https://www.nikkei.com/article/DGKKZO63375080S2A810C2EAC000
これまでも政治リーダーは物価高に対処してきた。難局を乗り越えるため先人たちの経験も参考にした機動的な対応が迫られる。
戦後日本の物価高の例として「オイルショック」とも呼ぶ2度の「石油危機」がある。第1次石油危機は1973年に起きた。
72年に田中角栄内閣が発足した。当時の田中首相は看板政策として「日本列島改造論」を掲げ、道路や鉄道などの整備を推進した。
「列島改造ブーム」で土地への投機などが全国的にさかんになった。全国の主要都市の地価は上昇する。同時に世界的な経済成長で主要国の石油需要は急増した。
その中で73年10月に第4次中東戦争が起きた。中東の産油国は供給を減らした。米国などへの輸出禁止も重なり、原油価格は高騰した。石油の大半を輸入に依存する日本は工業生産などで大きな影響を受ける。
物価は前年同月比で2桁の上昇をみせた。トイレットペーパーや洗剤などの買い占め騒ぎが起きた。
当時の福田赳夫蔵相はこれを「狂乱物価」と表現した。「物価をおさめるのが政治の至上課題だ」と説いた。
田中氏は「抜本的な対策を政府が責任をもって行う」と強調し、政府は需要を抑制する施策をとった。
「石油需給適正化法」を制定し企業などへ一時的に石油製品の使用上限を設けた。「国民生活安定緊急措置法」で国民に消費の抑制を促し、混乱の収拾に努めた。インフラ整備も抑えた。
国が主導して節電の取り組みも進んだ。店舗や施設の営業時間の短縮や、テレビの放送時間の制限もあった。75年には物価が沈静化していった。
再び起きた石油危機は78年からのイラン革命が発端だった。イランによる石油の輸出禁止が数カ月続き、石油価格が再び跳ね上がった。第2次石油危機と呼ぶ。
第1次石油危機の教訓を受け、政府も国民も冷静に対応した。省エネルギー対策も進んでいた。第1次危機ほどの混乱はなかったという。

80年代後半の「バブル経済」は地価や資産価格の高騰をもたらした。銀行などが不動産融資に傾斜し、地価が上昇した。当時の大蔵省が不動産への融資を規制すると地価が下落し、株価も落ちた。バブルの崩壊と評される。
その後の90年代や2000年以降は「失われた20年」「失われた30年」とも呼ばれた。物価高と対極のデフレが続く。
第1次石油危機からおよそ半世紀たち、日本は再びエネルギーを要因とする物価高に苦しむ。岸田首相は「物価上昇のほとんどを占めるエネルギーや食料に集中して対策を講じる」と述べた。
支援する分野を絞って対策を講じる。節電プログラムへの登録で2000円相当のポイントを支給するなど新たな電気料金の負担軽減策も導入する。農家向けの支援では肥料のコスト上昇分の7割を補填する支援金を設ける。

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