丸山茂雄(13) 団塊三人衆 部下が上司を育てる ロック路線支えた自由な気風

エピック・ソニーをロック路線で盛り上げてくれた3人のプロデューサーがいる。佐野元春、大江千里、TMネットワーク、岡村靖幸、渡辺美里を見いだした小坂洋二さん。シャネルズに続きドリームズ・カム・トゥルー、小比類巻かほるを手がけた目黒育郎さん。そして宣伝の室田元好さんだ。

 

ミュージシャンもスタッフもおおむね団塊の世代かそれ以下というのがエピックだった。私なりにこの世代を分析すると、ビートルズを聴き、アメリカのドラマを見ている。伝統的な上下関係を気にしない。根性で努力なんていうのは格好わるいと考える。

人に頭を下げるのが嫌いで、テレビ局が仕切る音楽祭はダサいと思っている。そう、私と波長がぴたりと合った。

「丸さん、これやりましょうよ」。賢明な彼らは私を使えば面白いことができると考えたのだろう。いいように操られているなと思いつつ、私は抵抗せず受け入れた。彼らの提案で7~8月はレコードを出さないというルールを決めたこともある。「暑いときに仕事なんてしていられませんよ、ねえ丸さん」。エピックはあくせくしない。そういう格好よさが大事だった。

企画制作2部の次長という立場にあったころ、業界紙の取材で、どう部下を育てているのかと聞かれた。私の答えは「上司は部下を育てられない。部下が上司を育てる」。小坂さんたち3人も私が見いだしたのではなく、「使い勝手のいい上司」として私の方が彼らに見いだされたのだ。

エピック行きを命じられたとき、好きなようにやっていいと言われても、好きなことが何もなく困惑した。しかし若い連中と仕事をするうちに、ロックならば一生懸命やれると思うようになった。そういうものとの出合いは生まれて初めてだった。

団塊の世代は私に対してため口だったが全然、気にならない。すでに書いたとおり、大学生のとき高校のラグビー部で監督をしていた。部員たちもため口で、私には免疫ができていた。

リベラルな家庭環境で育ったことも影響しているかもしれない。父は日本医科大学の教授で学長もつとめたが、組織のヒエラルキーを崩そうとしていた。医学の世界は教授が勝手にテーマを決め、若い研究者にやらせる。そして成果を総取りしてボスになる。父は「自分で見つけたテーマでなければやる気が出ない」が持論で、研究者の自主性を重んじた。

私は間近でそれを見ていたから、エピックでは部下たちに好きなアーティストと契約させた。放任だ。もちろん限度はある。相手はアーティストという人間。場合によっては失業させてしまう。だから一人で面倒をみるアーティストは3人までと決めた。その範囲なら進むか退くか、判断は部下たちに委ねた。

こういう風通しのいいやり方は当時のレコード会社では珍しかった。洋の東西を問わず、この業界は「いい子がいるからデビューさせてよ」と知り合いに頼まれるケースが結構ある。ポリティカル・リリース(政治的な発売)だ。でもそういうことをしていると会社はよどむ。

ゼロとは言わないが、エピックではほとんどなかった。だから会社は合理的で、業績も伸びた。硬い組織の論理を押しつけていたらエピックの企業文化はつくれなかったろう。エピックはタテ社会ではなくヨコ社会だった。

(ソニー・ミュージックエンタテインメント元社長)