https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD254SD0V20C22A7000000
講演で「格差・貧困の拡大や分厚い中間層の毀損が民主主義の基盤を脅かしている」などと話すことがある。民主主義との因果関係は判然としないが、政権は「成長と分配の好循環」というスローガンを打ち出した。これに賛同する声は経済界にもある。
もっとも、ほんとうに格差が拡大しているかは実態を子細に観察せねばなるまい。首相にかぎらず「コロナ禍で格差が拡大した」が決まり文句のようになっているだけに、ファクト・チェックが重要になる。
内閣府は2月、「日本経済2012-2022 成長と分配の好循環実現に向けて」を出した。毎年夏に公表する経済財政白書を補う役割をもったこの冊子は「ミニ白書」の別名をもつ。岸田政権発足を意識し、今年は「格差の動向と課題」にページを割いている。
趣旨はこうだ。所得格差の大小を示すジニ係数は、02年から07年にかけて上昇しており、この期間は日本全体で所得格差が広がっていたことを裏づけた。しかし、それ以降は係数が下がっており、17年には02年の水準にまで格差が縮小した。ただし世代別にみると、20代後半と30代前半は07年以降も係数が上がっている。
また世帯類型ごとにみると、総所得の低さが目立つのは高齢者世帯と母子世帯だ。もっとも1人あたりの平均所得は、高齢者世帯では総世帯の平均水準と遜色ないが、母子世帯は半額程度と著しく低い。社会保障給付という点では、年金にくらべた児童手当や児童扶養手当の貧弱さが浮かび上がる。
読み取れるのは、不本意ながら非正規雇用などに甘んじている若い世代と、収入が思うに任せない母子世帯に的をしぼった支援の必要性であろう。なかでもコロナ禍で仕事を失ったり収入が下がったりしたシングルマザー世帯の窮状は、察するにあまりある。政権が採るべき対策のイメージが浮かび上がってくる。
とはいえ赤字国債をさらに増発して得た財源で政府がシングルマザー世帯に給付金を出すなどというやり方は、安易にすぎよう。子供の養育費を負担すべきなのに、それを逃れている元配偶者にきちんと負担させる仕組みの確立が先決だ。スウェーデンの取り組みが手本になる。
同国は「同棲(どうせい)婚法」の異名をとるサムボ法によって事実婚のカップルに法律婚の夫婦と同様の権利をみとめている。それもあって未婚や非婚の男女間に生まれた子供の数は群を抜いて多い。15年版の厚生労働白書によると、婚外子の割合は日本の2%に対しスウェーデンは55%だ。
事実婚か法律婚かを問わず、別れた両親が養育費の条件を決める際に存在感を発揮するのがコミューンと呼ばれる自治体におかれた社会福祉委員会だ。日本の市区町村にあたるコミューンは初等・中等教育や高齢者介護をふくめ、家族問題の解決に強い権限を有する。養育費の条件についても、別れた父母が合意した内容をコミューンの関係機関が承認すれば、裁判所の判断の同様の効力が与えられる。
養育費の支払いを逃れようとする者が出るのは、万国共通の現象といっていいかもしれない。スウェーデンも例外ではない。その場合、もらう権利を有する側が社会保険庁に「養育費補助手当」の支給を請求するのが一般的だ。重要なのは、もらう権利を有するのは子供自身という考え方である。17年にこの手当を受け取った子供は約21万人だった。
スウェーデン方式のユニークかつシビアなところは、この手当を配りっぱなしにせず、支払い義務を負う親から社会保険庁が未払い分を回収する仕組みにしている点にある。子供の養育費はあくまでも政府が一時的に立て替えるものだという考え方が浸透している。ただし回収時は支払い義務を負う者の所得状況などを勘案し、柔軟に対応する。支払い義務者は所得状況に応じて猶予や免除がみとめられる。月額の上限をもうける場合もある。
刮目(かつもく)すべきは、正当な理由なく社会保険庁の督促に応じない支払義務者に対し、強制執行庁が徴収する制度を確立していることだ。日本のマイナンバーにあたる共通番号を隅々までゆきわたらせているスウェーデン政府が、国民一人ひとりの勤務先、所得・金融資産、保有不動産などに関する情報を把握し、管理しているからこそ可能なやり方である。
日本の国税当局が納税を逃れようとしている不届き者から強制徴収するかのごとく、強制執行庁は養育費の立て替え分を取り立てる。文字どおり「逃げ得許すまじ」を実現しているわけだ。
日本もこれに類するやり方を制度化すれば、シングルマザー世帯の格差・貧困問題は、多くを国費負担に頼らずに和らげられよう。
3歳の子供を育てながら東京都内のデジタル関連企業に勤める30代の女性は、夫との2年弱の別居を経て今年2月に協議離婚した。その際、養育費を着実に受け取るために公正証書を作成した。「彼を信用していないわけではないが、たとえばこの先、彼が新しい伴侶を得て家族が増えた場合に養育費の支払いが続くか、一抹の不安があった」
こんなしっかり者の母親は多数派ではなかろう。1985年におよそ240万だった一人親世帯の数は、2020年に500万へと急増した。それにつれて養育費の支払いを逃れようとする者も増えている。養育費を受け取っている世帯の割合は、シングルマザー世帯では24%にとどまる。
格差・貧困問題の解決に意欲をみせる岸田政権は、まずは養育費を払う義務を負う者に、その義務を果たさせる対策に傾注すべきであろう。カギを握るのはマイナンバーの有効活用である。スローガン政治に満足せず、すべきことを速やかに実行する力量が試されている。

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