よみがえる1997年の記憶

今から四半世紀前の1997年。内外で様々な事件が起こった。今年も新型コロナウイルス禍の中でのロシアのウクライナ侵攻など激動が続くが、いくつかの出来事に25年前との因縁を感じる。

97年7月のタイのバーツ切り下げに始まった通貨危機はその後アジアに瞬く間に広がった。今年もウクライナ危機に伴う食糧・資源価格の高騰で、経済が脆弱な新興国が疲弊している。

多くの新興国は25年前の教訓から外貨準備を積み上げ、為替相場もドルとの固定をやめているので深刻な危機には陥らないとの見方もある。だが、米利上げでドル建て債務の返済負担が重くなれば副作用は広がりかねない。

97年7月にはもうひとつ大きな事件があった。香港の主権が英国から中国に返還されたのだ。この時、中国は少なくとも50年間は「一国二制度」による香港の高度の自治を保障したはずだった。だが、2020年に香港国家安全維持法が施行、民主化運動は弾圧されていった。

中国に関連の事件では米下院議長の台湾訪問もあった。97年4月に当時のギングリッチ議長が台湾を訪れ李登輝総統と会談したのだ。今回はペロシ下院議長が中国の反対を押し切って訪台、中国は台湾周辺での軍事演習で応じ米中の緊張が高まっている。

25年前との大きな違いは米中のパワーバランスの変化だ。97年の中国は急成長中とはいえ、経済規模は世界第7位。今は日本をはるかに上回る世界2位で、米国の覇権に挑む存在だ。

97年後半に世界を震撼(しんかん)させたのは日本だ。11月に三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券という大型金融破綻が連続、バブル崩壊後の不良債権処理の遅れが金融危機の形で表面化した。当時の米クリントン政権も世界2位の経済大国の危機が、世界経済にどう響くか気をもんだ。

日本は日銀特別融資などを駆使し、何とか日本の危機が世界に連鎖するのは防いだ。今の世界2位の中国はゼロコロナ政策もあって経済が減速した。不動産などバブルの後処理の遅れが指摘され、中国リスクは安全保障面だけでなく経済面でも高まっている。

「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」。米作家のマーク・トウェインが残したとされる言葉だ。97年と22年はどうだろうか。

(琴線)