年にISSに観測装置が設置され、とれたデータは涙が出るくらい美しかったのです。あまりにきれいだったのでデータを送った米航空宇宙局(NASA)の研究者から「こんなにきれいなデータがとれるわけがない」とはじめは信じてもらえなかったほどです。装置の故障で観測は約7カ月しかできませんでしたが、このときのデータから10年たった今も新発見が生まれています。
テラヘルツ波は新しい分野だけに研究者が少なく、SMILESを通じて海外の研究者と盛んに交流しました。地球観測に衛星データを利用する学会には発足間もない時期から参加、メンバーと今でも交流が続いています。方針の違いなどから衝突ばかりしていた研究者が不思議と私を海外の仕事に推薦してくれる。日本より海外に友人が多く、宇宙や天体に関する世界的な科学者団体の国際宇宙空間研究委員会(COSPAR)の委員などを務めています。
テラヘルツ波は水やごくわずかな物質の観測に力を発揮するだけでなく、装置を小型化できます。海外の仲間と世界の惑星探査計画にテラヘルツ波を使った観測を提案して回りました。落選が続いた後にようやく採用されたのが、欧州が中心になった木星とその衛星の探査計画「JUICE」です。テラヘルツ波では、木星の大気の動きや氷に覆われた衛星の大気成分を詳しく調べ、衛星の海に生命が存在する可能性を探ります。
ところが装置を国際協力で開発しようとすると、国内で新参者のテラヘルツ波は信頼されない。しかし諦めるわけにはいきません。NICT内のファンドに辛抱強く応募し続け、周囲を説得しました。23年に探査機を打ち上げ31年ごろ木星に到着の予定です。

SMILESのプロジェクトが一段落した2014年、情報通信研究機構(NICT)を管轄する総務省に出向しました。総務省の研究開発のとりまとめなどをする技術企画調整官の仕事で、NICTから研究者が交代で派遣され、専任するのが慣例です。研究プロジェクトのリーダーの仕事に加え大学で学生の指導もしていたので抵抗しましたが、期間を1年に短縮する約束で出向しました。
総務省で高村信さんらと作ったのが独創的な人材を発掘、支援する「異能vation」です。グーグルのような、既存にない技術で世界を変える破壊的イノベーションを起こすには、まず出るクイやとがった人材を育てようというものです。
実績はなくても、これまでに存在しないような、人マネではない課題に挑戦している人を支援しよう。そうした狙いで、プロの研究者以外の人でも課題への挑戦に専念できるよう環境を整えました。
米国の国防高等研究計画局(DARPA)を調べたり、政策研究大学院大学の研究者と議論したり。英語の文献ばかり読んでいるので、役所で研究をしているのかと言われました。
14年にスタートした異能vationは通称「変な人」プロジェクトと呼ばれました。当時の新藤義孝総務相が名付け親です。通称がネット上で関心を集めたのか、発表して2週間くらいは問い合わせの電話が鳴り続けました。
支援額は1人最大で300万円。地球上に連絡先があれば国籍・居住地は不問で、当初は義務教育修了が条件だった年齢制限も後になくし、5~86歳と幅広い応募がありました。優等生の研究者だけではなく、希望者は全員が挑戦できる仕組みにしました。企業の若手社員が「総務省がここまでやっているのだから」と社内を説得する材料にしたと聞いたのはうれしかった。
一方で、反発は少なくありませんでした。国が「破壊」という言葉を使うのはいかがなものかというお叱りを受けたことがあります。
自分の研究は大好きですが、科学で世界を変えようとする人たちを支援する官庁での仕事が楽しくなりました。こうした人材発掘も宝探しかもしれません。人材を発掘する政策にその後も継続してかかわり続け、ライフワークになりつつあります。
事務方を務めた「宇宙×ICT」の報告書は、火星のオリンポス火山に登山するような絵を掲載するなど、官庁の報告書とは思えない出来でした。衛星データの活用も大きなテーマですし、宇宙天気や量子通信衛星などを正面から取り上げたのは政府としては初めてだったと思います。
そのころ内閣府の戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)で防災に衛星データを導入しようとしていました。文部科学省から内閣府に出向していた迫田健吉さんから電話をもらった際に一緒にやろうとお願いし、20社以上の企業を訪問して話を聞かせてもらいました。徹底的な現場主義の彼の施策の作り方は私の原点です。迫田さんとは日本発の破壊的イノベーションを目指すムーンショット型研究開発制度でも一緒に働きました。
国土交通省から出向していた広瀬昌由さんからは「災害時の情報は極めて重要で、初動対応のためには2時間程度で届けることを目指してほしい」と求められました。当時は2週間ほどかかり、私と迫田さんが技術的に困難だと説明しても、大臣に当時の技術の範囲でなんとかしろと言われても、譲りません。こういった型破りな信念のある人たちとの出会いは今でも私の宝です。

研究でも行政でも宇宙から得たデータを活用する仕事をしてきました。同じデータを持っていても、データから宝物を取り出せるのはデータサイエンスを知っている人です。
国際宇宙ステーション(ISS)から地球大気の上層部を詳しく調べたSMILESのデータを活用して、10年以上たった今でも新しい発見が生まれています。最近では温暖化の影響で大気の上層部に水が増え、雷が発生して大気の組成を変える現場を突き止めました。温暖化というと地表近くの気象などが注目されますが、宇宙に近い大気の上層部で大きな変化が起きて影響を与えているのです。
私自身は大学院時代にデータから宝物を見つけ出す力を鍛えられました。電波望遠鏡でとったデータはそのままではノイズと有用なデータが交ざっています。その中に埋まっている宝物を見つけて取り出すにはどうしたらいいか。研究を突き詰めるなかで、ノイズの中に埋まっている宝のデータが読み取れるようになりました。データサイエンスや人工知能(AI)の技術はどんどん普及していますが、だれもが簡単に使えるようになってほしいと思い、講演を引き受けています。
月で水資源地図を作るTSUKIMIプロジェクトは内閣府スターダストプログラムの一つで、総務省の研究開発です。情報通信研究機構(NICT)や宇宙航空研究開発機構(JAXA)に加え、東京大学や大阪公立大学、宇宙スタートアップ各社が協力し、若い大学院生たちが手を挙げて参加しています。行政経験から、民間の経済原理が成り立たない政府資金に依存した既存の大企業の宇宙開発は大嫌いで、新たなビジネスの形を目指しています。
日本も参加して月面開発を目指す「アルテミス計画」が進んでいますが、持続的な開発のためには月で水などの資源を現地調達しなければなりません。表面に水がある可能性は少なく、資源として期待できるのは表面から数十センチメートルくらいの浅い地下です。浅い場所で水を探すにはテラヘルツ波が威力を発揮します。
小惑星には貴重なレアアースや金属などの資源が眠っています。テラヘルツ波を使った資源探しは、宇宙で日本が国際的な競争力を持つ役に立つはずです。その先には超小型衛星を使ってテラヘルツ波で火星を観測する計画を進めたい。
いま宇宙ビジネスは急速に成長しています。イーロン・マスク氏のような型破りの人材が日本でも育ってほしい。若いみなさんには「私の屍(しかばね)を乗り越えて新たな時代を開拓するよう」お願いしています。
ギリシャで開かれた宇宙や天体に関する世界的な科学者団体、国際宇宙空間研究委員会(COSPAR)の会合に出席しました。大気や気候の衛星観測に関するコミッションの議長を務めたのですが、若い研究者は私のことを知らない。
この8年、官庁の仕事が主で学会には参加してこなかったので知らなくても当然なのですが、私は衝撃を受けました。研究者の仲間は以前からさらに一歩進んだ立場で研究に取り組んでいる。私もこれから人生の新しいフェーズを作っていく時期に入ったのだと思います。
研究者の道を選んだのは、企業に入って予測できる人生を送るのは嫌だ、と思ったからです。今でもこの先の人生がどうなるかわかりません。しかし運がいいことに、これまで毎年「今年が一番いい年だ」と思うことができました。だれも見つけていない宝物をこれからも探し続けたいと考えています。
(編集委員 小玉祥司)

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