資産比率「100-年齢」の経験則、退職後どうする? 人生100年こわくない・資産活用で笑おう(野尻哲史)

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB250HT0V20C22A7000000

 

一方で退職したらリスク性資産比率を引き上げるという考え方もある。それは、退職金の受け取りで一気にキャッシュリッチな状態になることから、そのゆがみをどう調整するかという視点でみることだ。

退職金で現預金比率が急上昇

ライフプランニングなどでよく使われるグラフをみると、退職時点に資産が大きく増える形状で描かれることが多い。一般的にビジネスパーソンは、退職金を受け取ることでキャッシュリッチな時を迎える。資産が一気に増えるだけでなく、現預金比率も一気に引き上がる。

簡単に計算してみよう。退職直前に金融資産を2000万円つくり上げていると想定する。内訳は有価証券1200万円、預貯金800万円。この人の有価証券比率は60%となる。退職に伴って退職金で1000万円が金融資産に追加されると、何もしなくても自動的にリスク性資産は40%に下がることになる。

最適なリスク性資産比率が「100-年齢」だとすれば、実際に60代に退職すればこの40%はほぼ適正な水準ということになる。ただ、このためには例示のように、現役時代にはかなり高めの比率でリスク性資産を保有しなければならないことになる。これを実現できている人は、資産形成にかなり意識が高く、積極的な人で、それほど多くはないだろう。

企業型確定拠出年金(DC)などを十分に活用して資産形成を進めている人には、それほど意識しないままにDC資産も含めて高いリスク性資産比率に達している人もいるだろう。例えば、1200万円のうち半分の600万円を会社拠出分で作り上げたとすれば、自身の資産形成として預貯金800万円、有価証券600万円という感覚になれるかもしれない。このパターンなら、もう少し多くの人が該当しそうだ。

しかし、そうした人が退職に伴って退職所得控除の税制優遇を活用してDC資産を一括で引き出せば、これも退職時点で現金化比率を引き上げることになる。企業型DCで作り上げた600万円分の有価証券資産を一括引出で現金化すると、その時点でリスク性資産比率は20%にまで低下してしまう。DCには年金引出の制度も整備されているが、それを使う人はほとんどいないのが実情だ。

年金引出を推奨することも大切だろうが、リスク性資産比率の急低下を避けるためにも、DC口座で保有する有価証券をその時点の時価で評価して、課税口座に移管(ロールオーバー)できる制度改善が望まれる。

導入から20年以上経過しているが、DCが注目されてきたのは、制度が改善されてiDeCo(イデコ、個人型確定拠出年金)のニックネームが使われるようなった2017年から。またNISA(少額投資非課税制度)が導入され、つみたてNISAがスタートしたのが18年。このあたりから積立投資の意識を持った人が多くなったと考えると、現在の60代前半や50代のビジネスパーソンは、積立投資にそれほどなじみがあるとは思えない。

その世代は「まとまった資金がないと投資ができない」という意識とそれを変える制度がなかった時代をビジネスパーソンとして過ごしてきた。今、世間では資産運用が必要と叫ばれ、投資できない理由だった手元資金不足が退職金というまとまった資金が入ることで解消されたわけだから、急に「投資をしてみようか」という気にもなるだろう。

「分割投資」のススメ

現役時代に全く投資経験がない人が退職金で投資を始めるのは、価格変動がもたらす心理的な影響を経験していないだけに、急落すると慌てふためき、上昇すると落ち着かなくなるものだ。それは将来トラブルを抱える可能性が高い。退職後の資産活用方法は、運用以外にも対策はあることから、ここで無理をする必要はない。

脱線するが、そうした心理的影響を避けるには、たとえ少額でも、50代になってからでも積立投資で資産形成を始めておくことだ。たとえ、それによる積み上げられる資産額が小さくとも、価格変動のもたらす心理的な圧迫感と投資の収益性を経験するだけでも意味がある。これも退職準備だ。

それでも退職金で資産運用をしたいなら、あまり無理のない規模で期間を決めて「分割投資」を考えるべきだろう。例えば現金化したDC資産すべてを資産運用に回すと考えれば、600万円の投資額を、数年かけて時間分散した投資を目指す。いわゆる積立投資は、給与のなかから毎月積み立てるイメージだが、この場合は投資総額をあらかじめ想定し、それを時間をかけて投資に回すため、積立投資ではなく「分割投資」と呼んでいる。

例えば5年かけて資産運用に回すとすれば年120万円、半年ごとなら60万円、四半期ごとなら30万円、毎月なら10万円ずつというわけだ。分割投資により、短期間だが時間分散の効果を実現することができる。

もう一つのパターンを考えてみる。退職直前のリスク性資産比率を20%にまで高めている人で、先ほどよりも現実的な前提だろう。これまでの例示の通りでみれば金融資産2000万円のうち、1600万円が現預金で、400万円が有価証券といったアロケーションになる(その半分の水準、現預金800万円、有価証券200万円で合計金融資産1000万円と想定してもいい)。

そこに退職金で1000万円(または500万円)が現預金として加わると、リスク性資産比率は13%にまで低下する。想定すべき比率よりもかなり低い水準に低下するため、これをある程度の比率にまで引き上げることを考える。方法は2つある。

第一は、先ほどの「分割投資」で退職金を投資に回す方法だ。ただ、リスク性資産比率を40%に引き上げるためには、退職金1000万円のうち800万円を投資に回すことになり、現役時代にそれほど積極的に投資してこなかったビジネスパーソンにとっては少々無理がある。

現預金から取り崩す選択肢も

第二の方法は、資産の取り崩し局面に入ったら、当面は有価証券を取り崩さず現預金を優先的に取り崩す方法だ。例えば退職時の現預金2600万円を先に取り崩し、80代までに1900万円に減少したと仮定する。一方、取り崩さなかった有価証券400万円が80代には600万円にまで増えているとすれば、リスク性資産比率は24%に高まる。80代で24%の比率なら「100-年齢」の経験則に沿う。資産の取り崩しの過程で、徐々にリスク性資産比率を引き上げていく方法だ。

なお、このパターンでは、50代ならあと30年続ける資産運用を念頭に長期投資を想定できることは大きなメリットだ。

日本の現行制度の下では、退職に伴ってリスク性資産比率が急落することは一般的だ。それを抑制する制度改善は必須だが、退職時期のリスク性資産比率をどのように調整するかのアイデアも求められている。

野尻哲史(のじり・さとし)
合同会社フィンウェル研究所代表。定年を機に設立した会社で、地方都市移住、勤労継続、資産活用の3点から退職世代のファイナンシャル・ウエルネスを啓発する活動に従事。「IFAとは何者か」「資産形成をゼッタイ始めると思える本」など著書多数。

[日経ヴェリタス2022年8月7日号]