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背景には過酷な労働環境があり、特に映画界が劣悪だという。俳優やスタッフらが実態を語り、相談窓口など救済方法を探り始めた。
「徹夜仕事の経験が77%。半数以上が年収300万円以下で、ケガをしても労災を認められないケースがほとんど」。日本芸能従事者協会代表理事で、俳優として映画界を中心に活動してきた森崎めぐみ氏は話す。
ギャラ不払いやハラスメント、現場にトイレがない影響で、ぼうこう炎になった人も少なからずいるという。
2021年9月設立の同協会では、俳優、歌手、ダンサー、スタントマンのほか、映画監督、演出や照明、音響などのスタッフを広く「芸能従事者」と捉え、様々なアンケート調査をしている。
新型コロナウイルス感染拡大前は、こうした調査自体がなく実態が分からなかった。森崎氏は以前から芸能界の労働問題に取り組み、労災や過労死が認められないケースを多く見てきたという。
契約書交わさず
芸能従事者は被害に遭っても訴える先がない。公的な労働相談は基本的に会社などに在籍する労働者が対象だからだ。芸能従事者はほとんどがフリーの個人事業主。大手芸能事務所のタレントも社員ではないことが普通で、事務所スタッフにも個人事業主がいる。
新型コロナの影響で仕事が減っても「アンケートでは持続化給付金を申請できなかった人が4割以上。前年の仕事や収入を示す契約書がないから」(森崎氏)。契約書もなく働き、セーフティーネットからも漏れる。
映画界の若手が立ち上がり、労働環境などを調査する団体「Japanese Film Project(JFP)」が誕生した。メンバーの一人で助監督などとして働いてきた近藤香南子氏は「定年がないので上が詰まり、若い人がどんどん辞めていく」と話す。
伝統芸能や放送では、コロナ禍の少し前に「働き方改革」が一部で始まった。歌舞伎の1カ月興行に休演日が設けられ、NHKの連続テレビ小説は週6話から5話に減った。働き方改革関連法への対応に加え、このままでは後継者不足に陥るとの危惧が背景にある。
一方で映画界は、製作費の減少など構造的な問題も影を落とす。「私が俳優を始めた1990年代は1本で数億~数十億円単位が普通だったが、今は数百万円でも製作しようとする。これでは現場で安全に配慮する余裕がない」(森崎氏)
大きなスポンサーのいない、いわゆるインディーズ映画の多くがそうした予算規模だといわれる。製作費を抑えるため撮影期間は数日、年配の俳優が夜中まで働くという話もよく聞く。ギャラの不払いや、チケット購入ノルマを出演者に課すケースもあるといわれる。
精神論を超えて
とはいえ少しずつ前進はあり、21年4月から、労災保険に芸能従事者が特別加入できるようになった(全国芸能従事者労災保険センターでは入会金3000円)。22年6月には、臨床心理士による相談窓口「芸能従事者こころの119」も開設された。契約書については文化庁も問題視して検討会議を開催している。
著名な映画監督も動く。是枝裕和氏らは22年6月、労働環境改善のため、フランスを参考にした新たな組織づくりを目指す団体の設立を発表した。問題意識を持つ中堅や若手は韓国など海外の実態調査も進めている。
「長時間労働は断る。福利厚生も充実させる。そして保険料や年金などもきちんと払う。そうすることで、私たちも一般の社会人として認められたい」。20年に誕生したある舞台スタッフの団体幹部は語る。日本の文化芸能の世界は、とかく「昔はもっと厳しかった」という精神論で忍耐を強いる傾向があるが、恐らくもうそれでは乗り切れない段階に入っている。
森崎氏らのアンケートでは、仕事が原因でこのままでは生きていけないと思ったことがある、と答える人がコロナ後、3割を下らない。労働環境について最低限の水準が守られるよう、芸能従事者自身も「働き手」としての自覚を持ち、声を上げていくことが大切だ。
(編集委員 瀬崎久見子)

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